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http://archive.mag2.com/0001605167/index.html
セウォル号事件と靖国神社の、私の中での相関関係について、以前からずっと気になっていたのですが、 話題としては旬をとっくに過ぎた今頃になってようやく考えがまとまりました。聞いてください。
日本国憲法は信教の自由を謳っていますから自分の肉親や先祖が靖国神社に眠っていると信じてそこに参拝するのは自由です。 しかし同時に政教分離も謳っていますからキリスト教、仏教、神道、イスラム教、 また明治以降作り上げられた国家神道などに国の名前で参拝したりなにかを奉納したりすることはできません。安倍首相の靖国参拝が問題になる一つの理由です。
それではもう一つの理由は何か。もちろんA級戦犯が祀られている神社に参拝するという部分です。なぜA級戦犯が祀られていては困るのでしょう。
東条英機という陸軍大将がいました。彼は「戦いに勝利し、戦場を生き抜いて胸を張って祖国に帰れ」ではなく、 「生きて祖国の土を踏むな。死んで靖国に帰ってこい」と言って国民を戦地に送り出しました。 多くの国民がその命令通り、戦地で戦死し再び祖国の土を踏むことができませんでした。
そう言った側の東条英機本人は終戦時、おめおめと生きて祖国の土を踏んでいました。そして自決することもないままに捕まって、 A級戦犯として絞首刑になりました。
東条英機だけではなくA級戦犯は国民に「死ね」と言った側の人間たちでした。その彼等が靖国神社に祀られているのです。
さて、ここでセウォル号の事件です。仮に韓国国民がセウォル号で亡くなった人たちを祀り、二度と同様な事故が起こらないように祈念したとします。 その記念碑に船会社の会長で自殺したと報道された、ユ・ビョンオン会長の名前も記載されたら遺族の人たちはどう感じるでしょうか。 碑の前で素直に頭を下げることができるでしょうか。
遺族の一部が「ユ・ビョンオン氏は事故で死んだわけではない。ここに名前を記載するのはおかしいのではないか」と主張したとします。 それに対し「それが自殺だろうと殺人だろうと、会長は事故がなかったら死ぬことはなかった。だから事故の犠牲者だ。 また、会長は常に利用者と会社のことを真剣に考えていた」という返事が返って来ました。
人間ですからこの返事で自分を納得させようとする人もいるでしょう。もちろん到底納得することができない人もいるでしょう。
今の靖国神社を取り巻く論争を単純化すると、まさにこんな状況にあるのではないでしょうか。
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