http://www.asyura2.com/14/senkyo173/msg/130.html
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最初に私のコメント、次にJBPRESSの記事本文を記載します。
[コメント]
■ 世界に恥を晒した「憲法9条ノーベル平和賞」申請 戦争放棄をうたった憲法は世界中に多々ある
> ノルウェー・ノーベル委員会への申請文には次のようにあった。
「日本国憲法は前文からはじまり 特に第9条により徹底した戦争の放棄を定めた国際平和主義の憲法です。特に第9条は、戦後、日本国が戦争をできないように日本国政府に歯止めをかける大切な働きをしています。(中略)どうか、この尊い平和主義の日本国憲法、特に第9条を今まで保持している日本国民にノーベル平和賞を授与してください」
つまり端的に言うと、日本国憲法第9条は戦争を放棄しており、だから尊い平和主義の憲法を掲げる日本国民にノーベル賞を与えよというものです。
これはあまりにも無知な恥さらしです。
戦争放棄をうたった憲法が世界中にごろごろあることを申請者は理解していないのでしょう。
■ 戦争放棄をうたった憲法は99カ国もある
>ある憲法学者の調査によると、日本国憲法のような戦争放棄をうたった平和憲法条項を盛り込んだ憲法は、既に99カ国に存在するという。憲法9条の規定をあたかも世界の中で唯一の規定だと思い込んでいるのは大きな誤解である。
例えばイタリア憲法では、「国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄する」とはっきり明記されています。
このように戦争の放棄は日本の憲法だけの「専売特許」ではありません。
世界の多くの国が採用しているごく当たり前のことにすぎません。
ちなみに日本の憲法では自衛権を否定していません。
念のため申し添えておきましょう。
憲法解釈の最終判断は最高裁判所がおこないますが、その最高裁判所の判決で自衛権は合憲であるとの判決が出ているのです。(下記「砂川判決」)
「憲法第九条は、わが国が主権国として有する固有の自衛権を何ら否定してはいない。」
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/gakuseiundo/history/sunagawatoso/mitudanroeico.htm
その意味でも日本国憲法はごく当たり前の平和憲法と言うことができます。
■ 世界に恥を晒しただけだった「憲法9条ノーベル平和賞」申請
以上の通り戦争放棄をうたった憲法は世界中にごろごろあり、その点で憲法としてなんら新奇性のあるものではなく、ノーベル賞を獲得できるはずもない。
つまりノーベル賞の申請文に書かれている、戦争放棄を記載した日本国憲法を掲げる日本人にノーベル賞を!などいう主張はお笑いでしかありません。
ノーベル賞の審査委員会も申請書を見て大笑いしているのではないでしょうか?
ある種の思想団体のプロパガンダと捉えたかもしれませんね。
今後も受賞のための活動をするとのことですが、これ以上恥の上塗りをしてほしくはないものです。
[記事本文]
JBPRESS
今年のノーベル物理学賞受賞者として、青色発光ダイオード(LED)を開発した赤崎勇氏(名城大教授)、天野浩氏(名古屋大学教授)、中村修二氏(米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授)の3人が選ばれた。同じ日本人として誇らしい限りであり、久しぶりに日本中が沸いた。
■ ノーベル平和賞はマララ・ユスフザイさんに
他方、ノーベル平和賞がマララ・ユスフザイさんに決まって、ある市民団体の異様な落胆の声が聞こえた。
日本国憲法第9条をノーベル平和賞に推薦した「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会とこれに賛同する人たちだ。賛同の署名が44万人も集まったというから相当な数には違いない。
今年4月、ノルウェー・オスロのノーベル委員会から「第9条をノーベル平和賞に」との推薦を受理した旨連絡があった。この際、筆者は某雑誌に次のように書いた。
「この申請には著しい誤認識がある。日本人が如何に独りよがりで『井の中の蛙』であるかを世界に向けて発信しているようで恥ずかしい限りである」
ノルウェー・ノーベル委員会は申請様式が整っている限り、受理することを通例としている。だから受理したのだろうが、「中身を詳細に調べて、今頃きっと目を白黒させるに違いない」とも書いた。
今回、ノーベル賞受賞に落選したものの、署名活動を進めてきた市民団体メンバーは「まだまだこれから」「ここまで来た」と鼻息が荒い。
正確な知識を国民に知らせるのはメディアの努めである。だが、この申請に係る誤認識について、メディアが指摘したのを筆者は寡聞にして知らない。いまだに「鼻息が荒い」人がいるので、今一度指摘してみたい。
ノルウェー・ノーベル委員会への申請文には次のようにあった。
「日本国憲法は前文からはじまり 特に第9条により徹底した戦争の放棄を定めた国際平和主義の憲法です。特に第9条は、戦後、日本国が戦争をできないように日本国政府に歯止めをかける大切な働きをしています。(中略)どうか、この尊い平和主義の日本国憲法、特に第9条を今まで保持している日本国民にノーベル平和賞を授与してください」
そもそも、「戦争放棄」条項は、今や大多数の国の憲法にうたってあり、決して日本固有の規定ではない。
ある憲法学者の調査によると、日本国憲法のような戦争放棄をうたった平和憲法条項を盛り込んだ憲法は、既に99カ国に存在するという。憲法9条の規定をあたかも世界の中で唯一の規定だと思い込んでいるのは大きな誤解である。
■ 世界中の国が憲法でうたっている戦争放棄
日本国憲法第9条の淵源は1928年に結ばれたパリ不戦条約(ブリアン・ケロッグ条約)にある。第1次世界大戦では戦闘員、民間人、総計約3700万人という未曾有の犠牲者を出した。この悲惨な教訓を受け、戦後、国際社会で議論が巻き起こった。
