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2014年 09月 01日
石破茂氏が、安倍首相と集団的自衛権の行使に関する考え方が違うという理由で、安保担当相を固辞したためか、当ブログに「安倍と石破の違い」「安倍 石破 集団的自衛権 違い」などの検索によって来る人の数が増えている。(@@)
このブログでも、折に触れて、2人の考え方の違いについて書いて来たのだけど。(『石破が集団的自衛権の行使を語る〜安倍とは手法に違いも、前のめりなのは一緒http://mewrun7.exblog.jp/21691089/』『石破が、安倍官邸のまやかしの解釈改憲論に反発http://mewrun7.exblog.jp/21869647/』『安保相は石破いじめ&公約破りの安倍を石破は許せず。先制パンチで、党内抗争スタートかhttp://mewrun7.exblog.jp/22332606/』など)
2人の安保軍事政策に関する考え方の違いについて、と〜っても理路整然とわかりやすく記した記事を見つけたので、それをここにアップしておきたい。(・・)
<少し長いけど、今後、安倍政権、ひいては日本の安保軍事政策を考える上でも、参考になると思うです。>
ちなみに站谷氏は、しっかりと理論的に違いを示した後、最終的に2人は、『砕けた言い方をすれば、「軍事マニア」と「ネット右翼」の関係』であると書いているのだけど。これは「言いえて妙」というか、「まさにそうかも〜」と思うところがあったし。
『両者の見解が一致するはずもない。そこに敬意や信頼はない。軍事マニアはネット右翼を「無知無能な愚劣」「日本が好きな"だけ"の役立たず」と断じ、ネット右翼は軍事マニアを「米国の走狗」「知識だけの売国奴」だと見なすように。』という見方にも、と〜っても頷けるところがあったmewなのだった。(@@)
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石破幹事長VS安倍首相―真逆の安全保障観
--- 站谷 幸一
アゴラ 8月29日(金)
石破氏と安倍首相の対立が取りざたされている。
ここでは政局的な文脈ではなく、二人の安全保障観の違いを対立の背景として分析してみたい。その際、要素としては、対米観、政策姿勢、ブレーン、国会を取り上げるものである。
1.対米関係に見る対立:親米派VS自称親米派
一見、どちらも親米派だが大きく違う。石破氏は実務的な協力重視である一方で、安倍首相は観念論重視の『自称』親米派だからである。この点は、戦後のサンフランシスコ体制をどう考えるかを見ればわかる。
安倍首相は、かつては明確に、現在は婉曲に「戦後レジーム打破」を目指している。しかし、戦後レジームとは、つまるところ日米安保を含むサンフランシスコ体制からなるのであって、米側が靖国参拝等で懸念するように、究極的には戦後の国際秩序と日米関係の破壊でしかない。
安倍首相は、どうやらこの理屈が何年たっても、第一次政権以降、何回躓いてもわからないらしい。つい最近も、対米関係を破壊し、美しい国土を焼け野原にしたA級戦犯を祖国の礎になった云々等としているのが好例である。だから安倍首相は『自称』親米派でしかなく、オバマ政権から「失望」されるのである。
他方、石破氏は違う。先の大戦の否定を出発点とするサンフランシスコ体制を肯定している。彼が、東京裁判の手法はともかくとして結果を受け入れるべきであり、日本は「遅れてきた侵略国家」であり、先の大戦は結果が分かっていたにもかかわらず突入した愚かな戦争としている。
故に、米政府の厚遇を受けるのである。今年5月、石破氏は訪米したが、その際、バイデン副大統領とヘーゲル国防長官と会談する機会を得た。自民党幹部がこうした扱いを受けるのは稀であり、オバマ政権が石破氏に期待しているのがわかる。(皮肉なことに、この扱いは2005年の総理就任を目前にした安倍幹事長代理以来)
