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2014年10月21日
20日、安倍内閣の二人の閣僚が、トコロテン方式で相次いで辞任した。メディアでは安倍政権に痛手などと書いて愉しんでいるが、さしたることはないだろう。橋下徹が「世間が許さないという方向になっているので、安倍晋三首相も支持率を気にされ、交代することを考えたのだろう」とコメントしているが、果たして、“世間が”とは何を意味しているのだろうか。世間と云うより、マスメディアが騒いだので、と云うのが真実だろう。
そもそも論で言うのであれば、公選法も政治資金規正法も、何処か建前上のデモクラシー制度を体裁づけているだけの、魂の入っていない法律による規制に過ぎないのだと思う。何時から、どうして「政治とカネ」と云う問題に、これほど神経質になったのか、そのこと自体の経緯と趣旨がわからない。清廉潔白であればあるほど、何もしない政治家が安全地帯にいることになり、すべからく官僚の指示通り動けばいいと云うことになる。このように、政治家に優等生、乃至は優等生もどきを求めると云うことは、破天荒で改革を断行できるような政治家が育たない温床なのだろう。
これでは、政治家が既成観念を打破して、新たな世紀を乗り切る国家や社会を創造するためには、余りにも窮屈なのだと思う。ある程度、改革者と云う者は、個々の法律云々には関わりなく、理念に向かって突っ走る勢いや気概が必要なのではないだろうか。正直、自分の理念の為に、余りにもシキタリだらけ、役人の裁量権と云う監視の下で、政治行動を阻害されているようで仕方ない。今回の小渕や松島が、そのような理念で政治家になったとは思えないので、彼女らに、この疑念は当てはまらないが、この機会に、「政治とカネ」や選挙運動の形など、形骸化した組織的選挙運動が容認され、破天荒な行為が一切許されないような世界で、有能な政治家の出現を望むと云うのは虫がよすぎる気がする。
よほどの有名人とか、土着性や利権集団や宗教団体に支持されて選挙に出ない限り、ほとんどの政治家は落選する。つまり、何らかの意味で既成観念の枠にはまった人間だけが政治をすることになる。彼らの多くが、口だけは達者になるが、既成観念に対して順応的だと意思表示し、既得権益との親和性があればあるほど、安定した政治人生を歩めるような制度設計自体が間違いなのだと思う。小沢一郎のように、土着的な強さを持つ政治家もいるが、努力をすれば、全員が小沢のように選挙に強くなれる政治家と云う押しつけも、現実的ではない。
公選法や政治資金規正法や政党助成金が綺麗な選挙に貢献していると云うのだが、その結果、小ぶりな人間だけが政治をする。パワフルな奴らは、概ね枠からはみ出すので、公選法や政治資金規正法に引っかかり易くなる。これでは、官僚の思うが儘ではないか。知恵と専門性の組織力を持つ彼ら官僚に対抗し得る政治家など、一切生まれてこないのは自明でもある。ところが、日本の民主主義では、公選法や政治資金規正法、そして政党助成金によって、個々の政治家は投網の中で生きているわけで、いつ何時、投網から引き上げられるか判らないのだから、既成観念打破とか既得権益に対抗する政治家が生まれないように制度設計されている。これこそが、日本の沈滞を招く元凶かもしれない。
この12月に施行される特定秘密保護法においても、一番狙われる可能性があるのは政治家だ。このような法律を嬉々として成立させた政治家は、正直馬鹿なのだと思う。それでなくても、強力な組織力を有している官僚らに、自己防衛と暴力装置を追加で与えるような行為であり、政治家の自殺行為に等しいのだと思う。まあ、自分は何もする気がないから、安全だと思っている政治家が大半だから、そういう心配を危惧することもなかったのかもしれない。立法府の政治家がこんな具合では、一生安泰で組織力のある行政官僚の意のままになるのは自明で、デモクラシーそのものが成立していない。
グローバリズムにおける「普遍的価値」の陣営に位置することを標榜するのであれば、国家的な姿勢は欧米的価値観と親和的であるべきだろう。であるならば、ネオナチ的勢力や排外的な行動を辞さない勢力と肩を並べてみたり、その勢力と同等の行動に出てみたり、そのような面をもっと重視すべきだろう。形式的合法性を強調するあまり、本来の思想信条などへの配慮に欠けたデモクラシー等と云うものは、張子の虎に過ぎず、国の方向性など見定められるはずもない。永遠に同じことを繰り返すエンドレステープのようなもので、変わりようがないのである。本質的議論を避けて通る政治に、期待できるものは何もない。正直、国際的に靖国問題が喉の奥に小骨のように刺さっている最中に、火に油を注ぐ閣僚がいることが議論されるべきで、些末な笑い話の団扇が辞任に繋がるようでは、望むべき政治が不在だと云うことがよくわかる。
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