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「木村伊量社長が握り潰した」朝日新聞 幻の『吉田調書』検証記事を公開する すでに記事は完成し、掲載寸前だった
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40819
2014年10月23日(木) 週刊現代 現代ビジネス
「謝罪は最初が肝心」とよく言われるが、その最初を間違え、謝り続ける朝日新聞。嬉々として叩くライバル紙もどうかと思うが、過剰に謝る朝日新聞は、自分たちの大切なものまで売り渡してしまった。
■1面ぶち抜きの予定だった
「社長を出せ!」
10月6日、午後2時から東京・築地の朝日新聞社15階レセプションルームで開かれた社員集会は、大荒れに荒れた。
中堅社員が、立ち上がって発言する。
「(吉田調書の)取材班はこれまで4度にわたり、検証記事を出そうとした。7月上旬、8月31日、9月2日、4日と、組日(掲載日)まで決まっていた。誰がなぜ止めたのか。取り消しについていつ誰が判断したのか。取締役会、局長会、デスク会に諮ったのか」
壇上でこれに答えたのは、先日、編集担当役員の職を解かれたばかりの杉浦信之氏だ。
「私どもにあがってきた紙面は検証というよりは、命令違反で撤退ということは説明ができるという紙面、記事だった。しかしファクトでおさえる部分が結果として非常にもろかったというふうに判断して、最後の9月の頃は池上問題が非常に大きくなっていたので、はっきりいってこのタイミングで吉田調書について、ある意味反論に近い原稿だったので、非常にリスクをはらむと。そういう判断の中で見送った」
歯切れの悪い発言をくり返す杉浦元役員らに、この後も社員からの罵声に近い質問が飛び続けた—。
いま、朝日新聞社内で、一本の記事が波紋を呼んでいる。いや、正確には、完成はしているが紙面に掲載されなかったので、「幻の記事」と呼んだほうがいいかもしれない。
その、朝日新聞社内で封印された記事の全貌を、本誌はつかんだ。
記事の大きさは、新聞の1面丸ごとぶち抜き。右上には「福島第一原発事故吉田調書を読み解く」と、黒地に白抜きで総タイトルが打たれている。
長年、朝日新聞に勤める現役幹部記者が、この記事について解説する。
「朝日新聞は5月20日付の朝刊で、『吉田調書』をスクープしました。政府事故調が生前の吉田昌郎・福島第一原発所長に聴き取りをした記録です。その記事に『間違い』があったとして、木村伊量社長が9月11日に謝罪会見を開き、記事を取り消したのはご存じの通りです」
5月20日の記事は、所長命令に違反 原発撤退という大見出しで、福島第一原発2号機の爆発が疑われた際、所員の9割にあたる約650人が吉田所長の待機命令に違反し、福島第二原発に撤退したと報じた。
だが、吉田所長は「よく考えれば2F(第二原発)に行った方がはるかに正しいと思った」とも語っており、「命令違反という表現は間違いだった」と木村社長が会見で認めたのだ。
幹部記者が続ける。
「たしかに、見出しに行き過ぎはあった。だが、『吉田調書』をスクープした担当記者グループはもちろん、社内の心ある記者たちの間では、『なぜ訂正・修正ではなく取り消しなんだ』という声が、あの謝罪会見以降どんどん高まっている。
そうした声に拍車をかけたのが、この『幻の記事』の存在でした。記事は特別報道部の記者たちが、初報に足りなかったものを補完するために作成した『検証記事』だったんです。
記事は完成し、一度は掲載日を8月31日と決めて、ゲラにまでした。それなのに掲載直前に、木村伊量社長を含めた経営トップの手で握り潰されてしまったのです。その横暴に対する怒りが爆発したのが、10月6日の社員集会でした」
■吉田昌郎所長の「本心」
以下、検証記事の中身とともに、記事が潰された経緯も詳しくみていく。これを読めば、朝日新聞の経営陣がいかに混乱し、指示・判断系統が崩壊していたかがわかるだろう。
「検証記事」の左上のリード部分にはこうある。
〈東京電力福島第一原発の吉田昌郎所長(事故当時)の命令を巡る報道の元資料となった「吉田調書」と、東電内部資料の時系列表「柏崎刈羽」メモの該当部分を示します。あわせて東電の事故調査報告書も掲載します〉
こうした基礎資料を、紙面の4分の3を使って掲載した上で、左下4分の1のスペースで、記者が論評を書いている。そこにこの記事のポイントがある。
