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大前研一:朝日新聞の「転落」、足で調べて真実を伝えなければ存在意義はない
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140924-00000000-fukkou-bus_all
nikkei BPnet 9月24日(水)8時6分配信
政府は9月11日、東京電力福島第一原発事故の政府事故調査・検証委員会が吉田昌郎元所長(故人)から聴取してまとめた「吉田調書」を公開した。それによると吉田氏は、原子炉を冷やす海水の注入に首相官邸内で慎重論があったにもかかわらず、「絶対に中止してはだめだ」と部下に命じ、注水を続けたと証言したことがわかった。
その「吉田調書」の公表を受け、朝日新聞社の木村伊量(ただかず)社長は同日、東電社員らが吉田所長の待機命令に違反し撤退した、などと報じた5月20日付の記事を取り消し、読者と東電関係者に謝罪した。
■朝日新聞、任天堂の記事でも謝罪
いわゆる「従軍慰安婦」の誤報に続き、朝日新聞による誤報が再び明らかになったわけだが、「誤報」という言葉を使うべきかどうかも含めて考えなくてはならない。二つのケースは誤報と言うよりはむしろ意図的ねじ曲げ、というのが実態であり、事実をありのままに伝えるべきニュース報道に関しては基本的姿勢がそもそもできていない、という朝日新聞の存在意義そのものが問われるケースだからである。
さらに14日には、朝日新聞が2012年6月8日に掲載した任天堂の岩田聡社長のインタビュー記事が取材もせずにまとめた“偽インタビュー記事”であったことが判明した。朝日新聞の謝罪記事によれば、任天堂に岩田氏の取材を申し込んだが断られたため、任天堂のホームページ上の動画の発言内容をインタビュー記事にまとめたという。
「任天堂に動画の発言内容をまとめて記事にしたいと伝え、了解を得られたと思い込み」というのが朝日新聞の弁明だが、記事掲載後、了解などしていない任天堂は朝日新聞に抗議した。それが「今回新たに外部から指摘があり」、ようやく謝罪することになったのだという。
■インタビュー記事がいい加減なのは朝日だけではない
これだけ誤報や“偽記事”が相次ぐと、「朝日転落の物語」が始まったと感じざるを得ない。
ただ、インタビュー記事がいい加減というのは何も朝日新聞に限った話ではない。他の新聞社でも、10分間くらいの短いインタビューをあわただしく行った後、「締め切りまで時間がないので、あとはこれまでの著作などから追加して、私の方で記事をまとめていいですか」と言う記者が少なくない。つまり、インタビュー記事は取材に来る前から筋立てがあらかた出来上がっているというわけだ。
そのため、インタビューされた人間が“想定“と違うことを話し始めると、インタビュー時間が長くなり、記事の手直しも必要になってくる。それを避けるため、記者は相手の話をさえぎって、「あとはこちらでまとめます」と言うのだろう。たしかにインタビューされる側の了解を得ていれば、“偽記事”とは言いきれない面もあるが、それにしても報道姿勢としてはいかがなものか。
朝日新聞は慰安婦の強制連行をめぐる「吉田証言」記事の誤り(こちらの記事を参照)を認めるのに30年以上かかったと批判されたわけだが、そうした「無謬神話」は朝日新聞にかぎらず、多くのマスコミに蔓延している。
■「今さら書けない」という誤った論理
その典型的が福島第一原発事故の報道だ。事故発生から8日後の2011年3月19日時点で、私はメルトダウン(炉心溶融)だけでなくメルトスルー(溶融貫通)が起こり、圧力容器の底を貫通して格納容器 にすべて核燃料が落ちてしまっていると指摘した。また、そのために格納容器の底に穴が開き、そこから汚染水がタービン建屋など外部に漏れている、と推測した。それら全てを東電が認めたのは、1年半経った2012年の12月になってからだった。
私はいろんな新聞社の記者に対し、「東電がようやく認めたのだから、メルトスルーしている事実を記事にすべきだ」と言った。ところが、「今さら書けない」というのが彼らの反応だった。
原子力安全・保安院(当時)と東電の発表を毎日のように記事にし、さらにはその“大本営発表”をベースに「解説」もしてきた以上、「実態はこうでした」とは今さら書けないというのが彼らの言い分である。
