13. 2014年9月17日 10:44:28
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門田隆将氏、朝日の歴史的大誤報を糾弾「独善に鉄槌、生き残りは厳しい」 2014.09.12 http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140912/dms1409121830020-n1.htm 朝日新聞は慰安婦問題の大誤報に続き、東京電力福島第1原発の吉田昌郎元所長の証言をまとめた「吉田調書」でも誤報を認め、謝罪に追い込まれた。報道部門の最高責任者、杉浦信之取締役を解任するなど関係者を処分し、木村伊量(ただかず)社長も辞任を示唆するが、生前の吉田氏にインタビューし、朝日の「虚報」を早くから指摘していたジャーナリストの門田隆将氏(56)は「いわれなき“事実”を広めた罪は重い」と怒りが収まらない。「社長辞任でも幕引きはできない」と、朝日が抱える組織的な病巣を徹底糾弾する。 「朝日の独善的な体質が大衆に気づかれてしまった。今後、メディアとして生き残るのは厳しいだろう」 12日朝、門田氏は夕刊フジの取材にこう語った。吉田調書の誤報について「今回の問題は、私がブログに書いたことが契機となった。そこからどんどん波及して大きな問題に発展した。インターネットなどのニューメディアの登場が朝日をはじめ大メディアが情報を独占する構図を打ち崩した。メディア史の中に刻まれる大きなターニングポイントだ。大衆によって、朝日という大メディアのおごりに鉄槌(てっつい)が下された」と振り返る。 朝日は5月20日付朝刊で掲載した「所長命令に違反 原発撤退」と題した記事で、東日本大震災から4日後の2011年3月15日、福島第1原発の所員約650人が吉田氏の待機命令に違反して第2原発に撤退したと報じたが、門田氏は当初からその欺瞞(ぎまん)に気づいていた。 「読んだ瞬間にわかった。これは誤報だ、と。イデオロギーや主張に基づき事実をねじ曲げる。『いつものことをやってきた』と思った」 門田氏が疑問視したのは、朝日の記事で指摘された吉田氏の「命令」の有無だった。朝日の記事では、「吉田調書」中の吉田氏の「2Fに行けとは言っていない」との発言を引用して「命令」としていたが、そこには意図的な印象操作があったという。 「前後の文脈を読めば、命令ではなく、伝言が伝わっていなかったのだとわかる。朝日は意図的に重要な部分を削っている。言葉尻を捉えているだけで大事なファクトが抜けている。そのことに幹部の誰も気がつかなかったのか。彼らのジャーナリストの能力の欠如に驚きを禁じ得ない」 門田氏は、震災翌年の12年に吉田氏に長時間にわたるインタビューを行い、『死の淵を見た男−吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP)を出版している。 何度も現場を取材し、吉田氏の人柄や考えも熟知しているからこそ覚えた憤りもあるという。 「そもそも11年3月15日は(原発の)2号機から衝撃音がして圧力抑制室の圧力がゼロになるという、最も危機的な状況にあったときだ。朝日の記事通りの命令があったら、吉田氏は2Fに避難した人たちに死ねと言ったようなものだ。あの人がそんな命令をするはずがない。大誤報であるだけでなく、温かみのない新聞だと思った」 「吉田調書」を元にした朝日の記事には、現場作業員や関係者の証言が登場しない。この点についても、門田氏は疑問を投げかける。 「現場に出て関係者を1人でも取材すれば真実はすぐにわかる。これだけのキャンペーンを張ったのに、現場取材はきちんとやったのか」 朝日は12日朝刊での検証記事で「所員側への取材ができていないなど必要な取材が欠けていた」と“自白”している。 「朝日は事実を突き詰めることをしなかった。ジャーナリストとしてやってはいけないことだ」 門田氏は、自らのブログのほか、週刊誌や新聞などでも朝日の「吉田調書」報道に関して繰り返し疑問を呈してきた。 その門田氏に対して朝日は2度に渡って抗議書を送りつけた。「法的措置をちらつかせて恫喝(どうかつ)するというのは圧力団体の手法だ。そのことに対して言論機関として何の痛痒(つうよう)も感じていない。言論の自由に対してこれほどの軽さしか持ち合わせていないのか」と門田氏はあきれた。 11日の記者会見で木村社長は、8月5日付朝刊で訂正した慰安婦に関する報道にも言及し、「誤った記事を掲載し、訂正が遅きに失したことをおわびする」と陳謝した。 門田氏はこの件についても「火のないところに火をつけて、いわれなき“事実”を広めた。今回の『吉田調書』報道と同じだ。日本と日本人の名誉を徹底的におとしめた罪は重い」と手厳しい。 「クオリティーペーパー」を自認しながら、歴史的誤報を連発して世界に恥をさらした朝日。報道機関としての信用を著しく失墜させた今、待ち受けるのはいばらの道だ。 「社長が辞めて幕引きされる話ではない。そこから本当の追及と問題解明が始まる。まさにこれから『朝日問題』が勃発するのだ。言論機関として存立すべきかどうか。私は廃刊すべきだと思っている」と門田氏。 朝日の“長い夜”が明ける日はくるのか。 ■門田隆将(かどた・りゅうしょう) 1958年、高知県安芸市生まれ。中央大法学部卒業後の83年に新潮社入社。「週刊新潮」次長、副部長を経て独立。光市母子殺害事件をテーマにした『なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日』(新潮社)など著書多数。
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