07. 2014年10月07日 16:34:09
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NHK・・返す返すもおそろしい放送局だ。 このブログ主さんの引用したソースが削除されていたので、全文転載します。 結論から言えば、村岡花子さんは世界支配層の手先だったわけです。スパイね。 聖公会やら(財)日本キリスト教婦人矯風会や市川房江さんの名前が出て来るから これまた西早稲田に直結ですわ。 日野原某さんも懇意だったんでしょうかね。 マシュマロマンブログ http://blogs.yahoo.co.jp/chugamo2008/33758550.html 村岡花子(童話作家)の闇(上) http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/c/bae45889cbb98f3789386194daeb2a10 (削除) (村岡花子の写真) 村岡花子はモンゴメリ作の『赤毛のアン』の翻訳者として著名な翻訳家・童話作家である。 東京は大森に「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」があって、生前の書斎の様子が保存されている。 そのホームページは以下。 「ようこそ赤毛のアン記念館・村岡花子文庫へ」 http://club.pep.ne.jp/~r.miki/index_j.htm 南郷継正先生も推薦の『赤毛のアン』なので、その翻訳者を俎上にあげて叩くのはやや気が滅入る話であるが、村岡花子の“国家的犯罪”を避けて通るわけにはいかない。
村岡花子は童話作家としての顔のほかに、戦前、戦中を通してアメリカのスパイをやった別の顔を持つ。 まず、話は聖公会から始めなければならない。聖公会についてはすでに、「ユダヤ人基礎講座(10)」(06年8月22日)で説明したことがある。聖公会は英国国教会に所属する。英国貴族は英国国教会でありフリーメーソンと一体化していることを説いた。 日本では聖公会が英国国教会の出先機関である。日本聖公会はだからフリーメーソンと一体だ。 日本聖公会は、教育機関としては立教大学、立教女学院、桃山学院、神戸松蔭女子学院大学、香蘭女学院(兼高かおるや黒柳徹子が卒業)、プール学院や聖路加病院などの教育・医療・福祉事業を手掛けてきた。 終戦直後、マッカーサー元帥はフリーメーソンの熱心なメンバーで、戦後の日本聖公会の発展に貢献した。 村岡花子はこの聖公会と密接な結びつきがある。 渡部悌治氏の『ユダヤは日本に何をしたか』(成甲書房)を引用させていただく。
渡部氏は戦前のユダヤ、フリーメーソン研究機関「国際政経学会」のメンバーで監事であった。同学会は日本の敗戦とともに占領軍によって解散させられた。 * * * 東京が空襲されていた頃、私は銀座方面に出かけて、敵機がどこを狙うのか確かめようとしたことがある。大本営では敵機の盲爆を宣伝していたが、実際は逆で極めて精確であり、見事な狙いだった。敵の攻撃目標を事前に察知することは、市民を敵機から守るために絶対に必要なことであった。敵機が爆撃しない地点、市民を誘導して待避させうる場所、それはいくつか予断ができた。例えば動坂の聖学院、銀座の教文館ビル、服部時計店などもそのうちの一つであった。実際、銀座の空襲直後に見回ったところ、服部ビルと教文館ビルとは無傷でそのまま残り、紙一重で両ビルの間のビルと商店街は壊滅させられていた。 (引用終わり) * * * 渡部氏の指摘するとおり、敗戦直後の銀座の写真を見ると、見事に服部時計店と教文館ビルとは無傷であることがわかる。GHQの置かれた第一生命ビルと同じように、米軍は戦後に利用するために何箇所かの爆撃を避けたのであった。 当時の写真を見ると、教文館ビル屋上に尖塔が立っていて、これを光らせて米軍機を誘導したのだと渡部氏は指摘している。あるいは地方都市でもキリスト教会は街を見下ろす高台に建てられており、これも戦争中は米軍機誘導に一役買ったという。 渡部氏は仙台の東北学院大学神学部の学生だった。言わずと知れたミッションスクールだ。元は私塾の仙台神学校と言った。キリスト教宣教師が創った学校である。
渡部氏が言うには、東北学院大学は当然ながら外国人宣教師が集まってきていて、ユダヤ人が多く、同時に仙台のロータリークラブも主宰していたそうだ。ロータリークラブはフリーメーソンの下部組織である。 そして渡部氏は仙台では、彼ら東北学院大学の宣教師こそが東北一帯の米英諜報組織の中心であったと説く。しかも彼らは自らフリーメーソンの結社員だと名乗っていた。彼らは日本の興信所を抑え、商社、ロータリ−クラブ、デパートなどを組織下に置いていた。 さて、そこから渡部氏は村岡花子に以下のように言及する。 * * * 彼ら(東北学院大の宣教師)の出入りする聖公会では、村岡花子訳の教理書が児童たちのために使われており、中国共産党の臭味が極めて強かったが、それは米国共産党の対日工作費が、かつて張学良経由で日本にばら撒かれたとき、キリスト教矯風会の婦女子らの手をかりたが、村岡花子もそのなかの一人だったのである。 この聖公会の教会には法律相談所も併設してあり、巷間公私にわたる情報が収集できる仕組みであった。