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権力がメディア監視の倒錯 自業自得の朝日と火事場泥棒な読売産経(世相を斬る あいば達也)
http://www.asyura2.com/14/senkyo171/msg/228.html
投稿者 笑坊 日時 2014 年 9 月 11 日 07:44:13: EaaOcpw/cGfrA
 

http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/68da42cc468dd8820afab3438f32ddd0
2014年09月11日

 以下は山田厚史氏のエクスキューズと云う意志を包含するコラムだが、マスになった新聞社の実体が良く理解できるものになっている。このコラムを読んでいて理解できたことは、善かれ悪しかれ、精神棒の入っているメディア(産経・読売・赤旗等々)の方が、丁々発止と生きる事が可能なカオスの時代になっていることを窺わせる。リベラルであるとか、ニュートラルとか知的で教養があることが、結構生き辛さを助長する時代に突入した事を予感させるコラムでもあった。今夜は時間がないので、山田氏のコラム掲載だけでご勘弁願うが、民主主義の根本原理を確認すればするほど、“こりゃ無理だな”と云う感慨が強くなる今日この頃だ。非現実的なデモクラシーに関われば関わるほど泥沼に嵌り込む。そう、思わないで自分を騙しても意味はないと思うようになっている。

≪ 袋だたきの朝日新聞! リベラルメディアの退潮に喜ぶのは誰か

 池上彰さんのコラムを掲載拒否した、と聞いて「なんてバカなことを……」と絶句した。従軍慰安婦報道の検証記事をきっかけに朝日新聞への批判が沸騰している。週刊誌の記者からコメントや見解を求められるが、私は「社の対応の拙さ」に苛立ちながらも、「朝日批判の合唱に加わるつもりはない」とお断りしてきた。

 だが、「掲載拒否」はジャーナリズムの一隅に身を置くものとして見過ごすことはできない。朝日新聞にとっても、火に油を注ぐ愚挙だった。なぜ、こんな硬直した対応になるのか。この会社で記者教育を受け、定年まで取材現場にいた立場から、社の体質と、取り巻くメディアの構造問題を考えてみた。

■ なぜ今まで検証の機会を逃したか

 8月5日の検証記事「慰安婦問題 どう伝えたか」を読んで、社内問題としてくすぶっていた「厄介ごと」が、とうとう公の場に出たか、という印象だった。

 済州島で強制的に慰安婦をかき集めたという吉田清治氏の証言を「虚偽」と判断し、「記事を取り消す」とある。記事取り消しは、尋常なことではない。致命的なミスを認めることだ。編集幹部がそれなりの覚悟を決めて踏み切った、と思った。そんな「英断」が、なぜか紙面の片隅の「読者のみなさんへ」という囲みに小さく書かれていたのは不思議だった。

 虚報を認める覚悟と、逃げ腰の表現。この落差に、朝日新聞の苦悩がにじみ出ているが、読者にとって不親切きわまりない。取り消す記事とは、いつ何を書いた、どの記事なのか。お詫びの言葉さえない。

 朝日がはじめて吉田清治氏を取り上げたのは1982年だった。大阪での講演の内容を大阪社会部の記者が記事にした。90年代初頭まで「慰安婦の強制性」を語る傍証として何度か記事になった。秦郁彦氏の調査などで「つくり話」の疑いが浮上したのは92年4月。それから22年が経っている。「訂正」する機会はあった。

 97年には、一回目の慰安婦問題の検証が行われた。この時、事実確認を求めた記者に吉田氏は面会を拒否した。紙面には「真偽は確認できない」とだけ書かれた。この時、どこまで真相に迫ろうとしたのか。以後、朝日は吉田証言に触れていない。 「危ない話だから、もう取り上げない」という暗黙の措置だった、といわれる。実情を知るのは一握りの関係者だけ、社内の「ひそひそ話」で終わってしまった。