誤りを認めたら自分たちの無謬性が崩壊するので、できれば認めたくない、謝りたくないというのが、マスコミに共通した態度なのだ。
そうしたマスコミ共通の問題を踏まえたうえで、一連の朝日新聞の失態を見ると、二つの問題点を指摘できる。
一つは、慰安婦「吉田証言」の誤報にしろ、原発事故「吉田調書」の誤報にしろ、朝日新聞社内の左翼勢力が論調を牛耳り、事実をねじ曲げて伝えようとした点だ。こうした報道を中国や韓国が喜んで受け止め、そういう日本というものを“真実”と思い込んで、国民にも擦り込んでしまったのである。
■“大本営発表”の垂れ流しは今も変わらない
二つめは、とりわけ慰安婦問題について、朝日新聞の報道に追従してきた他の大手マスコミがダンマリを決め込んでいる点だ。その典型がNHKである。
NHKも長年、朝日新聞の報道に乗るかたちで、慰安婦問題に関するニュースや番組を製作してきた。しかし、朝日新聞が誤報を認めても、NHKはまるで他人事のような顔をしている。NHKも慰安婦問題と自らが製作した番組について検証することが必要だろう。
考えてみれば、戦前の大本営発表垂れ流し報道でも、朝日新聞とNHKが主な役割を果たしていた。それが戦後、いつの間にか両者ともに政府に批判的な立場になっている。
そうすることで朝日新聞もNHKも免罪されたつもりでいるのだろうが、本質的な反省は何もなされていない。国民をだまし続けたことに関する反省の弁は一切ない。後になって振り返ってみれば、ミッドウェー海戦以降は負け戦の連続であったので、いくら何でも敗北を転戦と報道するよりは「筆を折る」くらいの気概がなければ報道機関とは言えない。
慰安婦問題などで誤報を繰り返しながら、それが発覚しても当事者意識を欠いているという点では、朝日新聞もNHKも何ら成長していないと言える。
■健全なマスコミの最大にして最後の役割が「今」だ
これがなぜ今重要か、と言えば、安倍晋三首相の独裁色が強まり、肝心のアベノミクスが機能しなくなっているにもかかわらず、そうした記事が書けない、というところにつながってくるからだ。
また「地方創生」なる大臣までつくり、あたかも地方が成長戦略の目玉であるかの如き時間稼ぎをしているが、実際には世界中で田舎に投資して成長した国はないし、三全総(第三次全国総合開発計画)以来、自民党は選挙のたびに「ふるさと創生」などの名目でバラまきをやってきたが、やればやるほど地方は衰退していった。
そうした「世界から日本を見る」観点で、また「歴史の検証」という観点で安倍政権の施策を点検していかなければ、いよいよ日本は行き詰ってしまう。つまりアベノミクスが失敗すれば、自力では国家債務が返済できないことが明らかになる。
そのとき市場は容赦なく国債暴落やハイパーインフレということで「制裁」してくるだろう。つまり、アベノミクスの成功が日本に残された最後の突破口なのである。
そのためには一人の人間に一任するのではなく、あらゆる角度から政策の吟味がなされなくてはならない。つまり健全なマスコミの最大にして最後の役割が「今」なのだ、という認識を持たなくてはならない。
だからこそ、朝日とNHKの体質を批判し、本来の報道機関の役割に目覚めてもらうことが大切なのだ。
■悪しき記者クラブのエリート感覚
福島第一原発事故の場合には私自身が事故究明をしたのでよく分かっているが、マスコミには保安院と東電の毎日の発表以外の「視点」を求める姿勢は全くなかった。
1年以上経ってから私の指摘が正しかったと東電が正式に認めても「今さら書けない」とマスコミは開き直った。彼らにとっては自分たちの過去の行為を正当化することが先で、後になって分かっても「実はこうだった」という記事は書けないのである。これは朝日とNHKに顕著であるが、福島に関しては全ての大新聞に共通していた。
結局のところ、発表された情報をそのまま垂れ流して、自分たちの足で調べ書くことをあまりしない悪しき記者クラブのエリート感覚が、マスコミの誤報を生んでいるのだ。またマスコミ人には、真実を伝えたいという気持ちよりも、単に持論を展開したいだけという感じがどうしても付いて回る。
足で調べて真実を伝えるというマスコミ本来の役割が果たせないのなら、マスコミが存在する必要などないのである。
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