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2014年10月19日
筆者の心では、真っ先に国益を損ねているのは安倍晋三総理そのものなのだから、見出しの5閣僚の問題は、大袈裟に言えば”死一等を減ずる”好例だと言えるのだから、特に論評するほどのことでもない。しかし、マスメディアや世間が騒いでいるので、それ相当の筆者の理解も簡単に書いておくことにする。
一番ひどい目に遭っているのは、小渕経産相だが、余りにも出鱈目な会計処理と云うか、稚拙無関心だったわけで、一連の自民党女性閣僚議員の中で、正直一番罪は軽いのだと思う。しかし何故か、一番酷いことをしたように叩かれ、いまや閣僚辞任、更迭の危機に瀕している。本当に世の中と云うのは不思議なものだ。以下の時事通信の報道では「政治とかね」がクローズアップしていないが、マスメディアや世論や野党の追及は「政治とかね」普遍的政治家追い落しのツールになっている。
≪ 女性閣僚でつまずき=首相の狙い、裏目に−安倍政権
第2次安倍改造内閣が、過去最多タイを誇った女性閣僚でつまずいた。松島みどり法相が「うちわ」問題で刑事告発されたのに続き、小渕優子経済産業相が政治資金をめぐる不透明な処理の責任を取って辞任する意向を安倍晋三首相の周辺に伝えた。「女性の活躍」を目玉政策に据えたはずの臨時国会の焦点は「政治とカネ」の問題に移り、首相の狙いは裏目に出た格好だ。
「女性が狙い撃ちされている」。自民党幹部は18日、新閣僚を標的とした野党の追及に危機感をあらわにした。
首相は9月の内閣改造で女性の起用にこだわり、過去最多だった第1次小泉内閣の5人に並んだ。特に小渕氏については、2012年12月の内閣発足時にも閣僚としての起用を検討していた経緯がある。自民党の「次世代の首相候補」を取り込み、自身の手で育成したいとの思いがにじむ。
「女性の活躍」は、反対すれば女性軽視と取られかねず、異論を挟みにくいテーマだ。首相としては与野党対決法案の提出も見合わせ、「安全運転」で今国会を乗り切る算段だった。
それだけに閣僚候補の身辺を事前に調べる「身体検査」には甘さがあったようだ。検査に関わった政府関係者は小渕氏の問題について、「政治資金までは無理だ。党の方で対応する話ではないか」とさじを投げた。
首相は一昨年末の内閣発足以来、比較的安定した政権運営を続けてきたが、初めてとも言える試練に直面している。民主党の枝野幸男幹事長は18日、さいたま市内で記者団に「緩みが生じているのではないか」と述べ、小渕氏らの追及を強める考えを示した。 ≫(時事通信)
「政治とかね」このフレーズで、どれ程稀有な政治家たちが危機に立たされ、政治力を失ったか枚挙に暇がない。各紙の論調を覗いて見ると、朝日“小渕経産相「総理と会う予定はない」 政治資金問題”、毎日“小渕経産相:辞任不可避 政治資金問題で”、読売“傷深くなる前に身を引いた方が…小渕氏に辞任論”、産経“繰り返される使途疑惑 閣僚の「政治とカネ」”、日経“小渕氏政治団体、「観劇会」費用の一部負担疑いも ”、東京“小渕氏、首相と進退協議へ 政治資金問題 外交日程見送り”等々となっている。流石に読売は小渕問題に抑制的報道姿勢だが、辞任論まで隠ぺいは無理だと考えたようだ。
それにしても、政治家のカネ問題が何故こんなにも致命的な政治問題化に発展してしまうのか、よく理解できない。この世がカネ次第の世の中であることは、国民自体が一番知っているわけで、常に興味のあることはカネだと言っているのに、他人がカネで良い思いでもしようものなら、まあウルサイのである。正直、筆者などは金満政治家でも、善政を行うのであれば、構わないと思う方なので、感覚的に日本人のカネへの執着心と潔癖の心理には、ほとほと愛想が尽きる。国民が政治家のカネ問題に飛び跳ねて興味を示すのを知っているから、メディアも我先に扱うという図式があるのだろう。
自分はカネに汚くていいが、人さまがカネに汚いのは許せない。まして、ズルして多く儲けたとか、ジャンボ宝くじに当たったとか、もう嫉妬の渦になるのである。何という醜さであろうか、このような人々に善政自体が不要なのではないかとさえ思うのだ。筋が通っていないのだ。いくら暮らしが厳しくても、“武士は食わねど高楊枝”の心意気は遠い昔の話なのだろう。それよりも、山谷えり子のネオナチ問題の方が本質的に大問題であり、叩くべきは山谷である。やはり、山谷えり子を叩くことは、右翼系勢力や神社庁などとの確執を恐れている各社幹部の所為だろうか。
山谷のネオナチ問題を野党も追及する気はない。メディアも追及する気はない。海外メディアの話題は小渕などどうでもよくて、山谷や稲田や有村らの自民党女性議員閣僚の資質に目を向けている。つまり、外交問題なのである。自由と民主主義が国是であるなら、これこそが話題になり議論されるべきで、「政治とカネ」は国益に特段関わる問題ではない。同じ税金を掠め取られたというのであれば、桁の違う税金を掠め取っている霞が関官僚組織や経団連を憎むべきである。そのような怖い存在は憎めない、非難できないから、小渕だ。そりゃ武士として、否、人として醜すぎるではないか。
ヘイトスピーチなどと云うものは、同じように考えていたとしても口にしないのが日本人の美でもある。行動美学の一部でさえあった。国際的に開かれた国を目指すと口にしていながら、国外の興味から目を背け、国内で弱い者虐めをしているのだから不思議だ。山谷えり子国家公安委員長の『在日特権を許さない市民の会(在特会)』の関係者らと一緒に写真を撮っていた問題などは、国際的問題であり、野党もメディアもグローバル時代だと言うのであれば、そういう矜持をみせるべきである。
おそらく、安倍政権が小渕経産相並みに弱者になるのを見定めているのだろう。日本のメディアも野党も国民も、弱者に強く、強者に弱い。村上春樹は作家として理解不能な人だがエルサレムの地で『……ここで、非常に個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。それは小説を書いているときにいつも心に留めていることなのです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはないのですが、私の心の壁に刻まれているものなのです。それはこういうことです。 「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。 そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?……』この言葉は良いなと思う。
安倍政権の強権が怖い。だから、いまは遠巻きに弱るのを待とうじゃないか、筆者には卑怯としか思えない生き様ばかりが目に映る。そして、強者のライオンが傷つき、重篤な状況になった時、一斉に襲いかかる。たしかに小賢しい戦術だが、間違いなく反撃されないと判った上でしか反対の意思表示をしない。それでは、自由も民主主義も守れないし、そういう理想的政治形態にさえ相応しい人々だとは思えない。いっけん「政治とカネ」で吊し上げられた政治家が悪いようだが、彼や彼女らは、単に弱者の分類に入る人々だったというだけだ。
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