キリスト教組織による敵国情報網は家庭の裏口から婦女子をとおしてと、同時に、表玄関からも公私の法律相談という看板で、重要事項が聞き出せるよう張りめぐらされていたのである。 (引用終わり) * * * キリスト教矯風会については明日記述するが、端的にはユダヤの手先で、現在も活発に活動している。 村岡花子の略歴を「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」ホームページから追ってみよう。大事なところだけ拾う。 1893年(明治26年)〜1968年(昭和43年) 山梨県甲府市生まれ。クリスチャンの家庭で幼少時に洗礼を受けている。育ちは東京。 1904年に東京・麻布のカナダ系ミッションスクール東洋英和女学校へ編入学。同校でカナダ人宣教師から英語を学ぶ。 在学中から佐佐木信綱の門下で和歌、日本の古典文学を学び、歌人でアイルランド文学の翻訳家・片山廣子(芥川龍之介の晩年の恋人)に勧められて童話を書きはじめる。 1914年に東洋英和女学院高等科を卒業。英語教師として山梨英和女学校に赴任。この時期、キリスト教の夏季講座で市川房枝と出会う。 1917年から、東京銀座のキリスト教出版社である教文館に女性向け・子供向け雑誌の編集者として勤務。
1919年(大正8年)に印刷会社を営む村岡敬三と結婚。 1926年(大正15年)、最愛の道雄を病気で亡くしたことをきっかけに、日本中の子どもたちの健全な成長を祈り、外国の家庭文学の紹介をしていくことを自分の道とし、1927年(昭和2年)にマーク・トウエインの『王子と乞食』を翻訳出版。 以後、75歳で亡くなるまで日本を代表する、家庭文学の翻訳家として活躍。翻訳作品に、エレナ・ポーター作『少女パレアナ』、チャールズ・デイケンズ作『クリスマス・キャロル』、パール・バック作『母の肖像』など多数。ルーシー・モード・モンゴメリ作『赤毛のアン』シリーズの翻訳は花子の代表作。 と、こうなっている。 ちゃんとキリスト教徒として登場しているでしょ。 そしてクリスチャンの学校に通い、英語を学び、教文館に就職。
全部がフリーメーソンや米英の諜報につながる略歴となっている。つまり魂を英米のキリスト教に売ったバカ女なのである。 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓(聖路加もね) 先に述べたように、銀座の教文館は空襲に合わなかったビルで、ここは今でもキリスト教関係の書籍を扱う。アメリカからメソジスト監督教会の宣教師が教宣用の出版物をつくるための会社である。彼ら宣教師は支那でさんざん宣教とともにアヘンをばらまくなどしてきた連中である。
つまり米英とそのフリーメーソンの組織であったところで、そこで村岡は仕事をしたのである。謀略と無関係ではあり得ない。 ____________________________________ 「キリスト教の夏季講座で市川房枝」・・・市川房枝〜菅直人・・・う〜む、面白くなってきた。 引き続き研究中 続きはhttp://blogs.yahoo.co.jp/chugamo2008/33761872.html ************ 〜続き〜 村岡花子(童話作家)の闇(下) http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/c/bae45889cbb98f3789386194daeb2a10 (削除) 《2》 村岡花子の略歴には、市川房枝の名も出てくる。「キリスト教の夏季講座で市川房枝と出会う」となっているが、こういうのは創った話で、初めから仕組まれているのだ。 後に市川房枝の勧めで婦選獲得同盟に加わり、婦人参政権獲得運動に協力している。書斎にこもりきりの作家ではなく、積極的にフリーメーソンの対日工作に加担していた様子がここからも伺える。市川房枝は、ソ連や中共の手先であった。 ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ Wikipediaによると、村岡花子は「第二次世界大戦中は大政翼賛会後援の大東亜文学者大会に参加するなど、戦争遂行に協力的な姿勢を取った」とあるが、これは目くらましである。だいいち私はスパイですとは言えるわけがない。
1927年に右翼であった大川周明や赤尾敏が、皇室を列強の工作によって瓦解するのを防ぐためと称して、「建国会」を作ったことがある。本来、愛国陣営であったはずのこの建国会にもすぐに第三国(米英支ソ)の手がまわった、と渡部(わたなべ)悌治氏は説く。 「大川と赤尾とが、米国の対日公工作資金を張学良経由で、しかもキリスト教婦人矯風会の子女の手を経て握らされたのであると聞かされている。これはいわゆる右翼といわれる者たちに、米英の対日工作費が流れされていたルートの一つである。村岡花子が若かった頃、このルートに関与していた」 ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑
(財)日本キリスト教婦人矯風会は、1886(明治19)年に設立された日本で最も古い婦人団体である。宣教活動を表看板にしながら、左翼政治活動をもっぱらにする団体である。矯風会の主な活動としては公娼制度の廃止運動、貧困母子家庭への支援活動、女性の家、婦人参政権獲得運動、平和運動、人権擁護、酒・たばこの害啓蒙、女性や子供の福祉保護行政についても活動を展開している。