2.異なる政策姿勢:理屈の石破氏VS政局の安倍首相
石破氏の政策姿勢の特徴の第一は良くも悪くも理屈先行型ということだ。現実の情勢よりも論理的な結論を優先するのであるつまり、現実的に正しいかは棚において、自らの思考を優先して発言してしまうのである。過去の石破氏の失言を見ればよくわかる。
ロシア軍がクリミア半島に侵攻した際、石破氏は「ウクライナにおける自国民保護ということなのであって、日本流に言えば邦人救出という話」「わが国が邦人保護のために自衛隊を派遣することになっても、それは武力行使とか武力介入というお話にはならない」「国連と何の関係もないものも、武力介入、武力行使にならないのは世の中の 常識」とロシアを擁護してしまった。これがいかに「政治的に」間違った発言かは言うまでもない。
しかし、自衛隊による邦人保護は認められるべき、という発想を念頭に、国際情勢だとか、中国が同様の行動をしたらどうするべきかとか、西側の一員とか、そういう現実の情勢を考えずに、純粋に論理的に考えれば当たり前の結論である。
報道番組で、軍事裁判所について聞かれた時も、石破氏は「従わなければその国で起きる最高刑である、死刑がある国には死刑、無期懲役なら無期懲役、懲役300年なら300年、そんな目に会うくらいだったら出動命令に従おうっていう、『お前は人を信じないのか』って言われるけど、やっぱり人間性の本質ってのから目をそむけちゃいけないと思うんですよ」と答え、これが「戦争に行かねば死刑もしくは懲役300年」発言として問題になった。
だが、よく読んでみれば、石破氏は他国ではそうなっており、そうした本質に鑑みた場合、現行の脱走した場合の最大でも懲役7年は軽すぎるのではないか?と言っているだけに過ぎない。論理的には誠に正しい。しかし、こうした表現を使えばどういう反応が起きるかについて考えが及んでいない。論理的に正しいが、政治的に正しことへの配慮がないのである。
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他方、安倍首相は理屈よりも政局を優先する。意外かもしれないが、安倍首相は極めて柔軟な政治家である。例えば、先日の広島の水害でも、一端は静養を継続しようとしたが、批判を受けると一転し、すぐに官邸に戻った。憲法問題でも当初は憲法改正を目指し、それが難しいと見るや、96条改正の裏口戦法に転じ、それも批判を受けるとあっさりとそれさえ口にしなくなった。
集団的自衛権もそうだ。当初の安倍首相の姿勢は、湾岸ショックをトラウマとする外務省の北米マフィアの意向を受けて、国連軍参加だろうが何でも出来る方向で明らかに進めていた。しかし、それが難しいと見るや、限定解除に大きく舵を転換した。
実際、高村副総裁は、次のように述べている。
「野党時代の当時の安倍前総理大臣は、高村さんの考え方は分かり易いですね、(集団的自衛権を)根っこから認める時は憲法改正ですね、必要最小限度のものだけ認める時は解釈変更でもいいということですねと言われたので、そういうことですと答えたのですが、私はその時びっくりしました。私はそれまで安倍さんは丸々認められる論者だと思っていましたから、意外と柔軟だな思った」
要するに安倍首相は実はかなり柔軟で政局に対応しようとする政治家なのである。問題は、しばしば彼が明後日の方向に「柔軟に」向かってしまうセンスの無さなのだが…
以上のことからわかるように、石破氏は理屈重視の頑固者、安倍首相は政局重視の柔軟な人間と正反対な政策姿勢なのである。これでは二人が仲良く出来るはずもない。
3.異なる政策姿勢:実務重視の石破氏VS箱モノ重視の安倍首相
安保政策で両者がもっとも異なるのは、この点だろう。石破氏は、実は集団的自衛権問題を「もっとも」重視していない。集団的自衛権よりも、現実に尖閣諸島で起こり得る「グレーゾーン」の脅威を重視している。
