33. 2014年9月15日 21:45:06
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朝日新聞の「吉田調書」報道とは、政府事故調による「吉田調書」を入手したとして、2014年5月20日から始まったキャンペーンのことだ。朝日新聞が言うその「命令違反」がいかに”誤報”であるか、私はもう1つの「証拠」を提示したい。 それは、政府事故調ではなく、国会事故調の吉田氏への「聴取結果」である。 国会事故調は、震災翌年の2012年5月14日午後、病床にあった吉田氏に聴取を行っている。 吉田氏が食道癌の手術を受けた慶応大学病院の病室において、である。 ヒアリングを行ったのは、国会事故調の黒川清委員長、野村修也委員ほか2名である。聴取結果は、2日後の5月16日に<東京電力福島第一原子力発電所元所長吉田氏ヒアリング>として、A4判で計32ページの一問一答式の証言として残された。いわば国会事故調による「吉田調書」だ。 このほど私は、この調書を入手した。そこには、問題の2011年3月15日朝の危機的状況についての証言があった。吉田氏は聴取に対して、2011年3月14日夜から2号機の圧力が上昇し、海水注入もままならない中で、免震重要棟に女性職員を含めて大勢の人間が残っていた切迫した状況を説明していたのだ。 <吉田:で、僕はこれはもうダメかもしれないと、入らない。海水入らなかったら、これは2号機は酷いことになるなと思って、もうここで腹くくって、こんななってたんですけどね、ただ、ちょっといろいろあるんですけど、そんときに、協力企業さんには、廊下で何人もいらっしゃったんで、あの、帰ってくださいと、あの、帰ってくださいというのは、今直接、彼らがやることはないんでね、まーあの、最悪でもここを離れれば、帰れる人は帰ってくださいと、で、帰してあげたりとかしたんですけれど、そこは覚悟してました。ただもう後は入れて、入れるか入るかどうか、もう、神様に頼むだけだと思って。 野村:そのときはあれですよね、職員、従業員の方の中でも、必ずしも炉に関係の方じゃない人もたくさんおられたんですよね。 吉田:いましたよ。 野村:そういう方々もやっぱりお帰りになることは考えられたんですか。 吉田:ええ、あの、女の子がまだいたんですよ。だから、女性は帰せということを言ってました。ただ、やっぱり技術屋はですね、あれですし、やっぱり事務員はある程度、上のほうを見れば、全部そろっていたから、要するに全員対応なんだ完全に。本当に女性とかですね。本当に企業さんの、それこそバックホーで瓦礫片づけてくれた人とかね、もういていただいてもそうやって・・・あれななんで。 野村:大体何名くらい残れば大丈夫だとお考えになったんですか。 吉田:難しいですね。そこの人数はね、人数ベースまで考えてないです。最後の最後は、俺と死ぬのはどいつだって言うんで、あの、。 野村:数人ですよね。 吉田:それはね、10人くらい昔から知ってるやつ、こいつらだったら死んでくれるかなと思ったのはいますけど。ま、その段階になる前はね、ある程度・・・。 野村:作業に必要な人だけ残すと。 吉田:そうそうそうそうそうそう。(略)> この切迫した中で、東電本店では、「退避の手順」を取り決め、午前3時過ぎには、福島第一原発(1F)に対して、「健常者は2Fの体育館へ」、そして「けが人は2Fのビジターへ」と、具体的に収容する建物まで指定して「必要最少人数を残して、それ以外の人の2Fへの退避」を命じていた。東電本店は「全面撤退」など考えていない。 しかし、菅直人首相(当時)をはじめとする官邸の面々が、「現場から全員撤退するのではないか」と誤解して、東電本店に乗り込んできたのは、午前5時36分のことだ。 <吉田:一晩かけて作業等をやっていたんですけど、うまくなかなか抜けていかなかったというのが印象なんですけど。で、そうこうしているうちに、朝の、あの日、たしか15日は、菅さんが東京電力の本社に押しかけてきたときですね。 黒川:はい、押しかけてきた。 吉田:そこで、テレビ会議システムのこのサイトのほうにも伝わってきたんですね。そのさなかに、何か爆発音がしたんですね。 黒川:そうですね。 吉田:それから、2号機のサブレッションチェンバーの圧力がゼロになったんです。これは、本当に、おなじタイミングなんですよ。