また、平和憲法護持、日本軍による戦争の謝罪と和解、天皇制への批判、死刑制度への批判さらには女性美人コンテストについても反対を貫く戦闘的な団体である。最近では児童買春、児童ポルノの規制に熱心である。 だから一般大衆は、児童ポルノ反対、酒やタバコの害といわれると、いかにも正しいことをやっている印象を持たれるだろうが、よく考えてみればこれらはみんなユダヤ・イルミナティ・フリーメーソンの謀略である。いいことをやっているように見せかけているのも、みんな本当の意図を隠蔽するための隠れ蓑である。 もう明治19年のころから、日本の女性を洗脳するユダヤの工作が始まっていたということである。 婦人参政権自体は悪くはないが、無原則でアタマの悪い女どもに選挙権、被選挙権を与えたために、日本の政治はとんでもないことになった。誰でも小泉チルドレンの井脇ノブ子や、社民党の辻元清美を見れば女性に被選挙権を与えたのは間違いだったのではないかとの思いが走るであろう。それがユダヤの狙いであった。 《3》 本ブログでも約1年前の3月ころに集中して児童相談所の悪業を取り上げたが、児童相談所が躍起になって児童を拉致監禁する背景には、キリスト教矯風会のような左翼集団があり、またその背後にはユダヤがいるのである。
ユダヤ・イルミナティの最終目標は、自分たちの世界制覇である。世界統一政府によって、ユダヤ以外の民を「ゴイム(豚)」、つまり家畜として扱って支配することにある。ジョージ・オーウェルの未来小説だった『1984年』そのものである。 だから彼らは世界中のその国、その民族の国家意識と民族意識を奪いとって、精神的国際人とか世界市民とかいう根なし草を創り上げることを企図している。 そのため、国家意識をなくす、国境をなくす、世界の人が一つになって、平和な世の中をつくるという美辞麗句を用いて、大衆を騙すのである。 キリスト教もそうだし、共産主義運動もそうである。ルート、手法が異なるだけで、すべてはユダヤの世界支配のための工作である。 そうと知ってか知らないでか、村岡花子はその走狗となった。おそらく自分では敬虔な信徒で、神の国を実現するために働く乙女のつもりであっただろう。 ユダヤ・イルミナティが村岡を幼児のときから洗礼させ、ミッションスクールに入れ、教文館で働かせ、十分実績を積んで工作員になったところを見込んで、モンゴメリ作の『赤毛のアン』を与え、翻訳者、童話作家として世に出してやったのであろう。あるいは、アメリカのスパイをやることと引き換えに、童話作家として世に出してもらったか…。そうでなければ、いわゆるぽっと出の主婦が、いきなり本を出してもらって、それが大評判になって一躍作家となって、まるで『ハリーポッター』のJ・Kローリングのミニ版みたいに、なれるはずがない。 原作者のモンゴメリによる『赤毛のアン』は原題が『Anne of Green Gables (グリーンゲイブルズのアン)』という大長編小説であって、もともとは児童小説ではなかった。長編のごく始めの部分、主人公のアンの幼年時代の5年ほどを村岡花子が『赤毛のアン』として翻訳出版し、児童小説となったのである。 それも優れた認識論の勉強になる(と南郷先生がおっしゃる)のは、アンが孤児院からもらわれてグリーンゲイブルズの家に来てその前向きで鮮やかな“妄想”を繰り広げる一連の出来事であって、後は退屈である。 そういえばやたらにキリスト教会に通う話ばかりで、モンゴメリの意図はキリスト教の啓蒙であったのかもしれない。 つまり村岡花子の翻訳の意図も、少女の認識形成過程の見事な実例としては考慮になく、あくまでキリスト教の教えを児童向けの啓蒙小説として発表しようというものだったのではないかと思われる。だからこれは南郷先生の論文に取り上げたからこそ、(冒頭部分だけ)名作になった作品なのである。 いずれにしても、キリスト教にのめり込んだ人たち、あるいはその宣伝・啓蒙に尽力した人たちは、みんな多かれ少なかれユダヤ・イルミナティの手先として日本を崩壊させる役割を担った(担っている)者どもである。
当人はそれが人類の幸せのためと信じた(妄想した)のかもしれないが、そのおかげで例えば大東亜戦争ひとつとっても、大変な惨禍が引き起こされ、何百万という罪もない、死ななくていい人たちが殺されたのである。その犯罪の責任は村岡花子も負わなければならない。 ユダヤ支配による平和(?)が実現さえすれば、人間が死のうと、大切な文化遺産が破壊されようと構ったことではないとしたからこそ、村岡花子はユダヤの手先になり得たのであろう。それはケダモノの宗教であるキリスト教・ユダヤ教からは救いであろうが、人間とはいかに生きるべきものであるかを真摯に捉えれば、悪魔の所業以外ではなかったのである。 _______________ 織田、豊臣の昔から、坂本竜馬を経て、自民党清和会、民主党凌雲会と、今もユダヤ・イルミナティは日本を影で操っている。 (転載終了)
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>無原則でアタマの悪い女どもに選挙権、被選挙権を与えたために、日本の政治はとんでもないことになった。
これは当然女の人全般を指すものではないと思われます(笑)
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