実際、石破氏は「「急迫不正の武力攻撃」に当たらない主権の侵害、いわゆる「グレーゾーン」に対応する、国連海洋法条約に沿った国内法制が未整備なのは我々国会の責任です。早急な対応をしていかなくてはなりません」と強調しているし、集団的自衛権関連の法案よりも、離島の領域警備などグレーソーン事態に対応するための法案を優先して通過すべきと発言もしている。
他方、安倍首相は集団的自衛権容認が成ればどうでもいいと思っている節がある。実際、安倍首相は「グレーゾーン」問題にあまり関心がない。集団的自衛権を容認させる為の理屈で途中から盛り込んだが、最近ではほとんど触れていない。明日にでも中国の海警なり武装民兵が尖閣諸島に上陸するかもしれないのだが、彼の関心は集団的自衛権容認という箱モノ一直線である。
また、石破氏は防衛省改革に執心だ。彼の主張は、防衛省の内局を(1)制服組を一佐級まで配属する軍民混合型、(2)装備調達、政策担当、作戦担当の三種類に再編、(3)装備調達の抜本的改革すべきというものである。筆者としてはこれはこれで箱モノ改革に過ぎぬと思うのだが、少なくとも石破氏が実務的な改革に熱心なのは間違いない。
しかし、安倍首相は防衛省改革のような実務的な話題には無関心である。防衛庁を防衛省に昇格させたぐらいだが、これこそ究極的な箱モノ政策である。自衛隊の戦力が上昇するわけでもないからである。石破氏に比して、中身がないことこのうえない。
集団的自衛権に関しても実務VS箱モノは見てとれる。石破氏は、ひどく単純化した物言いをすれば、国連軍であろうが、地球な裏側であろうが、国会承認を前提として、どこへでも何でも出来るようにすべきだとの立場である。つまり、今までよりも、自衛隊の他国との共同行動をより柔軟かつ自由にしようという考えである。
また、石破氏は「法制度さえできれば、魔法のごとく自衛隊が限定的という前提を置いても、集団的自衛権を行使できるものでもなくて、法律をきちんと作り、装備を整え、そしてまた、それに見合った訓練をするということで、初めてできるようになることです」とも述べており、各法・装備・訓練が無ければ無意味としている。中身重視なのである。
しかし、安倍首相は集団的自衛権容認が出来れば何でもよいようだ。極言すれば、中身などはどうでもよく、「容認」と名前がつけば何でもよいのである。
実際、公明党との妥協を経て完成した解釈に、防衛官僚は頭を抱えていると聞く。それはそうだ。今回の解釈変更は、これまで個別的自衛権で可能と解釈してきた内容を、集団的自衛権として承認しただけだからだ。つまり、これまでとなんら変わらず、これで自衛隊法を改正しろと言われても、駆けつけ警護云々はともかくとして、ほとんど変更できないからだ。これでは言葉遊びの法改正か、批判を承知での根拠なき法改正かしかない。
だが、安倍首相はこれで御満悦なのを見ると、本当に箱モノにしか興味がないようだ。石破氏のような装備・訓練についてのコメントはほとんど耳にしたことがない。(その意味で、よく朝日新聞等の行う批判は過大評価であって的外れだ。本当の問題は箱モノ政策が国防に与える悪影響だ)
石破氏は各種報道によれば今回の閣議決定の内容に不満を抱いているとのことだが、さもありなん。何にも意味がなく、逆効果でしかないからだ。
安全保障法制についても、実務VS箱モノだ。石破氏は、よく日本の安全保障法制を「増改築しすぎた温泉旅館」と批判する。要するに、幹がないままに枝葉だけが絡み合って伸びてしまって非効率かつ矛盾をきたしており問題だと言うのである。さりとて、温泉旅館を営業停止にして全てを新築するわけにはいかない。中国や北朝鮮その他にその間は攻撃しないでくれ、とお願いするわけにはいかないからだ。
