http://www.asyura2.com/14/senkyo172/msg/697.html
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朝日新聞はぶれませんね。
「昭和天皇実録」を政治利用し、「世論操作」に活用し、日本をおとしめています。
明大教授の山田朗氏がどんな人間か分かっていてこの記事です。
日本のために朝日新聞には潰れて欲しい。
https://twitter.com/cool_japan1016/status/519487665696030720
KJ
@cool_japan1016
朝日新聞が「昭和天皇実録」を取り上げている。戦犯は天皇陛下だと言いたい様です。明大教授の山田朗を調べてみたら、昭和天皇批判、慰安婦の強制性、侵略戦争と植民地、自衛隊縮小、村山談話の継承などを主張する反日教授。朝日は相変わらずです。
https://pbs.twimg.com/media/BzWXPzPCcAAKll4.jpg
<参考リンク>
■☆☆☆ 「九条の会」メルマガ詳細版
http://www.9-jo.jp/news/MagShousai/MMS090325.htm
九条の会・杉並(東京都杉並区)
講演会「田母神論文・ソマリア派兵からわかる自衛隊の危険な変貌」
日時:4月14日(火)午後6時30分〜8時30時
場所:杉並産業商工会館(杉並区阿佐ヶ谷3-2-19 03-3393-1501
JR中央線阿佐ヶ谷駅南口から徒歩5分)
講師:山田朗(明治大学教授)
主催:九条の会・杉並
連絡先:深野和之 03-3332-4925
…
■山田朗・明治大教授「強制連行の資料が無い事と行為が無かった事は別問題。安倍政権の認識が真実歪曲の出発点」
http://gensen2ch.com/archives/2455112.html
1: 蚯蚓φ ★:2014/01/19(日) 21:19:34.75 ID:???teacher-2056-1
日本軍慰安婦に対する安倍政権の立場が慰安婦の真実歪曲の出発点になっているという指摘が日本国内から出ました。
山田 朗(やまだ あきら)明治大文学部教授は今日、東京の明治大で「村山談話を継承・発展させる会」主催で開かれた公開学習会でこのように話しました。山田教授は特に「日本政府が発見した資料に慰安婦強制連行を見せる記述がないという事実と慰安婦強制連行がなかったということは別問題」と説明しました。
それと同時に「慰安婦強制連行を見せる資料がない」という日本政府の立場が「慰安婦強制連行はなかった」「女性たちが自由意志により慰安婦になった」という論理に変質していると批判しました。
山田教授はそのため、1995年の植民支配と侵略を認め謝罪した村山談話が'国際的信頼関係創出の出発点'だったとし、'歴史認識問題は国際的信頼関係構築の土台'と強調しました。
ソース:YTNニュース(韓国語) 日本教授、"安倍政権認識が真実歪曲出発点"
http://www.ytn.co.kr/_ln/0104_201401191712392464
■民医連新聞
明治大学山田朗教授にきく
北朝鮮の核実験、解決は?
http://www.min-iren.gr.jp/kenpou-heiwa/hankaku/2007/070106_04.html
たとえ、どんなに軍備を持っている国同士であっても、友好関係があれば怖くありませんね。しかしその関係が悪化すればするほど、お互いの軍備がむき出しになってゆきます。
そうなったとき一番怖いのは、判断力をなくすことです。「こうなれば、敵基地の先制攻撃や核武装もしょうがない」などと、普段なら一蹴されることを、パニックの中で認めてしまう、といった具合です。まだ実験段階で効力が定かでない弾道ミサイル防衛システムも、ひとたび導入すれば、兵器開発の実験台にもなるんです。
日本の国民は、世界で日本がどれだけ影響力があるか、をあまり認識していないのではないでしょうか。被爆国として、憲法九条を持つ国として、行動することが、アジアや世界の平和や核兵器の廃絶に向けて、大きな力を発揮できるはずなんです・・・・
■北野 隆一 @R_KitanoR 17 時間17 時間前
連載第14回。敗戦後、昭和天皇は「飢餓に瀕する日本国民を尻目に、天皇は莫大な財産を所有し安楽に暮らしている」との米国側報道を気にして、皇居を放棄し世田谷区砧か港区白金への転居も考えたそうです/「昭和天皇実録」を読み解く)戦後・人間宣言へ:1 皇居明け渡しも検討 朝日新聞デジタル
■青年たちは雨に濡れて待っているにちがいない。私だけがテントの中にいるわけにはいかない。(昭和天皇)
http://www.asyura2.com/13/senkyo154/msg/102.html
■戦争拡大との戦い 昭和天皇かく語りき
〜昭和天皇のリベラル発言〜
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/peace-g.html
●昭和4年(1929)昭和天皇28歳
・「説明は聞く必要がない」(5月)…満州支配をもくろむ関東軍が暴走して張作霖爆殺事件が起きると、昭和天皇は軍の独走を懸念して田中義一首相に関係者の厳罰と軍紀粛清を命じた。ところが陸軍の反対で軍法会議すら開かれない。事態を言い訳しようとする首相に立腹し、「この前の言葉と矛盾するではないか」「説明は聞く必要がない」と宮中の奥へ立ち去った。
