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記者会見でメガネに手をかける朝日新聞の木村伊量社長。辞任するつもりはあるのか=11日夜
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140912/dms1409121535019-n1.htm
2014.09.12
朝日新聞の木村伊量(ただかず)社長が11日夜の記者会見で、とうとう謝罪に追い込まれた。だが、自身の進退については何度聞かれても明言せず、部下の杉浦信之取締役編集担当はあっさり更迭した。杉浦氏の後任には政治部の後輩で、「木村氏に極めて近い」(朝日記者)という西村陽一取締役が充てられた。社長ポストに居座り続ける木村氏とはいかなる人物か。
「信頼回復のためにリーダーシップを発揮していきたい」
木村氏は会見でこう述べ、社内改革に意欲を示した。「道筋がついた段階で速やかに進退を判断する」といい辞任は示唆したが、それが1カ月後なのか、数年後なのか、時期については明言しなかった。
多くの政治リーダーの引き際を見てきた政治評論家の浅川博忠氏は「往生際が悪い。社内改革は後継者に委ねるべきだ。木村氏が居座れば『自分の罪を隠そうとしているのでは』という疑念を持たれる」と一刀両断した。
木村氏は1953年香川県生まれ。早大政経学部を卒業し、朝日新聞に入社した。政治部記者として活躍し、2012年6月に並み居る上席役員をごぼう抜きして社長ポストを射止めた。
政治部時代は宏池会(現岸田派)を長く担当した。当時を知る他社の記者は「あんまり目立たない、人当たりのいい人物だった」と振り返る。
そんな木村氏に大きな試練が訪れたのは、東京編集局長時代の2005年のこと。長野総局の記者が、新党結成をめぐって田中康夫氏と亀井静香氏が「長野県内で会談した」とする架空の田中氏の取材メモを作成し、同年8月21、22日付の朝刊で、虚偽の内容を報道してしまったのだ。
この件を受け、木村氏は編集局長ポストを更迭される。これで出世街道も途絶えたかに見えたが、09年3月には編集局長に返り咲いた。出世レースに復帰した木村氏は、以前の「人当たりのいい人物」とは別人になっていたという。
ある朝日記者は「木村氏は『イラ菅』と呼ばれた菅直人元首相のようにすぐにイライラする。部下を怒鳴り散らすのは日常茶飯事だ」と明かす。11日の会見でも同じ質問が繰り返されるとイライラした様子を見せた。
「経営トップとしての私の責任も免れません」
木村氏は12日付朝刊の署名記事にこう記しているが、社内からは「木村氏が居座るなら、こんな会社にいられない」(中堅記者)との声まで上がっている。
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