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生活保護費は土井たか子さんの「私は大飯食らいです」で是正された?〈週刊朝日〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141008-00000005-sasahi-pol
週刊朝日 2014年10月17日号
元社民党党首で女性初の衆院議長も務めた土井たか子氏が85歳で亡くなった。昔からの知り合いでもある元朝日新聞コラムニストの早野透氏は追悼の辞をこう述べる。
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この夏もやたら暑くて、いまごろどうしておられるだろうなあと、しきりに土井たか子さんのことが思い出されていた。そこに8日遅れの訃報(ふほう)が届いた。
土井さんが傑出した女性政治家であることはいうまでもない。古いエピソードがある。往時の生活保護費は男より女が2割がた少なかった。なんで? 摂取カロリー量の差にあるという答弁にムカッときた。「私は大飯食らいです」。次の年、差別は是正された。
知り合ったのは、土井さんが衆院外務委員会の花形だった頃。私は朝日新聞の外務省担当記者。折々、勉強会と称して、ワインバーに出かけたりした。
1986年、社会党が選挙に負けて「ここはおたかさん以外ない」と委員長に担ぎ出された。断ったら女がすたる、やるっきゃないと引き受けた。
「中曽根総理、あなたは実に恐ろしい人です」と切り出した代表質問は、気迫にみちていた。一方で売上税導入をもくろんで軍拡とは! と土井さんは怒った。
そう、田中角栄が倒れて怖いものなしの中曽根康弘氏に対し、堂々と立ち向かったのが土井さんだった。中曽根政権の5年間で結局、「改憲」の糸口にたどり着けなかったのは、そこに土井さんが立ちはだかったからかもしれない。
早野さん、土井さんのこと、好きなんでしょ、これをあげるわと、ある速記者から一本のテープをもらった。聞いてみると、1988年11月、土井さんと長洲一二神奈川県知事の対談と懇親会の録音である。
二度と行こまい丹後の宮津 縞の財布が空となる
土井さんが朗々と歌っている。土井さんは「マイ・ウェイ」「ろくでなし」など洋風だけでなく、日本民謡もうまいんだ!
「土井さんのリサイタル、入場料をとれるわよ」「お金が入ったらリクルートの株を買いましょ」などと周囲がさんざめく。
翌89年7月の参院選。そのリクルート事件の政界腐敗、消費税への国民の不満が爆発、土井社会党が圧勝した。そのとき土井さんの名セリフ「山が動いた」を聞くことになる。
だが、社会党はドジな政党で、土井ブームで獲得した議席をたちまち失う。2000年をはさんで、政権交代と政界再編の風雲のまにまに社会党、のちの社民党も揺れる。でも土井さんはへこたれなかった。
某日のお昼、土井さんの行きつけの銀座の天丼屋で食べ、喫茶店でだべったとき、私は小沢一郎さんと手を組むのはやばいんじゃないの、とうるさく申し上げた。だって、自衛隊の海外派遣を進める小沢さんと土井さんは違うでしょ、と。この時期、小沢さんと組むか組まざるか、そこで政局が動いていた。
「小沢さんはいい人よ」
土井さんのむっとした答えが返ってきた。えっ、どうして。いま、小沢さんの懐刀(ふところがたな)の平野貞夫さんに聞くと、そりゃそうですよ、小沢さんは土井さんが納得しなければ自衛隊を出すわけにはいかんということでしたからね、というのである。なるほど、土井さんの「護憲」の旗印は、小沢さんをして自制せしめていたのか。
土井さんが政界を引退、神戸にひっこんで5年になる。その間に、第2次安倍晋三政権が誕生した。秘密保護法とか集団的自衛権とか、土井さんが元気なら大きい目をむいて叱りつけるだろう。今の政界でおたかさんの平和主義の遺産をだれが引き継ぐのか、はなはだ心もとない。
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