・「将来陸軍軍人はかかる過ちを再びなさざるように」…張作霖爆殺のような事件の再発防止を訴えて。
●昭和6年(1931)30歳
・「軍紀がゆるむと大事を引き起こす恐れがあるから、軍紀は厳守するようにせねばならぬ」(4月)…“三月事件”(陸軍将校のクーデター未遂事件)に際して陸相に軍紀粛清を命じる。
●昭和7年(1932)31歳
・「自分は国際信義を重んじ、世界の恒久平和の為に努力している。それがわが国運の発展をもたらし、国民に真の幸福を約束するものと信じている。しかるに軍の出先は、自分の命令もきかず、無謀にも事件を拡大し、武力をもって中華民国を圧倒せんとするのは、いかにも残念である。ひいては列強の干渉を招き、国と国民を破滅に陥れることになっては真にあいすまぬ」
・「陸軍が馬鹿なことをするから、こんな面倒なことになったのだ」(4月頃)
…関東軍の満州国建国によって、日本が世界各国から非難を浴びたため。
●昭和8年(1933)32歳
・「予の条件を承(うけたまわ)りおきながら、勝手にこれを無視たる行動を採るは、綱紀上よりするも、統帥上よりするも、穏当ならず」(5/10)…参謀総長が熱河省への進軍許可を求めた時、天皇はすぐに撤退することを条件に許可した。ところが、撤退後に再び関東軍が華北(中国北部)に侵入したため強い不満をもらした。
●昭和10年(1935)34歳
・「軍部に対して安心ができぬ」
・「君主主権はややもすれば専制に陥りやすい。(略)美濃部のことをかれこれ言うけれども、美濃部はけっして不忠な者ではないと自分は思う。今日、美濃部ほどの人が一体何人日本におるか。ああいう学者を葬ることはすこぶる惜しいもんだ」
・「機関説でいいではないか」
・「思想信念をもって科学を抑圧し去らんとする時は、世界の進歩は遅るるべし。進化論の如きも覆(おお)へさざるを得ざるが如き事となるべし。(略)思想と科学は並行して進めしむべきものと思う」(4月)
…憲法学者・美濃部達吉が「国家の統治権は天皇にあるのではなく、国家(法人)に属し、天皇は国家に従う“最高機関”にすぎない」と天皇機関説を唱えると、政府・軍部は「天皇の統治権は絶対無限である」として天皇機関説を否定した。だが、天皇は美濃部を擁護していた。
・「日系官吏その他一般在留邦人が、いたずらに優越感を持ち、満人を圧迫するようのことなきよう、軍司令官に伝えよ」(4月)…天皇が陸相に伝えた、満州の関東軍司令官に対する注文。
●昭和11年(1936)35歳
(二・二六事件に際し)
・「とうとうやったか」
・「まったく私の不徳のいたすところだ」
・「速やかに暴徒を鎮圧せよ」(2/26)
・「朕(ちん)の軍隊が命令なく自由行動を起こしたことは反乱軍と認める、反乱軍である以上速やかに討伐すべきである」(2/27)
・「朕ガ股肱(ココウ)ノ老臣ヲ殺戮ス、此ノ如キ凶暴ノ将校等、其精神ニ於テモ何ノ恕(ジョ)スベキモノアリヤ」(私の手足となって働く老臣を殺戮するという、このように凶暴な将校たちは、どんな理由があろうと許されはしない)(2/27)
・「朕ガ最モ信頼セル老臣ヲ悉ク倒スハ、真綿ニテ朕ガ首ヲ締ムルニ等シキ行為ナリ」(私が最も信頼する老臣をことごとく殺すことは、真綿(まわた)で私の首を締めるに等しい行為だ)(2/27)
・「朕自ラ近衛師団ヲ率イテ、此レガ鎮定ニ当タラン、直チニ乗馬ノ用意ヲセヨ」(私が自ら近衛師団を率いて鎮圧に当たるから、すぐに乗馬の用意をせよ)(2/27)
・「自殺スルナラバ勝手ニ為スベク、此ノ如キモノニ勅使ナド以テノ外ナリ」(反乱将校が自殺するなら勝手にすればいい。あのような連中に勅使などもってのほかだ)(2/28)
※二・二六事件については、41年が経った1977年2月26日になっても、卜部亮吾(うらべりょうご)侍従人に「治安は何もないか」と就寝前に尋ねており、当事件の衝撃が脳裏に焼き付いていることがうかがえる。
・「第二の満州事変の勃発ではないか」(11月)…関東軍が事前報告せず満州の西のチャハル省に蒙古族の自治政府を作ろうとしたことについて。
●昭和12年(1937)36歳
・「(お前がそう言うなら)外国新聞の東京駐在記者を官邸に呼んで、陸軍大臣自ら帝国には領土的野心がないことをはっきり言ったらどうか」(9/10)…支那事変への国際社会の非難が高まるなか、“軍部に領土的野心はありません”という杉山陸相に。
●昭和13年(1938)37歳
・「この戦争は一時も早くやめなくちゃあならんと思うが、どうだ」(7/4)…戦線拡大を続ける支那事変を憂慮し、板垣陸相と参謀総長・閑院宮(かんいんのみや)を呼び早期解決を問うた。対ソ戦を考えると中国と戦っている場合ではなかった。
★「元来陸軍のやり方はけしからん。満州事変の柳条湖の場合といい、今回の事件の最初の盧溝橋のやり方といい、中央の命令には全く服しないで、ただ出先の独断で、朕の軍隊としてあるまじきような卑劣な方法を用いる様なこともしばしばある。まことにけしからん話であると思う」
・「今後は朕の命令なくして一兵でも動かすことはならん」(7/21)
…板垣征四郎陸軍大臣に。この板垣陸相はかつて満州事変を画策した人物。
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