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ヘイトスピーチは人種差別か?(外国人労働者は「スト破り」ではないのか)
もう半世紀以上前のことになるが三井三池の大争議というのがあった。総資本対総労働の決戦、といわれた。最大の山場は会社側が作った第二組合に就労させようとして雇われた暴力団が第一組合のピケに突入し、組合員が刺殺されたときだ。
このとき会社側が第二組合員として雇ったのが低賃金の中国人、朝鮮人労働者だったらどうか。第一組合員が彼らに、「中国人は日本から出て行け」「朝鮮人も出て行け」といったとしたらそれは人種差別だろうか。
日本人同士の間だったとしても、「裏切り者」「お前の家族もこの町に住めないようにしてやる」という言葉がとびかうだろう。本来職場を守ろうとする労働争議だったはずのものが、人種問題にすりかえられてしまうことになる。
いま、街のコンビニでは多くの中国人韓国人が働いているが本来この職場は日本の未組織、非熟練の底辺労働者のものであったはずだ。組合を持たない底辺労働者は人手不足状態になって始めて賃金上昇の機会が得られる。外国人労働者の導入は底辺労働者からその貴重な機会を奪ってしまうことになる。
まず第一に、賃金を引き下げてその分利潤を増やしたとしても、国民の総収入が増えるわけではない。貧乏人から金持ちにお金が移動しただけだ。その利潤が新たな資本として投資されて始めて産出が増え、世界が豊かになる。ところがいま、利潤は溜め込まれるだけで投資されていない。賃金を引き下げることには意味がない。
第二に、外国人労働者がその収入の一部を故国に送金するとその分日本国内の購買力が減ってしまう。不況の最中にそんなことをしてはいけない。利潤を減らしてその分底辺労働者の賃金を上げれば氷付けになっていた購買力が表に出てきて商品が余計に売れる。利潤を減らして賃金を上げるのが正しい。
第三に、世界には貧しい人々がいるのだから、貧しさを逃れようとして日本に来る労働者は受け入れるべきだと考える人がいるかもしれないが、その論理に立てば、すべてのスト破りを正当化することになってしまう。中国人韓国人労働者は日本の底辺労働者の足を引っ張るのではなく、自分の国で自分たちの権利のために戦うべきだ。
外国人底辺労働者の流入を止めれば、日本は日本の底辺労働者を守るという姿勢を確立すれば、ヘイトスピーチは切実な共感を失ってそのうち変な人たちが変なことを言っているというだけの話になるだろう。外国人労働者を入れてはいけない。
三井三池争議に関する蛇足
クロポトキンの「麺麭の略取」だったと思うけれど、たとえば労働者が家族を養うパン代を稼ぐのに、一日何時間か働かなければならない、肉野菜に何時間、家賃に何時間、と計算していた。そこで彼が一日の暖房費を稼ぐのに(たとえば石炭なら)1時間分働かなければならないとする。しかしもっと安い燃料(たとえば石油)に転換したら30分ですむとすると、30分自由な時間を手に入れることになる。人間の自由とは自由になる時間のことだ。
当時は石炭から石油へのエネルギー転換の時期で、衰退産業から資源(労働と資本)を引き上げて新しい産業に投下することは社会の進歩に必要なことなのだからそれをとめてはいけないが(日本が社会主義の国であってもやらなければいけない)、と言って労働者を使い捨てにしてあとは自己責任でやれというのは国民のある部分の利益のために別の部分を犠牲にすることになってしまうから、なしうることというのは、失業は社会にとって必要なコストとして社会全体で負担する、という原則を確立することだ。ここを間違えて会社側に社会の進歩、全体の利益を代表するポジションを与えてしまったらその時点で労働の負けは決まってしまう。(日本が社会主義の国で、タカ派の社会主義者が権力のトップにいたら、労働者は「人民の敵」とレッテルを貼られて大粛清が起きるかもしれない。)
あの時代、労働組合所有の炭鉱があったとしたら、組合は何をなすべきだったか、何が出来たか、を思考実験してみれば当時の日本の「社会主義度」がはかれるかもしれない。
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