その結果、国際紛争を解決する手段として、締約国相互の戦争を放棄するというコンセンサスが得られ、条約が結ばれた。事実上、自衛戦争以外の戦争は違法化されたわけだ。
条約は、当初は多国間条約で、列強諸国をはじめとする15か国が署名したが、その後、ソビエト連邦など63カ国が署名した。戦争ではない武力行使は否定していないなど不完全な面はあるが、国際連盟加盟国の大多数の賛同が得られたのである。戦勝国の報復ともいえる東京裁判でも、日本はこの条約を根拠として裁かれた。
パリ不戦条約の第1条は次の通りである。
「締約国は国際紛争解決の為、戦争に訴ふることを非とし、且つ相互関係において国家の政策の手段としての戦争を放棄することを、それぞれの人民の名において厳粛に宣言する」
日本は立憲君主制であるため、「人民の名において」という言葉は受け入れないことを条件に批准した。
日本国憲法は米国により作成されたことは周知の事実であるが、憲法9条は不戦条約第1条の文言をモデルにしている。日本国憲法第9条 第1項は次の通りである。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
パリ不戦条約と瓜二つであることが分かる。このような「戦争放棄」の規定を入れた憲法は、既に99カ国が採用している。自民党の憲法改正案も9条第一項は基本的には変えていない。「戦争放棄」は日本国憲法の専売特許でも何でもない。ましてノーベル賞に申請するような類のものではないのだ。
憲法9条の特殊性は「戦争放棄」の第一項ではく、第二項にある。第二項は次のようにある。
「 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」
■ 日本国憲法の特異性は「国家緊急事態条項」が欠落していること
この規定は当初、「非武装」と解されていた。憲法前文にあるように「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」し、一切の軍事組織を保有しないとしていた。吉田茂首相(当時)も当初は国会で「非武装」を答弁している。
だが、朝鮮戦争が勃発し、国際環境は激変した。その結果、第二項の「非武装」規定では、国際情勢に適合できなくなった。
そこで政府は憲法解釈を変え、自衛隊を保有することにした。まさに「非武装」から「武装」へと180度の憲法解釈変更である。集団的自衛権の限定的行使容認のような微修正ではなかった。
現在は「武装」の解釈が定着し、90%以上の国民が自衛隊の存在を認めている。もし「非武装」をノーベル賞申請の理由にしているのであれば、現実とは乖離しており、これもノーベル賞申請の理由にはならない。
日本固有と言うことであれば、憲法9条ではなく、憲法に「国家緊急事態条項」が欠落していることだろう。
現在、世界の趨勢は「戦争放棄」を憲法に盛り込む一方で、自衛の軍隊を保有する。同時に「国家緊急事態条項」を規定して、緊急事態に対応できるようにしている。自衛隊という軍事力を保有しておきながら、「国家緊急事態条項」がないのは憲法の欠陥なのであり、とても世界に誇るようなものではない。
7月1日、安倍晋三内閣によって集団的自衛権の限定的行使容認が閣議決定されたが、今も、メディアは「戦地に国民への道」「徴兵制につながる」「9条を潰すな」など筋違いなキャンペーンを張っている。
今回のノーベル賞を申請した人たちだけでない。日本人に共通するのは、安全保障に関する基礎知識に欠け、独善的な思い込みがあることだ。
1960年の日米安全保障条約改定に反対する安保闘争の時もそうだった。
この安保改定は、条約をより平等なものにするとともに、日本の安全をより確かなものにするものであった。だが、「日本をアメリカの戦争に巻き込む」のスローガンに煽られた学生や労働者は、30万人以上という史上空前の抗議デモを動員して国会を囲み、革命前夜のような様相を呈した。
■ 「戦争に巻き込まれる」発言に煽られる日本人
幸いにも条約改定は、岸信介首相(当時)の強いリーダーシップで成し遂げられた。後の歴史は、このスローガンが全くの誤りだったことを証明している。
当時、全学連中央執行委員としてゲバ棒を振り回していた西部邁氏(現在評論家)の講演を聞く機会があった。驚くことに、その時は新安保条約の条文なんか読んだこともなかったと正直に語られていた。彼でもそうであるから、その他のデモ参加者も推して知るべしだろう。
PKO(平和維持活動)法案審議の時もそうだった。
湾岸戦争で日本だけが汗もかかず、カネだけ出し、国際社会から「小切手外交」と顰蹙をかった。政府は、あわてて自衛隊が国際平和協力活動に参加できるよう法整備を始めた。だが、またぞろ「戦争に巻き込まれる」「自衛隊から戦死者をだすな」といったヒステリックなスローガンが飛び交った。法案採決にあたっては牛歩戦術も出る始末だった。
戦後、日本が戦争に巻き込まれることもなく、1人の戦死者を出すこともなかったのは、憲法9条ではなく、日米同盟と自衛隊があったからだ。またPKOでも、自衛隊は黙々と国際社会に貢献し、世界的にも評価は極めて高い。
自衛隊、日米安保、PKOなどが俎上に乗るたびに「戦争に巻き込まれる」といった感情的なスローガン飛び交ったが、これらがいかに的外れであったかは、既に歴史は証明している。
今なお、憲法9条に対する独善的な思い込みによって、国際社会の平和と秩序維持のため、日本が真に貢献できる余地を自ら狭めているのが実情だ。
憲法9条のノーベル賞受賞に向け、「まだまだこれから」と意気込む前に、正確な基礎的知識を学ぶ必要がある。これ以上、独りよがりな恥を晒すべきではない。
JBPRESS
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41966
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