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『たかじんnoばぁ〜DVD-BOX THEガォー!LEGEND II』(東宝)
たかじんのもうひとつの謎!反骨の芸人がなぜ安倍首相に擦り寄ったのか
http://lite-ra.com/2014/09/post-477.html
2014.09.20. リテラ
先日、本サイトで『ゆめいらんかね やしきたかじん伝』(角岡伸彦/小学館)を紹介し、たかじんの小心な一面とコンプレックス、そして彼が「在日」というルーツをひた隠しにしていたこと取り上げた。だが、たかじんについては、どうしてももうひとつ触れておかなければならないことがある。それは安倍晋三総理をはじめとする政治家との関係だ。
既に報道されているように、安倍首相は今年3月3日に行われた「たかじんを忍ぶ会」の筆頭発起人をつとめるなど、生前からたかじんと親しい関係にあった。安倍首相は『たかじんのそこまで言って委員会』(読売テレビ)に計10回も出演し、自民党総裁選への再出馬の際もたかじんの励ましがあったことを認めている。
かつては、反骨の人というイメージの強かったたかじんがどうして、最高権力者である政治家とここまでべったりになってしまったのか。
本書でもまた、たかじんと安倍の関係について言及している。2人の出会いは04年『委員会』の特番で当時、自民党幹事長だった安倍を訪ねたことだった。11年には、野党に転落して失意の安倍を訪ね、地元山口県の俵山温泉で、男2人仲良く温泉につかりながら親しげに政治談義を繰り広げた。たかじんの死後も、この温泉談義シーンは繰り返し放送されているが、この特番は明らかに当時、政治生命の危機にあった安倍の再生、イメージアップのために仕掛けたものだった。
「『委員会』では、日本共産党を含め、あらゆる政党関係者が出演している。しかし安倍を特番で登場させ、持論に同調し、ありがたがるたかじんと制作者側には、疑問を感じずにはいられなかった」
「政治家との仲良しぶりを見せるたかじんには、反骨精神のかけらもなかった」
現大阪市長・橋下徹との関係も同様だ。たかじんは政治的野心を持ち始めた橋下を全面的にバックアップし、そして当選させた張本人でもあった。橋下はかつて『委員会』の常連コメンテーターだったが、08年の大阪府知事選に出馬し、圧倒的な強さで当選している。この時、橋下はたかじんの番組のおかげで当選したようなもの、とたかじんに対する謝辞さえ送っている。本書がいうように「たかじんはこのとき、いわば関西政界のフィクサー的な役割を果たしていた」。
しかし、たかじんはもともと政治家嫌いだったという。西川きよしが参議院選挙でトップ当選した際も、「そもそも庶民の“笑い”とは、ある意味権力と対峙したところにあるのではないだろうか?」と批判していたほどだ。だが、たかじんは明らかに変節していった。「庶民の代弁者は、いつの間にか権力者のそれに代わっていた」のである。
たかじんの政治への接近に『たかじんのそこまで言って委員会』が大きな役割を果たしたことはたしかだ。本書も「『委員会』以降、たかじんは番組を通して、好むと好まざるとにかかわらず、政治に関与するようになった」と書いている。そして、保守派、右派的な主張を強めていく、
たかじんは09年10月号の「クイックジャパン」(太田出版)でこんなことを語っていたという。
「僕自身は右寄りとは意識していないですよ。ただ気がつくとね、正論が右に寄っとんねん」
“権力者”に喜んで摩り寄り、彼らの主張に同調するようなナショナリスティックな発言を繰り返すようになったたかじん。こうしたたかじんの“変節”の理由はつまびらかにはされていないが、しかし、これもたかじんの強烈なコンプレックスのひとつの現れだったのかもしれない。
本書が指摘していたように、たかじんは「在日」というルーツに強いコンプレックスをもっていた。だからこそ、その裏返しとして「日本」という国家を強固にする思想、それを主張する権力者に傾倒していったのではないだろうか。「日本人より日本人らしく」ありたい、そういう思いの表れだったのではないのか。そんな気がしてならないのだ。
だが、こうした分析とは異なるもうひとつのエピソードが本書には紹介されている。それはビートたけしとの関係だ。
かつてたかじんは東京の大物芸人であるたけしに批判的だった。92年8月7日号の「フライデー」(講談社)でたかじんはたけしにこう毒づいている。
「たけしも明らかに疲れとる。ところが漫才をせえへん彼のフィールドはテレビにしかないから、走り続けなあかんワケや。映画や本をやるのは『オレはもうあかん』というエクスキューズにすぎんのやな。その一方でオレがやっているから大丈夫みたいな甘えもある」
しかしその1年後、『たかじんnoばぁ〜』(読売テレビ)へのたけしの出演が実現する。番組内で「映画などは適当にやっても、お笑いだけは絶対に手を抜かない」などと話すたけしに、たかじんはそれまでのたけし批判などなかったかのように、称賛を繰り返した。
そして、出演料はいらないというたけしに、番組収録後は北新地で接待し、ポケットマネーで付き人に200万円を渡し、同番組の最終回ゲストに再びたけしを招くという最大限の待遇をしたのだ。
「ビートたけしに対する批判も、的を射ているからこそ関西人は拍手喝采を送ってきたはずである。ところが批判していた東京の大物タレントが自分の番組に来てくれただけで、手のひらを返したかのようにありがたがっている。その変わり身の早さは、御都合主義、権威主義に見えなくはない」
気に入らないものに対しては容赦ない毒舌を浴びせかけたたかじんだが、“権力者”に直接会ってしまうと、態度を豹変させ、まるで揉み手をするように摩り寄ってしまう。そんなところがあったのだ。もしかしたら、政治家への擦り寄りも、単純にそういう性格が出たというだけなのかもしれない。
しかしいずれにしても、無頼で豪快、毒舌と反骨というイメージとは全く別の側面をたかじんが持っていたことは間違いない。著者は多くの関係者を取材してこんなことを思ったという。
「『ややこしい人やなあ』という印象である。繊細かつ純粋で、思ったことをすぐに行動に移す一本気な人物である一方、内気で見栄っ張りで打たれ弱く、だからこそ大きく見せようとするところがあった」
そして、そんな人物が安倍晋三の再登板を後押しし、橋下徹という政治家を生み出した。ある意味では、彼の存在が日本の政治の方向性を大きく変えたといってもいいかもしれない。それがこの国にとって幸福だったのか不幸だったのか。できることならば、天国のやしきたかじんに、いつか改めて聞いてみたいところではあるが……。
(一場 等)
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