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小沢一郎・生活の党代表は4日、ソウル国民大学で行ったインタビューで「政府がますます右傾化するだけに、近いうちに政権交代しなくてはいけない」と話した。
小沢一郎氏「安倍首相が考えを変えない限り、安倍首相を変えるしかない」(1)
http://japanese.joins.com/article/273/190273.html?servcode=A00§code=A10
2014年09月19日10時24分 [ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
日本の与党・自民党は万年与党に近い。1955年の結成以来、政権を失ったことが2回しかない。1回目は93〜94年の8政党による非自民連立政権だ。もう1回は2009〜2012年の民主党政権だ。2回の非自民政権誕生の一番の貢献者が小沢一郎・生活の党代表(72)だ。
皮肉にも彼は、自民党の最大の嫡子だった。90年代初め、自民党幹事長と党内最大派閥の竹下派のナンバー2だった。竹下派は宇野・海部・宮沢の各首相を決めたほどであった。権力の頂点にいた93年、小沢氏は自民党を離党した。宮沢内閣が選挙区制の改編をはじめとする政治改革法案の処理を先送りしていた中でだ。新しく作った新生党の代表をつとめた彼は、非自民連立の細川内閣誕生の牽引者であり水面下の実力者であった。1選挙区で3〜5人の議員を選ぶ中選挙区制を、1人だけ選出する小選挙区・比例代表の並立制に変えるための先頭に立った。中選挙区制は人とお金を握った巨大自民党を永久与党にする装置だった。
2009年の与党民主党は、小選挙区制をはずしては語れない。当時、民主党の衆議院選挙の圧勝を陣頭指揮したのも小沢代表代行だ。以後、民主党幹事長として再び内閣と党の二重権力時代を切り開いて2012年に離党し、生活の党を創党した。生活の党は存在感の弱い群小政党だ。与野党を行き来して権力を振り回しながらも常に反旗を翻してきた小沢氏は、日本政界の異端児であり風雲児だ。政治改革、国連の枠組みの中で積極的な国際貢献を強調する普通国家論、官僚主導の政治打破はいつも小沢氏の話題だった。彼が4日、国民大学で名誉政治学の博士学位をもらった。韓日友好協力関係の発展のために努力してきた点が評価された。小沢代表は「決議を新たに韓日両国民の幸福と発展のために努力する」と述べた。学位授与式後、1時間余りにわたり国民大キャンパスで彼に会った。
−−安倍晋三首相が9月3日に断行した改閣についての評価から聞きたい。安倍首相は「実行・実現内閣」と強調したが、韓国では日本最大の保守結社・日本会議と関係が深い極右内閣と見る向きもある。
「内閣改造をしたといっても何の変化、影響もない。日本では安倍第1次内閣を『友だち内閣』というが(安倍首相と)親しくて傾向が同じような人が入閣したといえる。安倍氏が同じである以上、今までの政治姿勢は変わらないだろう。このままいけば本当に私たちとしては心配だ」
−−安倍内閣の積極的な平和主義・歴史修正主義の動きをどのように見ているのか。
「安倍氏は理論的な右翼・右派ではない。ある人々は戦前回帰型の考え方、大国主義的日本(観)を帯びているという。そんな彼の感覚が今さまざまな形であらわれている。韓国との関係もそうで、集団的自衛権の問題もそうだ。そのような意識の中では、過去の歴史認識が少し違う。彼はかつての大日本帝国の頃に対して肯定的な見解と考えを持っている。慰安婦問題や靖国神社問題に対して客観的で公正な判断をしていない。歴史問題についても話をごまかしている。過去の日本の歴史に対して、また、そこから派生する問題について肯定的な考えをしているために中国とも韓国ともうまくいかないままだ。そういうことは今の韓日両国にとって非常に悲劇的なことであると同時に、日本の将来を危険にするのではないかという危ぐをしている。安倍氏は最初は憲法改正を話した。ところが国民に受け入れられないと考えて一歩退き、解釈によって(集団的自衛権の行使が)可能だと閣議決定をした。これは明らかに日本国憲法違反だ。政府、行政がますます右傾化していくだけに、何とかして近いうちに政権を交代させなくてはいけないと考えている」