 今回、封印を解き、記事を取り消した。だったらなぜ今に至るまで「虚報」が訂正されなかったのか、読者への説明が必要だろう。朝日新聞の記者は企業や役所の不祥事に「なぜ問題が先送りされてきたのか」と追求してきた。新聞社は例外というわけにはいかない。少なくとも97年の時点で、虚言の心証を得ながら、曖昧な措置に終わったことの総括は示してほしい。8月5日の検証記事は、自分たちが言いたいことは書かれているが、読者の疑問に応えようという姿勢は見えない。

■ 相互不干渉が招く独善

 そんな中で「慰安婦報道、責任者は誰か」という弾劾メールが朝日OBらに流れた。筆者は朝日新聞の元論説委員。メールはインターネットで拡散されている。

 メールは、最初に吉田清治を紙面で紹介した大阪社会部員と、一回目の検証記事を仕切った97年当時の外報部長は同じ人物であると指摘し「誤りを素直に認めて謝罪する道を自ら閉ざした」と述べている。

 元論説委員は97年当時、外報部次長で「社内には『従軍慰安婦問題は大阪社会部と外報部の朝鮮半島担当の問題』と距離を置くような雰囲気がありました」という。

 朝日新聞は編集部門だけで3000人余が働く。組織は縦割りで、東京、大阪、名古屋、九州と本社が別れ、それぞれに社会部や経済部などあり、さらに分野ごと課題別に担当が細分化している。それぞれがタコツボのような縄張りがあり、よく言えば専門性が尊重され、逆の見方をすれば、部外者は立ち入れない。相互不干渉が独善を招くこともある。

 慰安婦問題を取材してきたのは「朝鮮問題」を担当するか細い人脈だった。吉田氏からの取材で強制連行を書いた記者はソウル特派員、外報部長となり、慰安婦問題に責任ある立場に就いた。吉田証言に「作り話」の疑いが持ち上がっても、検証記事の仕切り役が当事者である。まな板のコイに包丁を持たすようなものだった。  

 朝日新聞は言論機関であるのに、私が現役の頃、編集方針をめぐる闊達な議論がないことが不思議でたまらなかった。部長会・デスク会は毎日昼夜行われる が、記事を巡って議論が戦わされることはあまりない。記者クラブごとに「出稿予定」を編集局に送り、各部のデスクが調整して編集会議にあげる。各部が記事 を持ち寄って紙面ができる。部長が説明や釈明をすることはあっても、他の部長・デスクが意見を差し挟むことはまずない。議論という横串がないから他分野への関心は薄くなり、相互チェックが働かない。

 誤解を恐れずに言えば、報道に誤報はつきものだ。発表に頼ればリスクは小さいが、情報の垂れ流しである。現場に踏み込んで、隠れた事実を掘り起こ そうとすれば、失敗も起きる。取材は人と会うこと、書かれた情報を読むことから始まる。だが、取材相手の話やデータが怪しくないか、眼力や嗅覚を磨くことが欠かせない。それでも間違うことはある。取材に100%安全はないのだ。ワクワクする情報ほどリスクは高い。

 数字や固有名詞など分り易い間違いは「訂正」されるが、見立ての誤りは、訂正しにくい。また深刻な誤りほど、隠したくなる。当事者でないと判断しにくい誤りは、なおさらである。分断された取材体制は、独善がはびこり易く、誤りをチェックしにくい。吉田証言はその典型ではないか。20年前にタコツボに入れたまま、忘却の海に投げ出されたのである。

■ 権力がメディアを監視する時代

 ところが日韓関係の悪化を、朝日新聞の責任と追求する学者グループや産經新聞によって、今日の課題として引き戻された。

 朝日新聞は追い込まれ、その状況が、虚報を訂正する腰を重くした。記事を巡る攻防は、朝日に非があったが、メディア状況を俯瞰すると、ことは政治性を帯びてくる。

 慰安婦問題は、日本の戦争責任をどう見るか、という歴史認識と密接につながっている。朝日新聞を糾弾する人脈は「新しい歴史教科書を創る会」など歴史修正、あるいは「戦後レジュームからの脱却」を目指すグループと微妙に重なっている。産經新聞が発行する「正論」がこの種の論客を擁し、自民党と密接な関係を持つ保守派の「日本会議」とも重なっている。

