http://www.asyura2.com/14/senkyo171/msg/363.html
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■ニコニコ動画
朝日新聞 植村隆の義母
http://www.nicovideo.jp/watch/sm24188858
――――――――――
7分25秒〜
ジープとかヘリコプターとは言ったらダメだよ!
(朝鮮戦争の時の売春婦だと)ばれるからね
だからジープはダメだよ
ジープはダメ!
ジープはダメ!
あと、熊本とか台湾に連れて行かれたと言ったらだめよ
・・・・・
元朝日新聞記者の植村隆の義母である梁順任(詐欺で逮捕)が、他の朝鮮人元慰安婦たちに対して、強制連行に関する証言の台詞(せりふ)の指導をしている動画だ!
植村隆の母は、他の元売春婦たちに、「ジープとかヘリコプターと言ったら朝鮮戦争の時の売春婦だったとバレるから、『ジープ』や『ヘリコプター』と言ったら駄目だ!」などとNGワードについて厳しく教えている・・・・
(正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5574.html)
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★『補償金は会費の額に応じて分配される』、『支払った額の30倍になる』といった言葉を信じて、3ヵ月で98万ウォンを支払った会員もいました。『日本統治時代に生きていた人は、(徴用されていなくても)会費を出せば必ず補償金がもらえる』・・・・
http://kenjya.org/ianhu3.html
●西岡力…「私の取材で日本政府に賠償を求めていた韓国の団体の幹部だった梁順任氏が、植村記者の妻の母親であることがわかった。植村記者が義母の利害に関係する問題で、嘘の記事を書いたことは許しがたい」
●梁氏が幹部を務め、後に会長となった団体とは、太平洋戦争犠牲者遺族会(現・亜細亜太平洋戦争犠牲者韓国遺族会)。実はこの団体は、2011年に詐欺事件でソウル広域捜査隊から摘発され、梁氏自身も13年3月に起訴されているのだ。
●この事件を取材した韓国のネットメディア「メス・タイムス」の朴宣協記者が経緯を語る。
「老人たちに『日本から賠償金をもらう自信がある』と持ちかけ、会費という名目で15億ウォン(約1億5千万円)を騙し取ったという容疑でした。『補償金は会費の額に応じて分配される』、『支払った額の30倍になる』といった言葉を信じて、3ヵ月で98万ウォンを支払った会員もいました。『日本統治時代に生きていた人は、(徴用されていなくても)会費を出せば必ず補償金がもらえる』という説明もあったそうです」
●実は、同類の詐欺はこれまでも韓国社会で問題になってきた。『韓国が「反日国家」である本当の理由』(彩図社)の著書があるライターの崔硯栄氏が解説する。
「05年にも日本統治期の強制動員に対する賠償金がもらえるという賠償金詐欺が摘発されました。警察の調べによると、驚くべきことに会員の80%は徴用経験のない“偽被害者”でした。この団体は、マルチ商法の経験者をスカウトして会員集めに及んでいた」
●被害にあった60代の女性会員もこう憤る。
「友人からも会費を集めて、合計で800万ウォンを支払いました。梁会長は『自分の婿は日本で記者をやっているので、私も日本で待遇がよい』と自慢げに話していて、私も海外で活動するすごい人なのだと信用していました。彼女は知名度を利用して人を騙したのです」・・・・
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★一番胡散臭いのが朝日新聞や国連が信奉する自称慰安婦の証言
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5574.html
▼金学順▼
1991年8月15日「ハンギョレ新聞」
(一部抜粋)
生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキーセン検番(日本でいう置屋)に売られていった。三年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父に連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊の前だった
▼黄錦周▼(1993年「河野談話」の前に聞き取り調査した16人の一人)
992年4月『元兵士たちの証言 従軍慰安婦』西野留美子著
17歳の時、工場で働けるといわれ満州の吉林へ。
其処が慰安所だった。淋病、梅毒にかかっても慰安所で働かされた。
1992年7月『従軍慰安婦と戦後補償』高木健一著
生活は貧しく、12歳のときに100円で売られた。ソウルの金持ちの家で小間使い。 1938年に威鏡南道ハムン郡で女中をしていた時に、その家の娘の身代わりとなって満州に連行され従軍慰安婦となった。
吉林省、樺太、また吉林省と移動してそこで終戦。
1993年7月『写真記録 破られた沈黙 アジアの「従軍慰安婦」たち』伊藤孝司著
1922年生まれ。12歳の時売られ1942年工場供出の員数割り当てがきてソウルの金持ちの家で女中をしていた家の娘の身代わり。
行った先が慰安所だった。
1993年7月「河野談話」に向けたヒアリング(聞き取り調査)
1927年12月1日生まれ。15歳で養女に行き、19歳のとき、養い親に白い令状がきて義姉の代わりに行った。「吉林駅」からトラックでひどく寒い場所に連れて行かれ、軍人たちの相手をさせられた。4年目の8月に解放された。
1993年10月『証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会編集
1922年8月15日生まれ。1941年村の班長(日本人)が「日本の軍需工場に三年の契約で仕事をしに行けばお金が儲かる、一家で少なくとも一人は行かなくてはならない」と、暗に脅迫しました。行った先が吉林駅。
1995年7月24日 【朝日新聞】元従軍慰安婦 黄錦周の世界1
