http://www.asyura2.com/14/senkyo172/msg/726.html
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https://twitter.com/ishiitakaaki/status/521261950106218496
石井孝明
@ishiitakaaki
そうなんですよね。日本財団図書館の60年代の朝日新聞北朝鮮賛美記事を読み、当時の新聞しか情報源がないことを考えたら騙されただろうと。(一読勧めます)https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2001/00997/mokuji.htm …
RT北朝鮮が「地上の楽園」だった時代 http://agora-web.jp/archives/1616402.html …
アゴラから
http://agora-web.jp/archives/1612189.html
きのうの言論アリーナの話は非常に複雑だったので、時系列的に整理しておく。
1982年9月:清田治史記者が吉田清治の嘘を記事にする
1983年11月:清田記者が「ひと」欄で吉田を取り上げる(慰安婦の話はない)
1990年9月:金丸信が金日成に80億ドル(1兆円)の賠償を約束
1991年8月:植村記者が「思い出すと今も涙」という記事で「女子挺身隊の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦」の記事を出す
1992年1月:宮沢訪韓の直前に「慰安所への軍関与示す資料」という1面トップ記事を出し、「朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」と解説する
1992年:東京社会部の記者(53)が「デスクの指示で吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれた」
1993年8月:河野談話を各社は「強制連行認める」と報じたが、朝日だけは「強制認める」と報じた
1997年3月:「従軍慰安婦 消せない事実」という特集記事で、吉田証言を「真偽は確認できない」と認めたが、訂正はしなかった
番組でもいったように、この問題のコアは慰安婦ではなく、男の強制連行である。吉田清治の話の中心も「徴用工狩り」で、清田記者も個人補償を日本政府に求めていた。男性の労働者は32万人いて、その関係者にすべて賠償すると1兆円ぐらいの規模になる。数十人の慰安婦は、それをsex upする見世物にすぎない。
1991年から92年にかけての一連の誤報事件が、金丸訪朝の直後に続けて起こったことは、偶然とは考えにくい。高木健一弁護士などが原告をつのって訴訟を起こそうとしていたのは人身売買だったが、それは男の強制連行には使えない。そこで遺族会の「戦時動員被害者」に慰安婦を含めるため、梁順任が植村記者に強制連行を入れるように情報操作した疑いが強い。つまり上のホワイトボードのように
金丸訪朝→1兆円賠償の約束→挺対協の強制連行キャンペーン→遺族会から植村記者への情報提供→朝日が「慰安婦の強制連行」を創作→宮沢首相が謝罪→河野談話→アジア女性基金
という形で朝日が北朝鮮の謀略に協力し、日本政府がそれにはめられたわけだ。もし1兆円の国家賠償が行なわれれば、梁順任は巨額の報酬を得て娘婿の植村記者にもキックバックがあり、それを指揮した清田記者にも報酬が出ただろう。
このような金銭関係より重要なのは、朝日が北朝鮮の宣伝工作の尖兵になったことだ。クマラスワミ報告書にも北朝鮮が「証言者」を提供し、国際女性戦犯法廷で検事をつとめた金虎男は北朝鮮の工作員だった。これを主催したのも、元朝日新聞記者の松井やよりである。若宮啓文主筆の「竹島をゆずれ」という発言など、朝日は一貫して朝鮮半島に便宜をはかってきた。
朝日新聞は70年代まで北朝鮮を美化するキャンペーンを張り、日本からの「帰国事業」を支援して、多くの人が帰ってこなかった。市川速水報道局長も『朝日vs産経ソウル発』で朝日の責任を認め、「社会主義幻想と贖罪意識に加えて、南の軍事政権と対峙していると考えて目が曇った」と反省している。
さらにおかしいのは、吉田証言の誤報を検証した1997年の特集記事を統括したのが、当の誤報を書いた清田外報部長であり、植村氏の大誤報の検証記事を統括したのが、彼と一緒に誤報を書いた市川報道局長だということだ。こんな泥棒が警察署長に出世して捜査するような「検証」では、とても疑惑の全容は解明できない。朝日は第三者委員会によって1982年以降の一連の誤報を検証し、韓国や北朝鮮との関係も明らかにすべきだ。
<参考リンク>
★私はこう考える【北朝鮮について】日本財団