見出しは3本。いちばん大きな見出しは、
〈所員の尽力 吉田氏語る〉
と打たれている。
そして、中くらいの大きさの2本の見出しは、それぞれこうだ。
〈3号機爆発「みんな現場に行こうとする」〉
〈「だれも助けに来なかった」本店には不満〉
前出の幹部記者が言う。
「第一報の記事は、原発作業員が『命令違反をして現場から逃げた』という印象を強く与えるものでした。だがその後、産経新聞などが吉田調書を入手したとして、『命令違反ではない』と批判をし始めた。
検証記事は、そうした批判を強く意識したものだと言えます。『所員の尽力吉田氏語る』という見出しを記事中でいちばん目立つように打っているのが、その表れでしょう」
本文はこう始まる。
〈福島第一原発では2011年3月14日午前11時1分、3号機が爆発した。吉田所長は政府事故調の聴取に対し、この時の所員の対応について詳細に語っている。
爆発で原子炉への注水作業にあたっていた所員や自衛隊員がけがをして作業は一時中止になった。負傷者を治療のため別の場所に送ったうえ、死亡者がいないことを確認して作業を再開した。吉田所長は聴取で「みんなぼうぜんとして思考停止状態みたい」だったと振り返っている〉
ここでも強調されているのが、吉田所長がいかに現場に「感謝」していたかということだ。
〈「申し訳ないという話をして、ただ、現時点で注水が今、止まっているだろうし、2号機の注水の準備をしないといけない、放っておくともっとひどい状態になる」
現場は高い値の放射線を発するがれきの山になっている可能性が高い。吉田所長は「放射線をしっかり測り、がれき撤去、必要最小限の注水のためのホースの取り換えなど、注水の準備に即応してほしい」と所員に頭を下げて頼んだ。
「そうしたら、本当に感動したのは、みんな現場に行こうとするわけです。勝手に行っても良くないと逆に抑えて、この班とこの班は何をやってくれというのを決めて、段取りしていって出て行って、そのときですよ、ほとんどの人間は過剰被曝に近い被曝をして、ホースを取り換えたりとかですね」〉
■誰に向けて書いているのか
現場への感謝と同時に語られるのが、東電本店や当時の政権に対する吉田所長の強い不満である。
〈「逆に被害妄想になっているんですよ。結果として誰も助けに来なかったではないかということなんです。すみません。自分の感情を言っておきますけれども、本店にしても、どこにしても、これだけの人間でこれだけのあれをしているのにもかかわらず、実質的な、効果的なレスキューが何もないという、ものすごい恨みつらみが残っていますから」(中略)
「今の議論の中で、みんなベントと言えば、すぐできると思っている人たちは、この我々の苦労が全然わかっておられない。ここはいら立たしいところはあるんですが、実態的には、もっと私よりも現場でやっていた人間の苦労の方がものすごく大変なんですけれども、本当にここで100(ミリシーベルト)に近い被曝もいた(原文ママ・本誌註)人間もいますし」と、現場の苦労が理解されないいら立ちをあらわにしている〉
以上が、幻となった検証記事の全貌だ。前述した通り、吉田所長の命令に違反して現場が逃げたのではなく、吉田所長が現場の作業員の働きぶりに感動していたことを、調書を引用しながら伝えている。
かねてより「『吉田調書』第一報の取り消しは行き過ぎだ」と主張している、ジャーナリストの青木理氏が言う。
「朝日社内でこうした検証記事が検討されていたことは、私も知っていました。そして、最終的に掲載をやめる判断をしたことも。この問題は複雑なので、いろいろ切り分けて考えなければなりません。
まずそもそも、政府が隠していた調書を入手して、世間に公表したというのは間違いなくスクープです。この出発点を、きちんと押さえておく必要がある。もし朝日の取材がなければ、吉田調書という、人類史上未曾有の原子力災害の当事者の肉声が、政府の手のうちに隠されたままで公表されず、世に出なかったかもしれません。
一方で、『命令違反』という見出しは、少し見方を誤ったのではないか。そういう認識は、報道後、社内にも生まれたと思います。それならば、修正すべき部分は修正して、また報道していけばよい。この『検証記事』がまさにそうですね。
ところが朝日の上層部は『検証記事』の掲載をやめるどころか、元の記事そのものを取り消すという判断をしてしまった。これは読売新聞の『iPS誤報』(森口尚史氏の虚偽証言をそのまま報道)と同じ扱いなんですよ。つまり、捏造記事、虚報と認定された。