 日本国憲法の精神を掲げる朝日新聞と、憲法改正を叫ぶ勢力の対峙が「慰安婦問題」に投影した。緊張関係は安倍晋三氏が自民党総裁になって一段と高まった。

 野党が無力化したいま、安倍首相が進める政策の抑止力は「世論」が担っている。国会議員の過半数で改憲を発議できるようにする憲法97条改正が頓挫したのも、憲法9条の空洞化を促す集団的自衛権に「厳格な制約条件」が付いたのも、世論の力によるものだ。

 野党が抵抗勢力の時は国会対策が重要だった。いま政権はメディア対策に力点を置くようになった。メディアが権力を監視するのではなく、権力がメディアを監視する時代である。
「改憲でも原発再稼働でも、最大の抵抗勢力は朝日新聞という見方が官邸にはある」と指摘する政府関係者もいる。

 こうした状況が朝日の内部に「自分たちが頑張らなければ」という使命感をかき立ててきた。見る人によっては「独善的」であり「鼻持ちならないエリート感覚」と映る。政治の右傾化が朝日の編集局を頑なにしている。

 吉田証言は限りなく怪しくても、「ウソでした」と表明すれば歴史認識の修正を迫る勢力を勢い付かせる、という懸念もあった。間違いは潔く認めようという決断のはずが、中途半端な説明となって逆効果を招き、朝日たたきを招いた。そして雑誌広告と池上コラムの「掲載拒否」へと進む。

 批判はしてきたが、批判されることに慣れていない。外からの攻撃に弱いインテリ組織。快くない文字や文章が自分たちの紙面に載ることを嫌った。掲載拒否は誰が決めたか知らないが、正常な判断力を失った結果である。 「言論の自由」を掲げ、リベラルの旗を振る朝日新聞が、筆者に依頼した原稿の内容が気に入らないから載せない、というのでは朝日を支援している人さえ離反させる対応だった。

 虚報の責任は現・木村伊量社長の責任ではない。が、掲載拒否を招いた責任は社長にある。しかるべき決断があると思う。

■ 朝日をつぶせという「お祭り」騒ぎ

 朝日の失態に読売新聞は販売攻勢をかけている。「朝日32年後の撤回」と見出のついたチラシを各戸に配布している販売店もある。産經新聞は、「朝日新聞廃刊」や、「集団訴訟」を主張する言説を掲げ、言論でなく国民運動として「朝日攻撃」を煽る。考え方の違うメディアを「つぶせ」と言わんばかりのお祭り騒ぎ。週刊誌も筆がそろって朝日たたきに興じている。日本のメディア史の中で、この動きは後世、どう書かれるか、とふと思う。

 インターネットの登場で、メディアの産業構造は激変している。新聞社を中核にテレビ、出版、文化事業などに手を広げたメディア複合体が高度成長の日本に形成された。記者クラブで情報を独占し、放送免許を得て事業を拡大した。政府と繋がって、上から情報を配給する既存のシステム。これを根底から覆すインターネットが登場した。記者クラブも免許も巨額の設備投資も必要としない無数の発信者が、アメーバー的にネットワークを形成する時代が始まっている。 ピラミッド型の巨大複合体は、構造不況業種になりかねない。

 旧メディアの業界は、ブランド力のある朝日新聞を袋だたきにしているが、それは自らが生き残るための共食いなのか。

 失われた20年で日本は中国に経済規模で抜かれ、メイドインジャパンの誇りは韓国のサムスンに奪われた。周辺との力関係の変化がナショナリズムに火をつけて、「ニッポン、チャチャチャ」の空気が充満している。「日本を取り戻す」という首相の言葉に合わせるように「日本を貶める朝日」というレッテル が貼られる。

 朝日の影響力の陰りを喜んでいるのは安倍政権ではないだろうか。窮地は自己変革のチャンスでもある。現場の記者たちの骨太な危機意識に期待するばかりだ。  ≫(ダイアモンド・オンライン:山田厚史の「世界かわら版」)


 

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