http://www.asyura2.com/14/senkyo171/msg/723.html
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「「事実を淡々と伝える」などといっているメディアこそ、なんだか胡散臭い気がする:じこぼう氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/15340.html
2014/9/23 晴耕雨読
https://twitter.com/kinkuma0327
RT “「朝日の検証報道をめぐり、朝日を批判し、自紙を購買するように勧誘する他社のチラシが配布されています。…批判は正しい報道を求めるためなのか、それとも商売のためなのか、と新聞業界全体に失望する読者を生み出すことを懸念します」” http://t.co/sKRJ1evXST
新聞は批判などいらない、官公署ら発表した「事実」だけを報道しろ、などといっている人や、メディアは売れるものを売るのが当然、中韓ヘイトは売れるから無批判に垂れ流すのも当たり前だ、みたいな人たちからすれば、この機会に朝日“だけを”再起不能にすることが「正義」なんだから仕方ないね。
これとて、不破さん本人は「事実を淡々と伝えたつもり」だったわけですよね。→ http://togetter.com/li/683904
「事実を淡々と伝える」なんて、いうほど簡単じゃないんだよね。/「まずは事実を淡々と伝えよ」との報道への意見と… http://t.co/9finMSHSAi
実際、誤報を打つ記者の大半は、「事実を伝える」つもりだったんじゃないだろうか。
事実を伝えるつもりであってもしばしば、間違ったことを報じてしまうのではないだろうか。
さらに、主観や主義以前に「客観的な事実」というものが存在しているという見方も、一つの「価値観」に過ぎないのではないか。
「事実を淡々と伝える」などといっているメディアこそ、なんだか胡散臭い気がする。
自身の主義や主観が含まれないありのままの事実を自分たちは握っている。
そういう事実を握る側にいる。
そして、それを主義や主観とは無縁に、「淡々と」伝えることができる。
それこそ、傲慢な態度だとすら思うのだ。
「事実を淡々と伝える」ことが、主義や主観を加えることよりもカンタンなことだと勘違いしている人がいるのではないか。
むろん、官公署から発表される情報だけを事実と認定する、みたいな御用主義的な価値に基づいていればカンタンだろうが、よもや「事実」とはそういうものではあるまいに。
政府や官公署の発表した情報だけを報じることで事実を淡々と伝えることができるというなら、それはそういう主張なのであり、主義なのであり、主観的な立場なのだ。
逆に、官公署の発表に懐疑的な立場から個人の証言を積み上げて行こうという立場もまた、事実を淡々と伝えようとする立場に他ならない。
ところで、「新聞は事実だけを報道すればいい」なんていっている人は、「正しい歴史認識はこうだ」とか、「外交や安全保障はかくあるべきだ」とか、「これが○○新聞の考える新憲法だ」とか、そういうのも新聞には書くべきじゃないんだよねぇ。
ちなみにぼくは、そういう新聞もあっていいと思ってます。
「主張と事実」、「主義と情報」を簡単に峻別できるなどと考えられるのは、ちょっとノーテンキなんじゃないかな。
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池上彰が朝日叩きに走る新聞、週刊誌を批判! 他紙での掲載拒否も告白!
2014.09.21
ありとあらゆるメディア、識者、ジャーナリストが問題の本質をネグって、“朝日吊るし上げ”に熱狂する言論状況。そんな中、本サイトは逆に朝日を叩く側、読売新聞や産経新聞、週刊誌、そして安倍政権に対して、「おまえたちも同じアナのムジナだ!」と徹底批判を展開してきた。付和雷同、勝ち馬に乗ることしか考えていないこの国のメディアの中でこんな酔狂なまねをするのは自分たちくらいだろうと覚悟しつつ……。実際、いくら書いても孤立無援、本サイトの意見に同調してくれる新聞、テレビ、雑誌は皆無だった。
ところがここにきて、意外な人物が本サイトと同様、メディアの“朝日叩き”への違和感を口にし始めた。その人物とは、朝日新聞の連載で朝日の報道姿勢を批判するコラムを書いて掲載を拒否された池上彰氏だ。
この問題は朝日新聞による言論の封殺だとして読者から非常な不評を買い、朝日にとって「慰安婦問題」や「吉田調書」以上にダメ―ジになったと言われている。ところが、一方の当事者であるその池上氏が「週刊文春」(文藝春秋)9月25日号の連載コラム「池上彰のそこからですか!?」で、朝日を叩いている他のメディアも同じようなことをしていると指摘したのだ。
まず、池上氏は冒頭で「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」という聖書の一節を引いた上で、こんな体験を語る。
「私は、かつて、ある新聞社の社内報(記事審査報)に連載コラムをもっていました。このコラムの中で、その新聞社の報道姿勢に注文(批判に近いもの)をつけた途端、担当者が私に会いに来て、『外部筆者に連載をお願いするシステムを止めることにしました』と通告されました」
