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2014年10月13日 「ジャーナリスト同盟」通信
<ソウル支局長起訴事件>
産経新聞のソウル支局長が名誉毀損で韓国の検察に書類送検されて、もう大分経った。これに安倍内閣が、菅官房長官の口を通して怒りの抗議をした。結果、問題をさらに大きく複雑にしてしまった。「われわれの仲間を起訴するとは、いったいどういうことか」と聞こえてしまうような官房長官の言動であった。産経対韓国検察の争いに日本政府が、買って出たことになろう。
<言論機関なのか>
果たして言論弾圧といえるのか、である。さらにいうと、産経新聞は国民に奉仕するジャーナリズムなのか。この点について、大いなる疑問を呈する向きも少なくない。
新聞人の肩書きでもって、実は、ためにする情報を流したりする。是々非々の立場を踏み外していないだろうか、という疑問がまとわりつく新聞と見られがちだ。
「政府与党とお仲間」と見られるような紙面になっていないだろうか。公正中立・不偏不党が戦後日本の新聞である。そうあるべきなのだが、最近の産経は明らかにこの原則を踏み外している。
言論機関を自負するのであれば、産経社長は堂々とソウルに乗り込んで韓国政府を、それこそ言論の自由の名において、厳しく追及すべきところである。
<安倍・国粋主義内閣の広報新聞>
しかし、最近の産経は以前と違いが大きすぎる。ナベツネの読売に同調、もしくは先行して日本政府の宣伝、世論操作の先駆けとなっている。これに不満を抱く市民は購読しようとはしない。
安倍は米連邦議会調査局の報告が指摘しているように、戦後否定した国家主義・国粋主義者である。彼の正体を一番知る立場にある産経である。それでいて、政府の広報・世論操作に貢献するとみられがちな新聞では、真正面から言論の自由を振り回せないだろう。
<昔はいい記者が多かった>
筆者が現役のころの産経は、ひどすぎるような印象はなかった。やや右よりという程度だった。一度、気になって小坂徳三郎秘書になった大和さんに問い質してみた。
「経営がおかしくなって、倒産という場面で、財界右翼が乗り込んで経営権を握った。そこから反共新聞になった」という説明を受けて、なるほどと合点した。中学1年の時、産経新聞の配達をした経験者にとって、この説明にはがっかりしたものである。
永田町で暴れまくっていたころの知り合いの産経記者は、いい人が多かった。右翼のジャーナリストは少なかったように記憶している。
<「平成の妖怪 大勲位 中曽根康弘」を絶賛した阿部元政治部長>
中曽根・国家主義を俎上に載せた「平成の妖怪」は、筆者の言論生活を一変させる記念すべき本である。この本が契機になって、筆者の糧道は完全に断ち切られてしまった。
権力に抗することの脅威と恐怖を膚で感じさせられた。言論の自由弾圧と学問の自由弾圧であった。中曽根とナベツネに対して、遠慮せずに書いた本である。出版社もすぐに倒産させられた。
当時の編集責任者は山一證券OBだった。中曽根バブルに踊り、沈没させられた恨みが背景にあったものか。筆者は宇都宮徳馬流の国家主義への抵抗のためだった。この歴史的な本を絶賛してくれたジャーナリストが、産経の元政治
部長の阿部さんだった。
在京政治部長暦は、筆者についで2番目に長い。たしか大平正芳家とは遠縁だと聞いている。
<親切な木立政治部長>
明るい性格の木立政治部長は、とても親切で、政治評論家になった筆者の生活をいつも気にしていて、「なにか手伝うことはないか」と年賀状の片隅に必ず書いてよこした。
ついぞ世話になることはなかったが、こんなことがあった。ソウル五輪にかこつけて、在京政治部長会が青瓦台訪問を実行した。共同通信の松崎さんの努力による。この場面で、朝日の松下さんは仕事の都合で欠席した。のちに朝日社長になった温厚・篤実を絵に描いたような人物だった。彼のような朝日マンはいないのか。いなければ社長を社会部に譲るといい。
このソウル訪問時、伊藤博文暗殺者の安重根のことを教えてくれた人物が、木立さんだった。
<吉田興亜記者と長城登山>
72年、政治部記者になって、宏池会を担当した。当時の大平派である。ここで親しくなったのが吉田興亜記者である。聡明で知的レベルも高かった。79年12月の大平訪中では一緒だった。
北京では、仕事そっちのけで万里の長城に登った。二人で大使館から中国車「紅旗」を拝借して、寒風の長城に登った。周囲には誰もいなかった。観光の雰囲気などない時代だった。
貴重な体験となった。彼は産経からフジテレビに移動した。今は悠々自適の毎日を送っている。
<初代東京タイムズ北京支局長は元産経>
東京タイムズの初代北京支局長のことも覚えている。日下部さんという女性記者だった。彼女は右翼編集の産経を飛び出して東京タイムズに入ってきた。
大変な女傑で89年の天安門事件では、電柱によじ登ってデモを取材した。果たしてスカートでよじ登ったものか、今では確認のしようがない。北京で生涯を終えてしまった。酒もたばこも強かった。
<宇都宮事務所で怪気炎の久保記者>
三木派担当の久保さんは、相当な饒舌家で、しゃべりだしたら止まらない。リベラルの代表選手のような政治記者だった。要するに、当時の産経は経営陣と異なり、現場記者はみなまともで、ほとんどがリベラルな記者ばかりだった。
よく宇都宮事務所にも姿を見せていた。今どうしているだろうか。
現在の産経と以前のそれは、質・レベルにおいて全く違っていた。現在は右翼好みの人間が現場に立っているのであろう。ソウル前支局長事件のおかげで、懐かしい思い出を書く機会を手にすることが出来た。
真の黒幕は財閥である。
2014年10月13日記
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