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@韓国のドラマを観ることもあります。こちらとの風習の違いなどに目が留まることがあります。モンゴル辺りから、中国、韓国などインドより東のアジア諸国に生活している人々は、言葉を話さなければ日本人と同じに見えます。言葉を喋ると、各々の微妙な差異が際立って感じられてきて、おそらく互いに分離された感覚になるのだと思われます。
A顔かたちがとても似ているということは、お互いにとても近しい関係にあるということを意味するはずです。しかし、互いになんらかの交流をしながらも、長らく違う地域に住み、異なる風習や文化や言葉を築き上げてきました。でも、ベースには互いに共通するアジア的なものがありそうです。
Bさらに、さかのぼれば人類のアフリカ起源ということで、世界全体にわたって人としての身体的共通性や死生観などの基本的な共通性も見られます。遺跡や遺物など遺されたものからはもうこれ以上人類の足跡はたどれそうにないと思われたとき、科学の発展と呼応するようにして遺伝子技術が人類の移動の足跡の探査に貢献できることがわかりました。おそらくこのように靄に包まれた果てしない時の彼方も少しずつ明らかになっていくのだろうと思います。つまり、人は人としての共通性と差異性を抱えながら、各地域に住民として生活してきています。そして、その社会の上には現在でも、民族国家というものが覆い被さっています。
C先の両大戦を経てきた現代では、大規模な戦争は不可能な時代となり、住民同士や国同士の付き合いも、主流としては力を行使することなく話し合いによって交流したり解決する段階にようやく至っていると思えます。この背景には先の大戦の膨大な死者の存在と苦い反省があります。しかし、今なお戦争や対立をしている国と国なども存在しています。
Dこういう世界関係の主流の現状で、今流行っていると言われる「嫌韓」などの外国やその住民を敵視する言葉は、何を指し示そうとしているのだろうか、という疑問がわたしにはあります。それらの言葉は、現在でも存在する国同士の敵対的な関係を築こうとしているのではないかと思われます。
Eしたがって、それら「嫌韓」などの言葉や憲法九条の非戦の理念を否定するイデオロギーは、人類の未来性を持つものではなく、退行的で、過ぎ去った過去的なものと見なすほかないようにわたしには思われます。ということは、現政権は決定的に現在という時代と無縁に後ろ向きに存在し行動していることになります。
Fもともと、この列島では古代の大陸(朝鮮半島)との戦争や秀吉の朝鮮出兵や近代の戦争ということを除けば、あるひとつの地に対して異質な地名が共存することなどから、割と平和的な流入や混じり合いがあったのではないかと見なされています。また、保守派がよく口にする「伝統」とかいっても、混じり合っていてどこまでが大陸的なものでどこからがこの列島の古い縄文的なものなのかなどよくわからないものとなっています。ただ、一般に認められている考え方に拠れば、いつの時期かは確定的ではありませんが、この列島に南方的なものと大陸の北方的なものとが押し寄せてきて、二層を形成していると見なされています。排外主義的な右翼も存在しますが、主流はわたしたちの現在でもいいかげんさやあいまいさを許容し合う部分に、その遠い過去のこの列島の人々の体験は保存されているのではないかと考えます。そのいいかげんさやあいまいさを否定的なものと見なさないとすれば、そこには遠い先人たちの戦いを避ける交流の足跡が記されているのであり、その文化的な遺伝子をわたしたちが引き継いでいることになります。
G現在の世界史的な段階では、旧来的な「文化」や「伝統」はもはや半分は終わっているのではないかと思います。それをもっともっと突き抜けたところで、人間の存在や社会の有り様を問われてきているのだと考えます。それが地球規模で経済や政治が関わり合うようになったグローバル化というものの本質だと考えています。
(註.ツイッターのツイートを元に少し加筆)
この列島の一住民より
臨時のブログ「回覧板」( http://blog.goo.ne.jp/okdream01 )
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