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ポツダム宣言受諾の「ご聖断」へ至る経過(写真:産経新聞)
昭和天皇実録公表 「ご聖断」ソ連参戦で 侵攻報告の18分後「終戦」指示
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140909-00000089-san-soci
産経新聞 9月9日(火)7時55分配信
宮内庁は9日、昭和天皇の生涯を記録した「昭和天皇実録」の内容を公表した。事実として確認された言動や、側近らの謁見日時が時系列で示され、これまで諸説あった終戦の「ご聖断」の経緯が明らかになった。昭和天皇が最終的にポツダム宣言受諾を決意したのはソ連軍が満州に侵攻したとの情報を得た直後で、ソ連参戦が「ご聖断」の直接原因だったとみられる。実録には幼少期の生活ぶりなども詳細に記され、公表により近現代史研究が大きく進むことになりそうだ。
実録では、連合国が日本に降伏を求めたポツダム宣言を入手した昭和20年7月27日から降伏の玉音放送が流れた8月15日までの20日間を36ページにわたり詳述。それによると、昭和天皇は広島に原爆が投下された2日後の8月8日、賜謁した東郷茂徳外相に「なるべく速やかに戦争を終結」させたいとの希望を述べた。
翌9日午前9時37分、ソ連軍が満州侵攻を開始したとの報告を受けると、直後の9時55分、木戸幸一内大臣を呼び、戦争終結に向けて鈴木貫太郎首相と「十分に懇談」するよう指示。木戸内大臣から天皇の意向を聞いた鈴木首相は、午前10時30分開催の最高戦争指導会議でポツダム宣言への態度を決定したいと答えた。
10日午前0時3分、御前会議が開かれ、鈴木首相から「ご聖断」を求められた昭和天皇は、ポツダム宣言受諾を決心したと述べた。
昭和天皇のポツダム宣言受諾決意の時期には、広島や長崎への原爆投下時、ソ連参戦時など諸説あったが、実録を分析した京都大の伊藤之雄教授(近現代史)は、広島への原爆投下時では2日後に終戦の意向を閣僚の東郷外相に伝えたのに対し、ソ連参戦時は直後に側近中の側近だった木戸内大臣に指示した点を重視。「ソ連参戦がポツダム宣言受諾を最終的に決意する原因だったことが改めて読み取れる」としている。
実録の記述により、連日の本土空襲や原爆投下などで終戦の意向を強めた昭和天皇が、ソ連参戦で万策尽きたと判断。これ以上の犠牲を広げないため、即時終戦に向けた動きを主導した当時の様子が明らかになったといえる。
また実録では、幼・少年期の手紙や作文を初めて公開。初出のエピソードも多数盛り込まれた。一方、即位後の政治的発言や側近らの謁見内容が明かされないことも多く、編纂(へんさん)方針をめぐり議論を呼びそうだ。
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