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朝日新聞は許されるべきか、許されるべきでないか 新聞記者たちが論じる慰安婦報道の病巣と朝日再生
http://diamond.jp/articles/-/60356
2014年10月10日 池田園子 ダイヤモンド・オンライン
一時期より落ち着いたとはいえ、従軍慰安婦報道問題に関する朝日新聞批判は収まる気配を見せない。その煽りを受け、世間では新聞報道全体への不信感が高まっている。足もとでは、朝日の記者をはじめ、同業の新聞記者たちの口からも辛辣な声が聞こえてくるようになった。朝日新聞は許されるべきか、許されるべきでないか――。現役新聞記者・元新聞記者たちの生の声を通じて、改めて問題の背景を検証し、今後朝日が進むべき道を考えたい。(取材・文/池田園子、編集協力/プレスラボ)
■続く迷走と朝日新聞バッシング 問題の本質はどこにあるのか?
朝日新聞は許されるべきか、許されるべきでないか――。
一時期より落ち着いたとはいえ、朝日新聞批判は収まる気配を見せない。目下、多方面から激しい朝日新聞バッシングが起こっている。10月6日の衆院予算委員会では、安倍首相が「(従軍慰安婦に関する誤報が)日韓関係に大きな影響、打撃を与えた。記事によって傷ついた日本の名誉を回復すべく、今後努力してほしい。報道機関の責任は重い」という趣旨の発言をした。
ことの発端は、朝日新聞が8月5日付と6日付の朝刊で、「慰安婦問題を考える」と題した検証記事を掲載し、従軍慰安婦に関する過去の自らの報道を誤りだったと認めたことにある。誤りがあったとされたのは、従軍慰安婦報道の中核を成す、いわゆる「吉田証言」に関してである。それとほぼ時を同じくして、福島第一原子力発電所事故に関する、いわゆる「吉田調書」にまつわる報道が不適切だったことも明らかになった。
同時期に2つの「吉田問題」への釈明を行ったり、9月末には(従軍慰安婦問題の)吉田証言に関する記事の執筆者が異なっていたことについて二度目の訂正を出したりと、朝日報道の迷走ぶりは深刻だ。
「新聞報道全体に対する世間の不信感を募らせた」「朝日は廃刊すべきではないか」――。足もとでは、識者のみならず、朝日の記者をはじめ、同業の新聞記者たちの口からも辛辣な声が聞こえてくるようになった。従軍慰安婦報道問題は、今や新聞というメディアの岐路を語る上においても、象徴的な騒動として捉えられ始めているのだ。
そこで今回は、現役新聞記者・元新聞記者たちの生の声を通じて、改めて従軍慰安婦報道問題が批判されている背景を検証し、今後朝日新聞が進むべき道、さらには日本の新聞報道が肝に銘じるべき教訓について、考えてみたい。
■15年間「吉田証言」を報道し続けた罪 遅きに失した検証記事とようやくの謝罪
まず、従軍慰安婦報道問題の経緯を整理しておこう。問題の報道が初めて掲載されたのは、1982年9月2日の大阪本社版朝刊社会面。大阪市内で開催された講演で、韓国・済州島(チェジュド)で「若い朝鮮人女性200人の強制連行を行った」と証言した、故・吉田清治氏の発言を紹介したのだ。当時本記事を執筆した記者は、講演の内容に疑いを持たなかったという。
その後、朝日新聞は吉田氏に関する記事を16回にわたって掲載した。1992年には他紙や週刊誌などから、吉田証言の信ぴょう性を疑う報道が相次いだものの、朝日新聞は意に介さぬスタンスで報道を続けてきた。
状況が一変したのは1997年。特集記事執筆にあたり、同社の記者が吉田氏に面会を依頼すると拒まれ、「創作ではないか」とする報道があることを指摘すると、「実体験をそのまま書いた」と主張されたという。その後、朝日新聞側は済州島で取材を行い、吉田証言の裏付けは得られなかったが、紙面には「真偽は確認できない」と表記するにとどまった。
さらに今年4〜5月にも、済州島で約40人の高齢者を取材したところ、強制連行を裏付ける証言は一切得られなかった。
今回、朝日が従軍慰安婦報道の検証記事を掲載するに至った背景には、こうしたいきさつがあった。「読者のみなさまへ」と題した8月5日の記事には、こう記されていた。
「吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました」(朝日新聞デジタルより引用)
しかし、この時点で謝罪の言葉は一切なく、他紙や週刊誌、ネット上では批判の声が上がっていた。それを受けて、9月12日には朝日新聞の木村伊量社長から、次のような謝罪のメッセージが公表された。
「(中略)朝日新聞は8月5日付朝刊の特集『慰安婦問題を考える』で、韓国・済州島で慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の証言に基づく記事について、証言は虚偽と判断して取り消しました。戦時の女性の尊厳と人権、過去の歴史の克服と和解をテーマとする慰安婦問題を直視するためには、この問題に関する過去の朝日新聞報道の誤りを認め、そのうえでアジアの近隣諸国との相互信頼関係の構築をめざす私たちの元来の主張を展開していくべきだと考えたからです。この立場はいささかも揺らぎません。
ただ、記事を取り消しながら謝罪の言葉がなかったことで、批判を頂きました。『裏付け取材が不十分だった点は反省します』としましたが、事実に基づく報道を旨とするジャーナリズムとして、より謙虚であるべきであったと痛感しています。吉田氏に関する誤った記事を掲載したこと、そしてその訂正が遅きに失したことについて読者のみなさまにおわびいたします」(朝日新聞デジタルより引用)
■歪んだ歴史認識を流布、新たなミスも発覚 朝日はこれから出直すことができるのか?