https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2001/00997/mokuji.htm
朝日新聞
1959/12/25 朝日新聞朝刊
「ばく進する馬」北朝鮮 よくはたらく人々
1960/02/26 朝日新聞朝刊
北朝鮮帰還三ヵ月の表情 =きょう第十船が出る=
1971/09/27 朝日新聞朝刊
金日成首相「友好」を語る −後藤本社編集局長と会見−
1971/09/27 朝日新聞朝刊
金日成首相との会見記詳報 日本が敵視政策変えれば国交を結びたい
1971/11/17 朝日新聞夕刊
チュチェの国 北朝鮮 1 首都発見 中心部の25%が緑
1971/11/18 朝日新聞夕刊
チュチェの国 北朝鮮 2 豊かさの基準 家賃は月収の0.5%
1971/11/20 朝日新聞夕刊
チュチェの国 北朝鮮 3 女の地位 男並みの革命闘士
1971/11/22 朝日新聞夕刊
チュチェの国 北朝鮮 4 小さな革命家 思想重視する教育
1971/11/24 朝日新聞夕刊
チュチェの国 北朝鮮 5 仁術 医師と患者も同志
1971/11/25 朝日新聞夕刊
チュチェの国 北朝鮮 6 英雄たち 千里馬運動の象徴
1971/11/26 朝日新聞夕刊
チュチェの国 北朝鮮 7 板門店で “逢瀬”に悲願かけて
1971/11/27 朝日新聞夕刊
チュチェの国 北朝鮮 8 ミジェ 「米帝」に激しい憎悪
1971/11/29 朝日新聞夕刊
チュチェの国 北朝鮮 9 ウェノム 日本軍へも憎しみ
1971/12/02 朝日新聞夕刊
チュチェの国 北朝鮮 10 清津の涙 祖国選んだ九万人
1971/12/03 朝日新聞夕刊
チュチェの国 北朝鮮 11 訓民正音 漢字やめ文盲退治
1971/12/06 朝日新聞夕刊
チュチェの国 北朝鮮 12 指導者 現場で大衆に学ぶ
1978/11/24 朝日新聞夕刊
'78初冬 北朝鮮 1 一糸乱れず すべてに金日成主席
1978/11/25 朝日新聞夕刊
'78初冬 北朝鮮 2 教育の国 放課後にも勉強、勉強
1978/11/29 朝日新聞夕刊
'78初冬 北朝鮮 3 文化革命 芸術も娯楽も超健全
1978/11/30 朝日新聞夕刊
'78初冬 北朝鮮 4 安定 衣食住には心配なし
1978/12/01 朝日新聞夕刊
'78初冬 北朝鮮 5 女性解放 進学以外は全員就労
1978/12/02 朝日新聞夕刊
'78初冬 北朝鮮 6 涙 肉親の安否を気遣う
1985/05/14 朝日新聞朝刊
'85春 北朝鮮から 1 国際列車 夫婦で里帰りはいつ
1985/05/15 朝日新聞朝刊
'85春 北朝鮮から 2 変わる平壌 子供ら“外人慣れ”
1985/05/16 朝日新聞朝刊
'85春 北朝鮮から 3 後継者 実務執る金正日氏
1985/05/17 朝日新聞朝刊
'85春 北朝鮮から 4 経済開国 合弁法で経済に活
1985/05/18 朝日新聞朝刊
'85春 北朝鮮から 5 新しい波 TVで東欧映画も
1985/05/21 朝日新聞朝刊
'85春 北朝鮮から 6 昼寝廃止 早まった帰宅時間
1985/05/22 朝日新聞朝刊
'85春 北朝鮮から 7 安定社会 物価も給与も不変
1985/05/23 朝日新聞朝刊
'85春 北朝鮮から 8 サービス革命 消費多様化めざす
1985/05/24 朝日新聞朝刊
'85春 北朝鮮から 9 自然改造 大河を巨大運河に
1985/05/25 朝日新聞朝刊
'85春 北朝鮮から 10 農業優遇 増産へ手厚い補助
1985/05/28 朝日新聞朝刊
'85春 北朝鮮から 11 独立採算 能率向上へ厳しさ
1985/05/29 朝日新聞朝刊
'85春 北朝鮮から 12 平和の中で 戦争への警戒常に
1985/05/30 朝日新聞朝刊
'85春 北朝鮮から 13 離散家族 手紙出すすべなく
1985/05/31 朝日新聞朝刊
'85春 北朝鮮から 14 ハングル 背景に統一願う心
1985/06/01 朝日新聞朝刊
'85春 北朝鮮から 15 革命の跡継ぎ 園児から思想教育
1985/06/04 朝日新聞朝刊
'85春 北朝鮮から 16 独自の道 生産意欲は道徳で
1985/06/05 朝日新聞朝刊
'85春 北朝鮮から 17 切られた桜 「支配」の清算まだ
■手動弁開閉で人為ミスか ALPS試運転2時間で停止
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2014/04/post_9850.html
■青山繁晴のインサイドSHOCK!内閣府職員が変死した死因と韓国、北朝鮮などスパイとの関係を暴露!
https://www.youtube.com/watch?v=3uBPdtTTAms&spfreload=1
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