30. 天橋立の愚痴人間 2014年10月02日 11:31:56
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http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/hitokuchi023.html >ジョン万次郎の会坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像は、高知県を象徴する荒海の土佐湾に面して、海を見つめて立っている。中岡は室戸岬の突端に、龍馬は土佐湾のほぼ中央の桂浜にある。中岡の左手は刀を待ち、右手は腰にしっかりと添えられ、その姿はいかにも武士らしい。 ちなみに、地元の土佐では、意外なことに龍馬より中岡のほうが人気がある。「龍馬は商売人だから」というのがその理由らしい。とはいっても、龍馬は若い人に人気がある。彼の銅像は中岡とは対照的に右に身を傾け、右手を懐に入れているが、その手は拳銃を握っているといわれている。 土佐の英雄といえば、この中岡と龍馬のふたりと考えるのが一般的だろう。ところが、思わぬ人物がもうひとり、土佐には存在するのである。しかもこのところ、その人物の業績が急速に再評価され、土佐の英雄になりつつある。 中浜万次郎――ジョン万次郎である。 彼の銅像も土佐にある。東の室戸岬とは反対の西の奇岩を呈する足摺岬に、黒潮が渦巻く突端の断崖に立っているのだ。銅像が立てられたのは、1968年7月11日。地元のライオンズクラブの有志が中心となって設立された。 そして、1991年11月7日には「ジョン万次郎漂流150周年」を記念して、「ジョン万次郎の会」が東京の憲政会館で結成されたが、その会長に選ばれたのは、およそらしからぬ人物だった。ロックフェラーといえば、アメリカのフリーメーソンのトップであるが、そのロックフェラー人脈のひとりである民主党党首・小沢一郎氏である。 当時、彼はまだ自民党にいたが、3年後の細川連立内閣ができたとき、新生党を設立して参加し、連立内閣の陰の実力者となった。その新生党設立の際、当時の駐日大使のマイケル・アマコスト(現在はロックフェラーの米ブルッキングス研究所所長)を介して、ロックフェラーから約500億円の資金を提供されたといわれている。 高知出身でもない岩手選挙区の小沢一郎氏が、なぜ「ジョン万次郎の会」の会長になどなったのだろうか? この会は彼の政治力を利用して、当時の外務省、通産省、郵政省、建設省、運輸省、自治省のなんと6つの省庁の許可のもと、その共同管理ということで設立された。 しかも、わずか1年という異例の早さで承認され、設立年の9月、自動車、電車、電機、電力など財界の主要団体に、文書で5000万から6000万の寄付を要求し、3か月足らずでなんと5億6000万円もの設立運営資金を集めている。このことは国会でも問題となり、自民党の中川秀直議員によって追求された。これに対し、当時の柿沢弘治国務大臣と羽田孜首相は、のらりくらりと国会答弁して、責任の所在を曖昧にして逃げた。 この会の目的は、日米の草の根交流の原点であるジョン万次郎を歴史の中から発掘し、彼の精神(ジョン万スピリッツと呼ぶ)を広め、日米友好関係を深めようというものだ。具体的には、日米交換留学制度や日米の草の根交流サミットなどの国際交流を行なっている。 だがなぜ、急にまたジョン万次郎にスポットを当てようとしているのか。その理由は、彼の銅像が立つ足摺岬に行けばすぐにわかる。黒潮の風が強い足摺岬に、それはまるで古武道家のようなたたずまいで立っている。だがよく見ると、右手は強く握りしめ、左手には、なんと直角定規とコンパスを持っているではないか! 直角定規とコンパスといえば、フリーメーソンのシンボル・マークである。あのトーマス・グラバー邸の石柱に刻まれていたものとまったく同じ直角定規とコンパスが左手に握られているのだ。 ジョン万次郎はフリーメーソンだったのだろうか。だとすれば、これまでの謎がすべて解けるのである。そして、ロックフェラーの息のかかった小沢一郎がなぜ、会長になったのかもわかるだろう、ジョン万次郎は日本におけるフリーメーソンの第1号だったのか!? >小沢一郎と東京電力「蜜月21年」 (週刊文春6月9日号134-135ページより) http://esashib.com/ozawa02.htm 一九五五年の自民党誕生直後に、原子力の平和利用を促進する原子力基本法が制定された。以来、五十年以上にわたり電力業界と自民党との蜜月は続いてきた。 一方で、労働組合の電力総連も野党に議員を送り込み続け、その系譜は現在の民主党に引き継がれている。 東京電力を始めとした電力業界の触手は、政界に網の目のように張り巡らされてきたのだ。果たして、東電の“毒マンジュウ”を喰った政治家たちに、原発処理や賠償問題ができるのか。 現役議員の中で、東電と最も長く深い関係にあるのは、小沢一郎・民主党元代表だ。 東電と小沢との関係は、20年以上の長きに及ぶ。 小沢の財界における最大の後ろ盾は、長らく平岩外四・東電元会長だった。 経世会旗揚げ前の竹下登が、平岩に「小沢のための会を作ってやってくれ」と頼み、財界人で小沢を囲む「一政会」ができた。1980年代半ば、小沢が自民党幹事長になる前のことだ。 90年11月、豪腕幹事長として絶頂にあった小沢は、日米の草の根交流を図るべく「ジョン万次郎の会」を設立した。平岩は、その発起人にも名を連ねた。 この「ジョン万次郎の会」は今もあり、もちろん小沢も会員であり、東電の勝俣恒久会長は理事です。