とはいえ、時すでに遅し。世間の目は厳しさを失わなかった。これに追い打ちをかけるような内容が9月29日に発表され、新たな批判が噴出したことも記憶に新しい。
「初報は1982年9月2日付大阪本社朝刊の記事として、『執筆した大阪社会部の記者(66)は「講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった」と話す』と記しました。しかし、その後、この元記者は当該記事の執筆者ではないことがわかりました。おわびして訂正します。
元記者は社内の取材班の調査に対し、当該記事を含めて吉田氏に関する記事を数本書いたと認めていました。しかし、元記者がその後、海外への渡航記録を調べたところ、大阪市内で講演のあった82年9月1日時点で国内にいなかったことが判明し、記憶違いであることが確認されました。その後の吉田氏に関する記事は実際に書いていました」(朝日新聞デジタルより引用)
8月5日の特集記事掲載後、当時大阪社会部にいた別の元記者が「初報は自分が書いた記事かもしれない」と名乗り出ているのだという。
記事の内容にとどまらず、執筆者までも誤りだったと二重のミスを認めた朝日新聞。吉田証言が疑問視されるようになって以来、20年以上も問題を放置してきたことに批判が集まっているが、それに加えて新たな疑惑も生み出してしまうこととなった。
とりわけ、誤った歴史認識を世界に拡散させた同紙の罪は、決して小さいとは言えないだろう。1990年代以降、朝日報道の影響を受け、慰安婦問題は日韓の外交問題にまで発展している。1993年に発表されたいわゆる「河野談話」は、日本が慰安婦問題における「強制性」を認めたと、全世界に受け止められた。
また、1996年に国連人権委員会に報告されたクマラスワミ報告(「女性への暴力特別報告」に関する10本の報告書)では、慰安婦が「性奴隷制」と指摘され、日本政府に謝罪や賠償が勧告されている。
■「決して他人事とは思えない」 新聞記者たちが論じる慰安婦報道の病巣
これが、従軍慰安婦報道問題の大まかな一部始終である。確かにこうして見ると、朝日新聞のメディアとしての威厳は地に堕ちてしまったと思われても仕方がないと言えよう。「なぜ、こんなことになってしまったのか」「報道とはいったい何なのか」――。こうした現状を、現役記者・元記者たちはどう捉えているのだろうか。現役新聞記者、元新聞記者3人に、朝日新聞に対して思うこと、朝日がこれから目指すべき姿などについて、率直な意見を聞いた。
まず1人目は、全国紙記者のAさん(30代女性)だ。Aさんは「決して他人事とは思えない話」と不安な気持ちを露わにする。
「取材対象者の発言を信じて記事にしたものの、その発言内容が誤りだったというのは、報道機関において100%起こらないとは言えないミスです。当然裏を取ったり、複数の関係筋に同じ話を聞いたりすべきですが、本件のような“特ダネ”になればなるほど、関係者が少なくなるのは事実。
万一外部に情報が漏れては困るため、社内でも必要最小限のメンバーにしか情報が明かされません。そのため、固有名詞レベルでのチェックはできても、何重ものチェック機能や校閲機能が働かない場合もあります」(全国紙記者Aさん)
自社でも起こり得る話だと前置きした上で、他方面から厳しい批判が寄せられていることについては、戸惑いを感じるという。
「およそ30年前と現在の経営陣はまったく異なります。当時現場にいた方の多くはすでに退職していますし、自身が指揮したわけではないのに謝罪するのは、現社長も含めてとばっちりを受けているような気も。自分に置き換えて考えてみると、担当した記事の一部に誤りがあったと30年後に発覚しても、正直なところ認めたくはないですから……」(Aさん)
とはいえAさんは、謝罪の意を示したことは評価に値すると話す。
「長きにわたって『吉田証言にまつわる報道は間違いだ』と、他紙をはじめ複数のメディアから指摘されていました。誤りを認めたタイミングがかなり遅かったとはいえ、謝罪をしたという事実は結果的によいことだったと感じます。影響力のある全国紙で訂正記事を出したことは、大きなダメージだったと思いますが……。