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小沢一郎氏「安倍首相が考えを変えない限り、安倍首相を変えるしかない」(2)
http://japanese.joins.com/article/274/190274.html?servcode=A00§code=A10
2014年09月19日10時25分 [ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
−−海外では小沢代表が掲げた「普通の国」論になぞらえて安倍内閣の日本が普通国家化しているとの評価もある。
「私が普通の国だと話していた当時、日本は経済は大きかったが自立していなかった。米国の保護のもとで温室育ちの子供のように体ばかり大きくて…。しかし冷戦が終わって日本が保護を受けていた時代は終わった。それで日本が大人にならなくてはいけないという意味で話をしたのだ。それがおかしくなって海外まで伝えられた。日本は国際社会の平和を守るために貢献しなければならない。しかしそれはあくまでも国際社会の一員として国連を通した平和活動に日本が参加するということだ。日本の思いどおりに、あちこちに行ってするのではない。それは憲法が許さない。安倍氏の独善的・大国主義的な戦前回帰的な発想は、韓国と中国にも迷惑をかけることだが、日本にとっても最も危険な政治路線だ。交代させなくてはいけない」
−−生活の党の立場は。
「私たちは、野党の中で最もはっきりと安倍氏の考え方や姿勢に対立する考えと主張をしている。歴史的な事実は率直に認めて受け入れなくてはいけないと…。過去の戦争には理由がいろいろあるだろうが、韓半島(朝鮮半島)・中国大陸・東南アジアに日本が軍を派遣して戦争をしたというのは厳然たる事実だ。それによって他国の方々に迷惑をかけたというのは事実なのだから、率直に謝罪をしなくてはいけないという立場で隣国と友好協力関係を積み重ねることが日本の政治に求められている」
−−安倍内閣の支持率は50%前後だ。一方、日本の野党は支離滅裂になっている。
「安倍首相の支持が、日本メディアで高いように出ているのは民主党政権の失敗が大きい。私たちにも責任がある。野党が分散してしまった。ところが(自民党圧勝以後は連立与党である)自民党・公明党と野党がそれぞれ1人の候補を出して1対1ですれば野党側がほとんど勝っている。安倍氏の右側気勢の政治方法に対して国民は決して賛成していない」
−−ではいつ野党が再び執権できるか。
「来年に衆議院総選挙が、とりあえず予想されている。2年後だと話す人もいる。(2016年まで)衆議院任期を満たして選挙をすれば衆議院・参議院の同時選挙となる。公明党はこれに反対だ。私は安倍内閣がそんなに長引かないと考えている。日本の景気は良くない。国際情勢は欧州も良くなくて、中国(経済)も変だ。今の野党では絶対に勝つことはできない。だが1対1なら野党が勝っている。野党が候補者を1人に統一して協力すれば絶対に勝つ」
−−93年の非自民連立政権と同じことが再び可能だということなのか。
「そうだ。そして(民主党が圧勝して政権を取った)2009年のようにも可能だ。自民党も2009年に300席余りがあったが120席になった。今の状態は逆に自民党が300席を超えて野党は100席余りにバラバラに分散した。社会党・共産党は別だが、そのほかの政党が候補者を1人にすれば必ず勝つ。これが小選挙区制だ。来年、もう一度政権を変えて2つか3つのグループが互いに政権を運営できる枠組みを作りたいというのが政治家としての夢だ。再び政権交代をしなくてはいけない」
−−自民党時期に首相になりたいという考えはなかったのか。
「自民党に残っていたら一番楽だっただろう。政治家として、やりたいようにできたが…。そうしていたら何のために政治家になったのか分からなかっただろう。自民党時代から選挙制度改の革論者だった。やむを得ず党を離れたが、その後は本当に苦労の連続だ(笑)」