「後で新聞社内から、『経営トップが池上の原稿を読んで激怒した』という情報が漏れてきました」
ようするに、朝日新聞と同様の掲載拒否が別の新聞社でも起こっていたことを暴露したのだ。池上氏は「新聞業界全体の恥になると考え」この一件を封印してきたが、「歴史を知らない若い記者たちが、朝日新聞を批判する記事を書いているのを見て」敢えて過去の体験を明かすことにしたという。そして、冒頭で引用した聖書の一節を再び使ってこう指摘している。
「その新聞社の記者たちは『石を投げる』ことはできないと思うのですが」
さらに池上氏は朝日新聞が自社の批判特集を掲載した週刊誌の広告掲載を拒否したことにも言及している。この件もまた、他の新聞が激しい批判を展開していたが、池上氏は皮肉まじりにこう書く。
「『そんなに朝日のことを批判できるのかなあ』と思った『週刊現代』の関係者もいるのではないでしょうか。かつて『週刊現代』の新聞広告が、新聞社から長期にわたって掲載を拒否されたことがあったからです。(略)この時期、『週刊現代』は、その新聞社の経営トップに関する記事を立て続けに掲載していました。まさかそれで広告掲載拒否になったなどということは、ありえないと思うのですが」
実はこの件については、本サイトも全く同じことを指摘していた。池上氏は新聞社名を伏せているが、この新聞社とは読売新聞のことだ。「週刊現代」(講談社)が読売の渡辺恒雄会長への批判や読売巨人軍の不祥事を報道していたところ、ナベツネ会長のツルの一声で「週刊現代」の広告掲載拒否が決まったのである。
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池上彰が朝日叩きに走る新聞、週刊誌を批判! 他紙での掲載拒否も告白!
【この記事のキーワード】エンジョウトオル, 朝日新聞
2014.09.21
また、本サイトは今回の問題を読売、産経が新聞拡販に利用し、本社販売部からの「朝日攻撃指令」などの指示が出ていることを暴露。結局、商売目的でしかないと批判したが、池上氏も同様の指摘をしている。
「朝日の検証報道をめぐり、朝日を批判し、自社の新聞を購買するように勧誘する他社のチラシが大量に配布されています。これを見て、批判は正しい報道を求めるためなのか、それとも商売のためなのか、と新聞業界全体に失望する読者を生み出すことを懸念します」
池上の矛先はさらに古巣NHKにも及んでいる。それは1981年2月、当時の『ニュースセンター9時』を舞台にしたものだった。
「ロッキード事件から五年になるのに合わせて特集を組みました。このとき三木武夫元総理のインタビューが、当時の報道局長の指示で放送直前にカットされるという事件がありました」
これに対し、政治部長も社会部長も各部のデスクも記者たちも激怒、その説明を求めたが、しかしインタビューは放送されることもなく、次の人事異動で政治部長、社会部長ともに異動になったという。そして、池上氏はそのNHKと比べるかたちで、「少なくとも朝日の幹部は判断の誤りを認め、謝罪するという態度をとった」として、評価する姿勢を見せている。
池上氏の批判は、このコラムが掲載されている「週刊文春」をはじめとする週刊誌にも向けられている。
「一連の批判記事の中には本誌を筆頭に『売国』という文字まで登場しました。これには驚きました。『売国』とは日中戦争から太平洋戦争にかけて、政府の方針に批判的な人物に対して使われた言葉。問答無用の言論封殺の一環です。少なくとも言論報道機関の一員として、こんな用語を使わないようにするのが、せめてもの矜持ではないでしょうか」
いかがだろうか。新聞社名を伏せるなど、池上サンらしい配慮とバランスを見せていることにはちょっと不満が残るが、おっしゃっていることはすべて正論。正直、この人がここまできちんとした言論の自由への意識、ジャーナリストとしての倫理観をもっているとは思っていなかった。こんな人物がポピュラリティをもってメディアで活躍できていることを素直に喜びたいと思う。
だが、同時に暗澹とさせられるのが、この国のメディアでこうした意見をはっきりと口にしたのが、今のところ、池上サンただ1人しかいないという事実だ。新聞もテレビも雑誌もそんなことはおくびにもださず、安倍政権と世の中の空気に乗っかって朝日叩きに血道をあげているだけだ。
“朝日叩き”は売れるコンテンツらしいから、やるなとはいわないが、せめて、返す刀で安倍政権や自分たちも含めたメディア全体の責任を検証すべきではないか。
それは袋だたきにあっている朝日も同様だ。朝日こそこうした反論と真相の暴露をするべきなのに、それをまったくすることができず、まるで食品不祥事を起こした企業のようにひたすら頭を下げてその場をやりすごそうとしている。
この国で、メディアにジャーナリズムの使命感や矜持を求めるなんていうのはもはや、八百屋で魚を求めるようなものなのかもしれない。
(エンジョウトオル)
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