http://www.asyura2.com/14/senkyo171/msg/527.html
Tweet |
今日は満州事変から83年目の日。満州事変が「自衛のための戦争」というのはいくらなんでも無茶苦茶。満州事変の発端となった柳条湖の鉄道爆発事件は、在満日本軍の関東軍が自作自演した謀略事件。実行担当者の自白もあって、でっち上げ云々は成り立ち得ない。
― GAKU (@GAKU_IZ) 2014, 9月 17
9・18 満洲っ子は忘れない
http://38300902.at.webry.info/201409/article_21.html
今日、9月18日、(チュ・イ・パー)は1931(昭和6)年、柳条湖爆発の謀略により、日本が満洲侵略を始めた最初の日。その翌年4月にあの地で生まれた僕にとっては忘れられない日になっている。そして中国人には「怨嗟」の日であろう。
▼旧満州、新京第一中学校
「謝罪と鎮魂、そして望郷の旅」夢見たが
1945(昭和20)年8月、敗
戦(終戦)。同時にあの傀儡(かいらい)満州国は崩壊した。そのとき、僕は新京第一中学校の1年生だった。事変の翌年、昭和7年に生まれた僕。敗戦の日まで13年、そこは、いわばわが故郷。あれから82年たった。ここにきて望郷の念たぎらすとともに、中国に対する一人の日本人として自責の念が甦る。
旧制新京中学(現長春)は昭和8年に創立された。満州国設立の年でもある。延べ建坪4180、鉄筋コンクリート3階建て、35教室。各教室にはウォーキング・クロークが設けられているほどの豪奢そのものだった。
昭和20年4月に入学して先ず驚いたのは校庭の広さ。上級生が、なんとグライダーを滑走させていた。敷地を一周すると2.4キロ。この広大な校庭は、恐らく満洲事変のドサクサにまぎれて、現地農民の土地を買い叩いたにちがいない。
くわえて、子どもであってもやってはならないこと、日の丸を盾に馬車(マーチョ)のただ乗り、露店でのかっぱらいなどやりたい放題。敗戦のその日まで、中国人を足蹴にしていた事実に謝罪すらしていない。
そしていま、あの地に眠る兄をふくめた日本人、24万人の墓参も果たしていない。
歳、傘寿を超えて「謝罪と鎮魂、そして望郷の旅」にはもう赴けない。このごろ、つとに思い募るばかりである。
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK171掲示板 次へ 前へ
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/
since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。