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<昭和天皇は平和主義者ではなかった>
敗戦後の日本では「天皇が平和主義者だった」という見解が宮内庁OBや学者らから発信、其れを鵜呑みにする国民も多い。筆者もその一人だったが、このほどまとめられた「昭和天皇実録」に関係した学者らによって、真っ向から否定された。天皇は敗戦直前まで、信仰する神社に必勝祈願していた。それは「神風が吹く」と信じた国家神道まみれの多くの無知蒙昧の庶民と同じ思いだった。当初から日本敗北を信じていた賢者はわずかだった。宮澤喜一元首相はそんな数少ない日本人の一人だったため、敗戦で「これで電灯がつく」と安堵した。徹底した合理主義者は、天皇が神などと言う馬鹿げたロジックに迷わされてはいなかった。そうしてみると、中国侵略軍の総帥として関東軍が従軍慰安婦業者に天皇勲章を与えたことも理解出来る。
<全て神頼みだった英米戦争>
敗戦時の天皇記録に詳しい明治学院大学の原武史教授が新聞の取材に明かした史実は、とても興味深い。
「天皇は現人神」のはずだった。その天皇神が、別の神に戦勝祈願をする?どういうことか。天皇家の神社は伊勢神宮のはずである。あるいは明治神宮や出雲大社なのか。しかし、一向に神風が吹かない。敗戦は必死だ。
そうした局面で天皇神は、九州の宇佐神宮や香椎宮に勅使を送って「敵国・米英の撃破」を祈願した。これをどう読み解くか?
「現人神」は偽り、架空の存在だったことになる。当たり前と言えば当たり前のことである。従って、普通の人間である天皇は、しかし、熱心な神社信仰者だった。神風を信じていた。伊勢神宮に力がないと悟ると、次々と別の神社に必勝祈願をする古代人のような対応だった。
今日からすると、マンガのような世界で生きていた。それが明治に確立した祭政一致・国家神道の真相だったことになる。
シンポジウムで安倍の後見人・森喜朗は「日本は天皇中心の神の国」と信じ込んでいるが、それは安倍も、そして2人が心酔した岸信介もそうだった。国粋主義者の観念であるとも紹介した。 敗戦後の天皇は、すこぶる人間的に振る舞うようになる。実録などから判明したことは、A級戦犯が東京裁判の結果、戦争犯罪者として処刑される時点で、天皇はキリスト教関係者とひんぱんに接触する。
もはや無力の敗戦神社・神道では、戦後を生き抜くことは出来ない。そう考えての行動であろう。原教授は「キリスト教への改宗を本気で考えた」と想定する。そういえば、皇太子妃はキリスト者である。
神道で国を救うことは出来ない。ならば捨てればいいのだが、それが出来ない。別の宗教へ?こうした心理状況が天皇の価値観なのか。何かを信仰していないと安心できない。弱い人間には理解出来るかもしれないが。幼時期からの教育と関係があるのだろう。
正に、弱い人間天皇そのものだ。
国家神道の流れは、財閥や官庁でも継承されていることに気付いてそう長くはない。公共の建造物を立ち上げる際、神道の儀式である地鎮祭を行う。財閥の建物の一角には神社を設置している。自衛隊内にある神社を見たことがある。これも不思議なのだが、無力・神風の吹かない神道は今も生き抜いている。自民党内には神道派グループが形成されているが、その筆頭が森や安倍。最近では外国通信社にネオナチとして大々的に報道された高市・稲田という女性議員もいる。むろん、安倍側近の国粋主義者で知られる。
夏や秋の祭礼に庶民も巻き込む風習は今も、である。これに抵抗した戦争遺児・影山友子は偉かった。彼女は公明党の太田や山口・北側とは違った勇気ある人物だった。
シンポジウムは9月1日に行われた関係で、昭和天皇実録を承知していなかったため、あえてここで追加することにした。前近代そのものの政教一致体制は、飯島勲がいうように公明党だけと限らない。
神がかり・カルトが、いまも日本社会を覆っている。ここに歴史認識の危うさが存在しているのだが、外国人には全く理解できないでいる。
<身代わりに沖縄を差し出す>
敗戦による新憲法で、日本国民が主権者という民主憲法が誕生した。これは戦争放棄と人権尊重の世界に冠たる憲法である。
それでいながら天皇は、マッカーサーに「沖縄をどうぞ」と差し出した。これは大変な犯罪的対応である。法的に成り立たない。天皇自ら違憲行為をしたことになろう。
したがって、マッカーサー会見は実録に載せていない。この実録もまた偽りの部分を残してしまった。69年経っても秘密、目下の特定秘密保護法が怖い。都合の悪いことは隠す、歪曲するという悪しき体質は、吉林省公文書館が公開した関東軍資料からもわかる。それを指摘した中国人学者がいて当然だった。
明治以前の薩摩藩に侵略された琉球は、それゆえに日米戦争の渦中に叩きこまれ、敗戦後もずっとワシントンに占領されてきた。琉球・沖縄の真実もまた、正しく教育の場で教えられていない。
歴史の真実に向き合えない日本政府に、多くの日本人はひたすらたじろぐばかりだが、それでいいのだろうか?日本国民は1945年9月3日に、事実上、主権者の地位を獲得したはずである。目を覚ませ、といいたい。
すばらしい憲法を手にしながら、それを行使できない日本人、確か自治大臣をした白川勝彦が筆者にそう指摘していた。彼は大平正芳や宇都宮徳馬を尊敬した勇気ある弁護士である。
2014年9月11日記
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