http://www.asyura2.com/14/senkyo170/msg/934.html
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「一部閣僚と「国家社会主義日本労働者党」代表との繋がりについて、大手メディアはまだ何も報じない様子」
http://sun.ap.teacup.com/souun/15191.html
2014/9/8 晴耕雨読
山崎 雅弘氏のツイートより。https://twitter.com/mas__yamazaki
水曜と木曜のNHK-BS世界のドキュメンタリーは、義理の兄(白人)が改宗してイスラム原理主義の活動家となった映像作家の作品(二部作)だった。
ムスリム社会の規模が大きい欧州各国では、イスラム過激派の問題は生活と隣り合わせで、息子や兄弟、友人がそれに共鳴して困惑する人は結構いる模様。
映像作家の兄は、共に育った義理の弟ですら、宗教的線引きの「向こう側にいる存在」と認識し、共通の価値観を持つ相手とは見なさず、握手もしなくなった。
彼らと交流する白人のイスラム原理主義活動家たちは、普段は親しみやすく気さくでフレンドリーだが、集会などに参加すると表情も態度も一変する。
番組に登場したある人物は、イスラム原理主義の過激派と従来型の「極右活動家」には共通する点がいくつもあると指摘していて、頷かされた。
敵と見なす相手に対する不寛容と攻撃性、そして男尊女卑の価値観。
日本の社会も他人事ではなくなっている。
世界的に、その種の人間が増殖する時代なのだろうか。
神社や仏教のお寺など、今までは寛容で穏やかな存在だと思っていたが、日本会議の役員に代表者を送り込む神社や宗教団体、お寺などは、首相周辺の諸政策に賛同しているんだろうか。
日本会議懇談会系の議員が主張する「不寛容と男尊女卑」の思想に賛同するような神社やお寺には、参拝する意欲は失せる。
神社や仏教のお寺などと、ヒトラーを崇拝するネオナチ組織「国家社会主義日本労働者党」が、政府の人脈の線で繋がる日が来るとは想像しなかった。
バチカンとナチの関係は有名だし、本来宗教と極右勢力は親和性が高いが、自国の負の歴史を「屈辱」と見なし直視しない人に宗教的な「悟り」は可能なのか。
一部閣僚と「国家社会主義日本労働者党」代表との繋がりについて、大手メディアはまだ何も報じない様子だが、どこかの海外メディアが先に大きく報じてくれるのを、手を繋いで待っているのだろうか。
「会ったのは事実か」「どんな話をしたのか」程度の質問をするだけなのに、外国人の助けが必要なのか。
特定秘密保護法の森まさこ大臣、原発再稼働の小渕優子大臣など、首相周辺は激しい批判を受ける可能性のある正面にわざと「弱い盾」を置いて、容赦ない熾烈な批判を躊躇させる戦術を用いているようにも見える。
実際の意志決定者を守るため、専門知識がなく見た目が「ソフトな」人間を「盾」にしている。
> 安倍流「女性の活用」
論理的には「女性の活用」という言い方自体、主語が「男性が」以外には想定しづらい言葉ですが、ここまでくると「(道具としての)女性の利用」ですね。
男尊女卑の価値観を堅守しつつ、「か弱い女性のイメージ」は政治目的で最大限に利用する。
有村治子女性活躍担当相が、平成21年(2009)5月31日に「天使のほほえみ」(「堕胎根絶」などを掲げるNPO法人)総会で行った講演の全文(天使のほほえみサイト)http://bit.ly/1u5fsdD
「私は『いのちの重み・家族の絆・国家の尊厳』をモットーに、政治に関わってきた。 国政の決断で迷いのある時など、一人で靖国神社にお詣りして、英霊にお尋ねする。国難の時に生命を捧げられた英霊が、『最後に守るべき価値観とは何か』をお教え下さるのだと思う」
↑いのちの重みと「国家の尊厳」という、相反する対立概念を「靖国神社」という装置で並列に繋いでいる。
靖国神社に祀られているのは「戦没軍人」であって、それ以上でも以下でもない。
重要な政治的判断を正しく下せる資質が、それらの軍人に備わっていると信じる根拠はない。
いわゆる「英霊」には東條元首相も含まれるが、彼が正しい決断を下せなかったために、その他大勢の軍人が無残に死ぬ結果となった。
東條元首相は「生きて虜囚の辱めを受けず」で有名な「戦陣訓」の起草者で、内容は「いのちの重み」を事実上全否定している。
その東條を「英霊」として仰ぎ、「国政の決断で迷いのある時など」に「最後に守るべき価値観とは何かをお教え下さる」と信じる人間が、女性活躍担当相という地位に就いている。
戦争指導者や戦没軍人を「神」として肯定的に顕彰する宗教施設に、重要な政治的判断で迷った時に参拝し、死者の「霊言」に耳を傾けて「正しい判断」を「霊」に教わるという政治家は、民主主義国家の理念とは相容れないはずだが、それが大臣というのが、今の日本という国の異常さを物語っていると思う。
「霊の語る言葉」という、ある種の精神世界でしか成立しない思考を肯定し、戦後の日本が目指してきた政治の方向性(民主主義)よりも重要な価値を置く考え方を持つ人間が、大臣という政府の要職に就く現在の日本を、後世の日本人はどう評価するだろう。
ある方向に進む「通過点」と位置づけるだろうか。
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