しかし、それは違うでしょう。吉田調書は間違いなく存在し、朝日はその現物を真っ先に入手した。けっして捏造や虚報ではない。『見方』に間違いがあったのなら、修正で対応するべきだったと思います」
冒頭の社員集会でも、そうした観点から、「なぜ取り消しだったのか」について多くの質問が飛んだ。
社員「もし記事の中身に足りないところがあるなら、時間もあったし、足りないところは足りないと指示すればよかった」
杉浦元役員「私が言ったのは、待機命令を聞いた上で逃げた東電職員がどれくらいいるかを示さないと、無理だと。反論に堪えられないだろうと。だがその後、本当に命令を聞いた上で逃げた人が出てこなかった。それで取り消しはやむを得ないとなりました」
社員「では『命令は実際には伝わらなかった』ことをもっと早く読者に示せばよかったのではないか」
杉浦元役員「そのことを伝えるより、もっと強い(命令を聞いて逃げた職員がいるという)ファクトが出てくると私は聞いて(待って)いたのですが、それが出てこなかった。5月20日直後に、何らかの手当てをすれば、もう少し何とかできたかもしれないと思いますが。この経緯もPRC(報道と人権委員会)で調べています。遅きに失したという意味では、当時の判断は誤りだったといまでは思っています」
ここで注目すべきは、朝日の経営陣が「外部からの批判、反論に堪えられるかどうか」をすべての判断基準にしている点だ。
朝日新聞の元編集委員が嘆く。
「いまの朝日新聞は自分を攻撃する批判勢力しか目に入っていない。彼らに反論しないといけないとか、『こう書くと、向こうはこう書いてくる』とか。大事なのはそこではなく、読者に何を知らせるかでしょう。新聞は誰に届けているのか。批判勢力に向けて書いているわけではない。そこを勘違いしていると思います」
■「船長のいない船」のよう
朝日OBの元「週刊朝日」編集長・川村二郎氏も、こう指摘する。
「最近の朝日新聞は指揮系統がはっきりしないし、記事の良し悪しを誰も言わない。言えば責任を問われるかもしれない、問われれば出世に響くから黙っている。それで紙面が無政府状態になる。検証記事の取り下げも、最終的に誰が決めたのかわからない仕組みになっていて、恐らく、なんとなく決まったのでしょう。
『朝日丸』は船長のいない船のようなものなので、漂流するわけです。高級船員(役員)は乗客(読者)や乗組員(社員)より自分の身が大事だから、いつでも逃げられるようにしているんじゃないかな」
いま社内では、「木村社長は吉田調書を生け贄にした」という見方が支配的になっているという。
「吉田調書以上に深刻な慰安婦問題で『謝罪しない』という最初の方針が大失敗。さらに池上彰氏コラム問題では社内からも猛反発をくらい、杉浦氏は『(自分は)池上問題で辞めると思っていた』と発言している。それらについての批判が強まり、窮地に陥った経営陣が、吉田調書を『誤報だった』と差し出して謝罪することで、批判をかわそうとしたんです。社長の延命工作という声もある。
池上コラムですら社長はゲラを読み、『修正できる余地はないのか』と口出しして掲載を見送っている。この検証記事を握り潰す判断に、木村社長がかかわっていないなんてことはありえない」(前出の幹部記者)
朝日新聞社広報部は、掲載を取りやめたことについて、こう回答する。
「お尋ねの紙面は、検証ではなく、5月20日の初報を補強し、他のメディアの批判にこたえるために計画されたものでした。
ほぼ出来上がった内容を特別報道部も含めた報道・編成局で検討した結果、『命令』を裏づけるデータは補強されたが、『9割が命令違反し、撤退したといえるのか』という批判にこたえられる内容にはなっていないと判断し、掲載そのものを見合わせました。この判断に、木村伊量社長は一切かかわっておりません。弊社は今も、(5月20日の)記事を取り消した判断は正しいと思っております」
読者に独自の検証記事を届けることより、「批判にこたえられるかどうか」ばかりを気にしていることが、この回答からも滲む。
そうした考え方こそが、新聞社として致命的であることに気づかなければ、朝日新聞の迷走はこれからも続くことになるだろう。
「週刊現代」2014年10月25日号より
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