日本人の班長が「三年契約で軍需工場で働く」件で会う度に「どうするの?」と聞くので「私が行きます」
1995年7月25日 【朝日新聞】元従軍慰安婦 黄錦周の世界2
「多い日で15人ぐらい、クリアスマスには20人近かった」(日本にクリスマスの習慣が入ったのは戦後)
1996年1月4日、国連・経済社会理事会クマラスワミ報告
17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に、日本軍の工場に働きに 行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだと思いました。
1997年夏 本人発言「日韓社会科教育交流団」韓国を訪問
満18歳になったある日、男がやって来て、村から娘を提供するように言いました。
1997年12月5日、本人発言『元日本軍「慰安婦」の証言を聞く集会』福岡
村の班長(日本人)に「日本の軍需工場に行けば、お金がもうかる。一家に一人は行かなくては」と脅かされ、奉公先の娘たちにかわって、1941年、20歳で韓国を離れましたが 、到着した場所は、慰安所でした。
2001年5月17日 【TBS】「ここが変だよ日本人」 本人発言
「私は19歳で学校を卒業する25日前に日本軍に引っ張りだされ仕方なく慰安所に行ったんだ!」
2001年7月17日 『黄錦周さんの証言を聞く会』東京大学にて本人発言
「14歳のとき、いわゆる「少女出」で満州に連行され、皇軍兵士のセックスの道具にされた。つらい体験だった。」
2006年11月28日 「中央日報」元慰安婦ファンさん、4000万ウォンを奨学金に寄託
1924年生まれ。17歳の時日本軍に連行され興南のガラス工場で働き、20歳の時に間島に連れて行かれて慰安婦になった
▼金君子▼(2007年米下院公聴会での証言者)
平成17年11月「東京の高校生 平和のつどい」
●【1942年3月】、養父に「お金を稼げるところがあるから」と言われて、朝鮮人の軍人に連れて行かれました。
2006/02/26, 朝日新聞
●17歳の時、家に朝鮮人2人が来た。「工場で働かせてあげる」。列車で連行されたのが旧ソ連国境近くの中国・琿春。
2006年−(79歳−17歳)=【1944年】
▼李容洙▼(2007年米下院公聴会での証言者)
1992/08/23, 朝日新聞
1992年に採録された韓国挺身隊問題協議会の証言記録
●1944年、満16歳の秋、友人に誘われて、日本人の男の人のところへ行き、即座について行った(他の4人の韓国人女性とともに台湾へ連れて行かれた)。
1995/11/27, 中日新聞
1996/07/17, 朝日新聞
●14歳の時、中国の大連から台湾に軍隊と一緒に軍用船で強制連行され、17歳まで兵士の相手をさせられた。
1996/08/10, 中国新聞
●15歳の時に川で水遊びしていてら致され、途中さまざまなごう問を受けながら中国・大連を経て軍用船で台湾へ。
2002年6月26日(水)「しんぶん赤旗」
●14歳で銃剣をつき付けられて連れてこられた。
2004年12月4日全国同時証言集会・京都
2004/12/05, 朝日新聞
●1944年、16歳の時に韓国・大邱から「軍服みたいな服を着た男」に連行され、台湾へ。…
日本軍「慰安婦」としての生活を3年間強制された。
↑1945年に戦争が終わったのだから、1947年まで日本軍「慰安婦」を強制されたなんて絶対に有り得ない。
▼金福童▼
嘘1
金福童は、「14歳のころ、旧日本軍に『軍服を作るために日本へ行く』と日本統治下の韓国から連行された。アジア各地の前線を転々とし、8年間、慰安婦を強いられた。」と証言している。
しかし、慰安婦は17歳とか18歳以上しか募集されておらず、14歳の慰安婦が発覚すれば関係者は厳しく処罰されたので有り得ない。
嘘2
金福童は「14歳のころから8年間慰安婦を強いられた」すなわち1939年から1947年まで慰安婦を強いられた証言している。
しかし、大東亜戦争は1945年に終わっており、1947年まで慰安婦を強いられたなどということは絶対に有り得ない。
嘘3
金福童は、2013年9月18日、フランスで「朝鮮戦争当時 日本軍に無惨に踏みにじられて悔しい思いをさせられた。日本が誤りを悔いて慰安婦被害者の問題を解決できるように助けて!」と絶叫した。
しかし、朝鮮戦争当時、日本軍は存在しなかった。
▼文玉珠▼
文玉珠については、「証言集の本」と「手記の本」が出ているが、様々な食い違いを露呈している。
■慰安婦になるまでの経歴
「証言集の本」
私立の夜間学校に3年通う
10歳から15歳 お手伝い
15歳から17又は18歳まで 靴下工場勤務
17又は18歳 ビルマに行き慰安婦にされる
「手記の本」
12歳頃 九州で働く
半年で韓国に帰国し キーセン見習い
16歳 満州国へ拉致される
17歳 帰国してキーセンになる
仲間とビルマに渡り慰安婦となる
<参考リンク>
★植村記者は義母の詐欺の共犯だったのか
池田 信夫
http://agora-web.jp/archives/1611635.html
★社民党・福島瑞穂と元朝日編集委員の松井やより、慰安婦の聞き取り調査で、スタッフが慰安婦に台詞を言わせて演出していた!
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5574.html
◆[土曜版 カバーストーリー] 「人身売買に遭い毎晩泣きながら米兵を受け入れた」(ハンギョレ新聞)
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/17752.html
◆慰安婦問題 核心は変わらず(朝日新聞)
http://www.asahi.com/articles/ASG8W4CPWG8WUTIL01N.html
※朝日は慰安婦の経歴を調査しても見解が変わらないようなら
倒産してください。日本のためにお願いたします。
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