同じ新聞というメディアで働く者として、言論・報道機関において一度世に出したものを『誤りだった』と認めるのは、非常に勇気がいることです。謝罪したくなかったという気持ちは理解できます。実際、多くの新聞社では些細なミスが発覚しても、そのまま放置してしまうことが多いです。逆に弊紙で同様のことが起きても、経営陣は謝らないのではと感じます」(Aさん)
■訂正・謝罪を避けてきた背景には朝日なりの強固な「理論武装」が
2人目は元地方紙記者のBさん(30代男性)。Aさんと同じく、新聞社において「訂正記事は出さないことが前提」だと語る。
「新聞社が訂正記事を出すことを極端に嫌うのは、新聞が持つ絶大な信頼性という根本部分が揺らいでしまうためです。一般の人にとって、メディアの中でも特に信頼度の高い新聞が間違った報道をしたとなると、世間の見方は当然厳しいものになります。私が所属していた新聞社では、記事に誤りが発覚すると、反省文を書かされていました」(Bさん)
また、朝日新聞という会社が持つ独自のバイアスも、この問題を語る上で欠かせない要素だとBさんは指摘する。
「朝日新聞で優先的に掲載されるテーマは、『人権』に関するもの。もともとは右翼系だったのが、次第に左翼系へと転向していったのが朝日新聞です。しかし、右翼・左翼というのは昔の話。今現場にいる若い記者の中には、それほど極端な思想を持った人はいないように感じます」(Bさん)
朝日が今夏まで誤報道の訂正・謝罪を引き伸ばしてきたことに対して、Bさんは「タイミングは遅きに失した印象が拭えない」とするものの、朝日新聞なりの理論武装があったのではないかと見ている。
「朝日新聞は、原稿のチェック機能が厳しい媒体です。現場の記者と情報交換をしたことがありますが、その取材スタイルは非常に入念。たとえば選挙取材においても、立候補者が『会社役員』と名乗っている場合、登記簿謄本まで取り寄せて、事実確認をしてから書くという徹底ぶりです。
とはいえ、昔現場にいた記者が取材対象者の言葉を信じて、そのまま掲載してしまったことは事実。当時のチェック体制の甘さが問題になったのでしょう。ただし、朝日新聞としては自社が展開する主張に誤りがあったのではなく、記者が取ってきた“取材対象者の発言”に誤りがあったという点にロジックを持たせて、今日まで謝罪を避けてきたのだと思います」(Bさん)
■読者が信じる「一流新聞」の先入観 その牙城が崩れ去るときが来たのか
元全国紙記者Cさん(60代男性)も、Bさんと同様にチェック機能の不備を指摘する。
「記者であれば取材後に現地へ赴き、内容の真偽を確認するのが普通です。また、ガセネタを掴まされている恐れもありますから、記者がスクープを取ってくれば、デスクが再チェックをするのは当たり前。本来誤報は許されないため、デスクだけではなく副編集長、編集長までチェック機能が働いているはずです。それにもかかわらず、ああいった誤報を出してしまうのは、御注進ジャーナリズムが働いているからでしょう」(Cさん)
御注進ジャーナリズムとは、今回の場合、中国・韓国寄りに立った視点で日本を見て、両国から反発が起こると予想できる内容を大袈裟に報じ、さらに彼らの反応を大々的に報じて、騒ぎを大きくする手法を指す。中立公平な視点に立つのではなく、あえて意図的な書き方を行うことだ。
「特に大正〜昭和期の朝日新聞には、前日の主張が翌日には変わってしまうというような、特殊な体質がありました。たとえば大正デモクラシーを支持する視点で報道を行った結果、右翼から叩かれたために、左翼化した経緯もあります。戦時中は軍国主義を礼賛し、戦後は占領軍の路線へと傾倒していったように、変説するのが常でした」(Cさん)
Cさんが勤めていたのは、朝日新聞のライバル紙を発行する新聞社。それゆえに当時から朝日新聞の論調をウォッチしていると、「国際社会において日本の立場を弱くする材料」に飛びつく傾向があると感じていたのだという。さらにCさんに危惧していることを尋ねると、次のような回答が出た。
「私は記者職だったこともあって、1970年代から数紙を読み比べていましたが、一般読者は一紙しか読まないのが普通。それだけに『○○新聞は正しい』と、報道内容を無条件に信じてしまいます。読み比べると各紙の主張は全く異なりますが、一紙だけを読み続けるとある種のマインドコントロールが起こります。だからこそ、新聞は長く生き延びられてきました。その前提が崩れてしまうと『新聞自体が信用できない』となり、今以上に新聞離れが進んでいくことになるでしょう」(Cさん)