我々からすると、4号機のことは全然わかりませんから、4号機がまさか爆発するなんというのはこっちは思ってないですから> サブレッションチェンバーとは「圧力抑制室」のことで、格納容器の圧力を調節する役割がある。その圧力がゼロになったということは、何がしかの損傷を受け、中から大量の放射性物質が放出される危険を示すものだった。実際に、この日、放出された放射性物質は18京ベクレルで、構内の放射線量も最大で毎時1万1930マイクロシーベルト(正門付近・朝9時)まで達している。 もはや、1Fで最も安全な免震重要棟にさえ留まれない状況になったのである。 朝日新聞は、防護マスクが圧倒的に不足する中で、600人を超える部下に、吉田所長が1F構内で一番安全な免震重要棟以外での「待機を命じていた」というのである。 だが、国会事故調の聴取に吉田氏はこう述べている。 <吉田:えー、これも、これは2号機のサブチャンがブレイクして、えー、その、放射能が大量に出る可能性が高いということで、まー、モニタリングをしっかりやれということと、1回、あの、避難だと。全員じゃないですよ。作業に必要な人間を指名して残して、それ以外の人間は1回避難しろと言ってバスに乗せて避難させた。だから、人間がそのときは一番ミニマムだったんですね。という状態で、だから、そのうち線量が上がってきた。(略) 黒川:ちょうど菅さんが東電に行ってたときですね。 吉田:そうです。そうです。 黒川:東電のビデオがちょうどね。 吉田:ええ。ビデオが。 野村:所長がヘルメットをかぶって、えー、映っておられるときですね。 吉田:ええ> バスに乗せて避難させたーー吉田氏は、はっきりとそう証言しているのである。 政府事故調の「吉田調書」にも、朝日新聞は書いていないものの、実はバスに乗せて退避させたことが繰り返し述べられている。 「関係ない人間は退避させますからということを言っただけです」 「2Fまで退避させようとバスを手配したんです」 「バスで退避させました、2Fの方に」 それらは、すべて朝日新聞の命令違反報道とは正反対の吉田証言である。吉田氏は、一貫して女性職員を含む現場以外の人間など、少しでも部下たちを遠くに退避させたかったのである。 吉田氏は、部下の9割が自分の命令に反して「撤退した」などということは全く述べておらず、それとは真逆の部下を褒め讃える言葉を何度も口にしている。 <吉田:未曾有のときにね、今回もそうなんだけど、イザワ(筆者注:伊沢郁夫当直長。事故時、1・2号機中央制御室で最後まで事故対応にあたった)という僕の一番信頼してる当直長がね、もう若いやつが足すくんで「もう帰ろう」と言っても、土下座して残ってくれって頼んでくれたり、それで、本人がまた現場に行ったりとか。ほんとに今回当直長とか当直副長クラスが現場で踏みとどまってくれたのがすごいですよね。 黒川:そうですよね。 吉田:大きいと思いますよ。にもかかわらず、運転がどうだったかみたいなことを言うやつがいると、もうはらわたが煮えくりかえってくる、私、ほんとに。わかってるのか、おまえら、運転がと> 吉田氏の怒りの大きさが伝ってくるようだ。さらに部下たちの命を慮るこんな吉田氏の証言もある。 <吉田:やっぱりねえ、僕は発電所長としての判断はですね、今回、やっぱり発電所にいる人の命なんですよ。これを守らないと、その周辺の人の命も守れないわけですよ。ええ、これがやっぱり大基本だと思うんですよ。ずっとそれは、今回の措置の中で、ずっとそう思ってましたから、被曝の問題もそうですけど、被曝させてしまって大変申しわけなかったんだけど、あるレベルで抑えるというかですね、こういうことをきちっとしていく、そこだと思いますね。そこが今の議論の中でスコッと抜けているんですよ> これが、朝日新聞が報じた「1F構内での待機を命じた」吉田像と全く異なる「真実の姿」である。部下を讃え、その”命”を最重視する吉田氏の言動は、朝日新聞の”誤報”を決定づけるものである。 私が朝日新聞に言いたいのは、たった1つである。自らの「イデオロギー」や「主張」ではなく、あくまで「事実」に基づいて報道する、というジャーナリズムの原点に立ち返れ、ということだ。それができないなら、日本のために一刻も早い「廃刊」を望む。
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