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「読売は朝日のようなクオリティペーパーだという共通認識を国民に持たれていないということ:中島岳志氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/15271.html
2014/9/17 晴耕雨読
https://twitter.com/nakajima1975
吉田証言も佐村河内問題も同じですが、デタラメだと分かった後で「実は取材時からデタラメだと思っていた」という人がいますが、私はそういう人を信頼しないことにしています。
この人達は、おかしいと思っても声を上げず、世の中の空気を読んで沈黙(もしくは空気に便乗)する人間だからです。
なぜ日本には得意げに「後出しジャンケン」をするメディア人が多いのでしょう。
彼ら・彼女らがいみじくも告白していることは、「自分はおかしいと思っても、その時は声を上げて批判せず、世の中の空気を読んで沈黙(もしくは空気に便乗)する人間である」ということなのに。
戦争中、軍部のプロパガンダに便乗し、聖戦論を鼓舞した人が、戦後になると立場を一転することが往々にしてありました。
彼らは戦中には指導者を讃え、戦後は口汚く罵倒しました。
そして、口をそろえて言いました。
「自分は始めからおかしいと思っていた」と。
評論家の長谷川如是閑は、そんな反転する敗戦直後の様子を目の当たりにし「敗けに乗じる」という文章を書きました。
彼は態度を一変させる人間を突き放し、そのさもしさを嘆きました。
吉田調書では、『読売新聞』2011年5月21日の「首相意向で海水注入中断」が誤報であることがはっきりとしました。
反民主党色の強い読売の意図が感じられる誤報ですが、あまり批判が高まりません。
読売の関係者はこれに安堵するのではなく、危機感を持った方がよいと思います。
読売は朝日のようなクオリティペーパーだという共通認識を国民に持たれていないということなのでしょう。
東スポに対して「宇宙人が出現したなんて誤報だ」と批判する人はいません。
みんな「そういう新聞だ」というコードを共有しているからです。
一連の朝日バッシングにおける中長期的な敗者は、読売新聞だと思います。
自らの誤報はスルーし、部数獲得のために朝日を叩き続ける行為は、多くの人の潜在的な信頼を損ねています。
一度、落としてしまった品位を回復するのは、とても難しい作業です。
ちなみに私はときおり東スポを読むのを楽しみにしています。
しかし、当たり前ですが朝日新聞と同じ読み方はしません。
「そういう新聞」として楽しんでいます。
みんな同じ読み方をしているでしょう。
新聞にとって読者が暗黙の裡に共有するコードは命綱です。
読売新聞は、自らこの命綱を切ろうとしているように見えます。
これは信頼できる情報ソースを失うという点で、国民にとって大変不幸なことです。
読売新聞はなんとしても週刊誌化しないでほしいと思います。
私は週刊誌をバカにしているのではありません。
週刊誌には週刊誌の「場所」があり、その「場所性」こそが新聞には不可能な問題追及を可能とします。
今問われているのは、読売新聞や産経新聞のイデオロギーではなく、新聞としての「場所」であり、読者が共有するコードです。
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