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小沢一郎氏「安倍首相が考えを変えない限り、安倍首相を変えるしかない」(3)
http://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=190275&servcode=a00§code=a10
2014年09月19日10時25分 [ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
−−日本の経済回復の展望については評価が交錯している。アベノミクスは成功しているのか。
「今、日本の非正規職雇用が40%だ。全体的な国内総生産(GDP)は小泉氏以来、一時的に増えたが国民所得は10%以上下がった。一般の個人消費が増えなくなっているのが現実だ。景気回復のためには個人消費を増やさなければならないが、収入が減ったので増えない。秋には消費税の引き上げを決めなくてはいけない。こういうことを考えれば景気回復は容易ではないと考える。最大の問題は中国だ。不動産バブルがはじけるのではないかという感じがする。そうなると経済は楽観視できない」
−−韓日両国は来年に国交正常化50周年を迎えるが、両国首脳が執権2年になるのに会談もできずにいる状況だ。
「今の両国関係はもちろん非常に良くない、おかしな状態だ。しかし安倍氏は自身の考え方、行動は直さないと思う。謙虚にそして誠意を持って歴史問題でも何でも対話をするという態度で出てこなければ正常化は難しい。安倍氏が変えない以上、安倍氏を変える方法以外にはないというのが私の政治的な結論だ。両国は本当に長くて深い連帯関係だ。以前に国民大学で講演した時、日本と韓国が協力して中国の民主化、ソフトランディングを試みるために努力しなければならないと話した。1つ象徴的な例として、生きている間に東京〜ソウル、可能ならば平壌(ピョンヤン)〜瀋陽〜北京を高速鉄道でつなげてみたい。夢のような話だという人もいるだろうが、あれほど戦った英国とフランスの間のドーバー海峡が海底トンネルで連結されてユーロスターが走っている。なぜ韓日にできないだろうか。互いに謙虚に率直に話を交わせば障害を乗り越えることができ、本当に近くて密接な関係を構築できると考える」
−−韓国ではセウォル号沈没事件以後、国家改造論が出てきている。93年に『日本改造計画』を出版したことがあるが。
「その根本になる国民が、確実にやらなくてはいけない。まず自立と共生を理念として前面に出した。日本人の自立が前提条件となって、政治的枠組みとしては議会制民主主義を定着させることだ。行政・政府の枠組みでは官僚支配の中央集権制をやめて地方分権にすることだ。中央は国家レベルのことだけに専念しなければならない。地方のことは地方に任せて、お金も権限も全て与えて…。このような統治機構、国家改造を政策的に主張している」
−−最も親しい韓国の政治家は。
「若かったころ政界に出てきて日本でもずっと親しかった人々はほとんど引退した。韓国でもそうだ。3日に古い韓国政治家の友人の1人であるキム・ジョンピル氏と会った。90歳だが手と足が少し不自由だっただけで元気だった」
−−2人がしばしば碁を打っていたそうだが。
「本当にかなりよく碁を打った。会うたびに…。キム・ジョンピル氏の家でも囲碁を何度も打った。向こうはとても強い。その上ものすごく置くのが早い。(個人的に)チョ・フンヒョン師範と碁を打ったことがあって、韓国棋院でアマ6段を取った」
小沢一郎…1942年東京生まれ。69年、父親の地方区である岩手県で衆議院議員に初当選して以来15選。政界、現役の中で最多選議員。政治の師匠は田中角栄・元首相。85年、内閣自治相兼国家公安委員長を経て89年に最年少(47歳)で自民党幹事長に就任。93年に政治改革掲げて自民党を離党し新生党代表として細川・非自民連立政権の誕生を主導。新進党・自由党代表を経て民主党に合流後、代表と幹事長を歴任。現在は生活の党代表。主な著書は『日本改造計画』と『小沢主義(オザワイズム)−志を持て、日本人』
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