勝俣と小沢は囲碁仲間として親交が深いということも有名です。二人は六本木の高級会員制囲碁サロンの会員仲間です。小沢が自民党から民主党の幹事長になっても、勝俣だけは小沢と直接会い話しができたといいます。 あの「原発事故は神様の仕業としか説明できない」といって東電を擁護した与謝野馨経済財政担当大臣も、東電とは縁が深い。 JR東海の葛西会長が発起人を務める「四季の会」は、与謝野馨と安倍晋三の二人を財界人が囲む会ですが、その中にしっかりと勝俣会長がいます。与謝野馨は日本原子力発電に就職後中曽根の秘書を経験してきた人ですから、原発の子みたいな人です。 中曽根はもちろん日本に原発をもちこんだ正力に次ぐ、2番目のキィーパーソンです。与謝野は電気事業連合会がスポンサーの政治番組の司会をずっとやっていましたから、何があっても東電を悪くいうわけがないのです。 それから民主党の渡部恒三も忘れてはいけません。彼はなんと福島県出身です。原発を推し進めた田中角栄のもとで通産政務次官を務め、そのときにあの電源三法が成立しました。通産大臣も経験し、電源立地等推進本部事務局長として福島に積極的に原発をもちこんできた張本人です。渡部は、福島第二原発をヘルメット姿で訪問し「万が一も許さぬ安全対策を再確認」と絶賛したとされます。 さらに東電との関係では、あの桝添要一も外せません。彼は、東電との共催などの名目で何度も講演し、1回100万円以上の講演料を取ってきました。 加納時男元東電副社長は、参議院議員時代は選挙のとき、東電関連の会社を含めて億単位のカネを半ば義務的に集めさせていたといいます。もちろんエネルギー政策を東電などに都合のいいようにするために放たれた東電の刺客です。 東電との癒着では甘利明元経産大臣は外せません。自民党の立ち上げた震災後の会議体では、委員長が甘利、参与が加納です。この会議は原発推進派の集まりというだけのことです。 電力総連からカネをもらっている民主党議員では、小林政夫参議院議員、藤原正司参院議員が有名です。前者は東電労組出身、後者は関電労組出身です。この電力総連の主催する会には、近藤洋介前経産政務官や中山義活政務官、安住淳国対委員長、細野豪志補佐官など40人以上の民主党原発推進議員が参加しています。 こうした人たちが東電に都合のいい主張を言ったときは、信用してはいけません。また、あの小沢は日本のマスコミには強権無視の態度ですが、米紙にはニコニコしながらよくしゃべります。その小沢が米紙に「こういう状況になると、東京電力の責任に転嫁したって意味がない」と話したということが週刊文春に掲載されています。東電の責任がなし崩しにされようとしています。 93年6月、小沢が自民党を飛び出し、8月に細川連立政権を作った。 その直後の9月、当時経団連会長だった平岩は、それまで長年おこなわれてきた自民党への政治献金の斡旋を中止した。自民党殲滅をめざした小沢は喜んだ。 平岩氏といえば、七六年から九三年まで東電の社長、会長を歴任し、九〇年から九四年までは経団連の会長を務めた東電、財界のドンである。〇七年五月、平岩氏(享年九十二)の訃報に小沢氏は<若い時から大変目をかけていただいた。大樹を失った悲しみをかみしめ、心からご冥福をお祈りする>との談話を出したが、三十歳近く年の離れた二人の蜜月は並大抵のものではなかった。 「九〇年十一月、豪腕幹事長として絶頂にあった小沢さんが、日米の草の根交流を図るために『ジョン万次郎の会』を設立しましたが、平岩さんはその発起人にも名を連ねた」(同前) 別の古参の政治部記者はこんなエピソードが印象に残っているという。 「九三年六月、小沢氏が自民党を飛び出して、八月に細川連立政権を作った。直後の九月、平岩さんは経団連の会長として、それまで長年行われてきた自民党への政治献金の斡旋を中止した。自民党殲滅(せんめつ)を目指した小沢さんがどれほど喜んだか分かりません」 平岩氏を源流とした、小沢氏と東電との深い関係は随所で力を発揮したようだ。ある政治ジャーナリストはこんな話を明かす。 「阿部力也という世田谷区議がいますが、彼は小沢さんが自民党幹事長だった頃の秘書です。その後、東電のグループ企業である東電不動産に入社し、区議選に立候補。今も同社から給料を貰いながら、区議の仕事をしています。政治家の秘書を辞めた人間がいきなり東電グループに入社できたのは、小沢さんの口添えがあったからに違いないと言われました」 当の阿部氏に尋ねると、小沢氏の秘書だったことも、東電不動産の社員で報酬もあることも認めたが、小沢氏の口添えで入所したわけではない、と答えた。 また前述した「ジョン万次郎の会」は、今も小沢氏が会長で、東電の勝俣恒久会長が理事を務めている。(4月時点で勝俣氏は顧問) さらにその勝俣氏と小沢氏は囲碁仲間でもあるという。財界関係者が明かす。「六本木のANAホテルの三十七階に、高級会員制囲碁サロンがあります。小沢さんと勝俣さんはここの囲碁仲間で、勝俣さんは『囲碁では小沢さんに負けないんだ』とうれしそうに言っている。〇九年の政権交代後、幹事長として鳩山政権を牛耳っていた小沢さんに会いたくても会えない財界人が多い中、勝俣さんは囲碁の縁を通じて小沢さんに食事会を持ちかけた。三井物産の上島重二元会長と新日鉄の今井敬名誉会長も加わって四人で数回会食したそうです」 ※ まあ財界、アメリカの人脈を絡めた社交クラブのようなもの。 その代表に小沢がいることを揶揄しているのです。
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