しかし、このことについて、前出のBさんは別の見解を示す。
「あらゆる新聞の信頼度がなくなったとは、感じません。ただ、現在の新聞購読者の中には、“購読をやめる理由”を探している人も相当数います。『勧誘に来られるから』『断りづらいから』と、ある種の惰性で購読している人も少なくありません。しかし、朝日新聞がここまでバッシングされるようになると、次回更新時に『ああいう出来事が起きたから信頼できない』と切る理由ができます。そうやって、少しずつ読者が離れていく可能性はあるでしょう」(Bさん)
ただし、「朝日新聞=一流の新聞」と認識しがちな一般の読者の間でそうした動きが広がる程度で、「以前から朝日新聞に対して否定的な見解を表明していたネット住民の反応には、それほど変わりはないだろう」とBさんは分析する。
■スクープ報道とそれを支えるチェック機能とのバランスが重要
では、同社が再生するために、今後取り組むべきことは何か。そして、世間や読者からの信頼を取り戻せるようになるだろうか。3氏に率直な意見を語ってもらった。
「社内が萎縮した雰囲気になる可能性が高まりますが、チェック機能を強化させるしか手立てはないのではと思います。誤報は決してあってはならないことですが、人が行うことですからミスを完璧になくすことは不可能でしょう。とはいえ、社外の反応を気にしすぎるあまり、すでに発表されたことを報道するのでは、戦時中の報道の仕方と何ら変わりません。
新聞の権力監視機能を知らしめるためにも、インサイダーからの特ダネを報道することは役割としては必要であり、それがもたらす効果は非常に大きいと感じます。スクープ報道とそれを支えるチェック機能とのバランスが、重要ではないでしょうか」(全国紙記者Aさん)
「本問題にまつわる一連の論争を見ると、『朝日新聞が全て間違っている』といった論調が多く見受けられますが、私は必ずしもそうとは思えません。個人的には、謝罪すべきところは謝罪し、論陣を張るところは張るべきだと考えます。
それを実現するには、『事実は〜だった』と読者に示せるよう、この問題を再取材することが必須です。そもそも新聞社にできるのは、取材した内容を地道に、かつ正確に伝えることしかありません。複雑化した従軍慰安婦問題において“真実を明らかにすること”こそが、今最も求められているのだと思います」(元地方紙記者Bさん)
9月12日、朝日新聞は慰安婦報道について次のように伝えている。ここに示した内容を真摯に実行するべきだろう。
「慰安婦報道については、PRCとは別に社外の弁護士や歴史学者、ジャーナリストら有識者に依頼して第三者委員会を新たに立ち上げ、寄せられた疑問の声をもとに、過去の記事の作成や訂正にいたる経緯、今回の特集紙面の妥当性、そして朝日新聞の慰安婦報道が日韓関係をはじめ国際社会に与えた影響などについて、徹底して検証して頂きます。こちらもすみやかな検証をお願いし、その結果は紙面でお知らせします」(朝日新聞デジタルより引用)と伝えている。
■許されるべきか、許されるべきでないか 答えは朝日が踏み出す再生の途上に
前出の元全国紙記者、Cさんはこう指摘する。
「これまでと路線を変えないまま、中韓におもねる視点で報道をし続けるか、路線を変えて悔い改め、中立公平な報道を行うか、そのどちらかしかないと思います。後者の場合、複眼思考で事実を正しく伝えることが何よりも必要。他紙で報道されているように、言い逃れをしようとしたり、問題をすり替えたりする姿勢を改めることが大事ではないでしょうか」
取材して得た事実を、中立公正な視点で報道する。新聞社だけに限らない、あらゆるメディアに求められるこうした姿勢を、朝日はいま一度見せるべきなのかもしれない。
朝日新聞は許されるべきか、許されるべきでないか――。その答えは、朝日自身がこれから歩もうとする道の途上にあるはずだ。
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