また、石破氏は現状の安保政策が閣議決定や法制局答弁が主な根拠になっていることは、不安定であり、民主的な透明性を確保できておらず、問題だと著書で繰り返し述べている。そこで、石破氏が主張するのが、安全保障基本法である。まずは太い幹を一本通すことで、複雑になった枝葉を整理していこうというのである。
しかし、安倍首相はこうした実務的なことには興味がない。事実、安全保障基本法を先送りする姿勢である。石破氏からすれば、本人曰く10年以上手塩にかけ、党内プロセスを全て通してきた安全保障基本法をこのように扱われれば我慢ならぬだろう。
故に両者の対立は、この面でも必然なのである。
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4.真逆のブレーン:異論を含む自衛隊OB VS 異論なき外務省OB
石破氏のブレーンは自衛隊OBが目立つ。古庄幸一元海幕長、共著を出した森本敏元防衛大臣等は好例だろう。
また石破氏のブレーンは百花斉放、多彩な意見が目立つ。古庄氏は、靖国問題に代表されるように「正しい歴史観を持つべき」というかなりの保守派である。一方、森本敏氏は田母神問題で彼の歴史観を手厳しく批判したように比較的リベラルである。しかも、森本氏は石破氏の防衛省改革にも委員として参加しながらも「(石破氏のは)組織いじりに過ぎない」とのコメントをマスコミにしている。
また、石破氏は、安倍政権の安保政策批判の急先鋒である柳澤元官房副長官補とも良好な関係であり、彼をわざわざ先日の自民党の安全保障法制整備推進本部に呼んだのも石破氏であると聞く。
このように、石破氏が、どのような考え方や立場の人間であっても、専門家であり論理的であれば尊重し拝聴しなければならないと考えていることが分かる。一言で言えば器量が大きいのである。他方で、自衛隊OBとの関係が目立ち、内局出身者や外務省とは疎遠である。
他方、安倍首相のブレーンは保守派の外務省OBばかりである。谷内正太郎NSC局長、兼原信克NSC副局長は外務省北米マフィアであるし、師匠の岡崎久彦氏は名うての保守派も保守派である。第一次政権で安倍夫人の補佐官を務め、マスメディアで安倍首相の弁護役をやっている宮家邦彦氏も外務官僚だ。名文家で知られる演説担当の谷口智彦内閣官房参予は、日経記者出身だが、元外務省副報道官を務め、谷内氏の弟子筋であることから、これも外務省系列と言ってよい。
各種諮問会議でも目立つのは柳井俊二元事務次官のような外務官僚か、北岡伸一国際大学学長等のような外務省と関係の深い人間である。
そして注目すべきは、彼らが皆、判を押したように同じ意見であることだ。この人々が、靖国参拝等の安倍首相の歴史修正主義者的行動が対米関係に与える悪影響を論じたことはほんとどない。むしろオバマ政権を批判する傾向にある。
今回の集団的自衛権に関する「中身のない」閣議決定を批判する声はほとんど聞かない。マスコミや国民の誤解や無知無学を批判はしても、である。
石破氏のような実務的な問題に対する意見もほとんど聞かない。憲法九条を守ればそれでよしとする論者のように、集団的自衛権を容認すれば問題が解決するような事は言うのだが。
それらの意見は一理なくもないし、ここで賛否を論じないが、注目すべきはこれが安倍首相と全く同意見で、それしかないことだ。
こうしたことから推察するに、「お友達内閣」がそうであったように、安倍首相は自分と意見の違う人間は好まないようだ。これでは政治家として異論を許容する幅が余りに狭いと言わざるを得ないし、外務省の北米マフィア・保守派の意向が強すぎると批判されても仕方がない。
5.国会:重視 VS 軽視
国会をどう考えるかも二人は大きく違う。石破氏は国会重視である。例えば、集団的自衛権の行使に際しては、国会承認を緊急時を除けば必須であると主張している。また、今回の閣議決定による容認にも批判的であり、かねてより国会決議を受けての閣議決定を行うべきと主張していた。また、彼念願の安全保障基本法についても議員立法でやるべきと主張しており、国会重視が見てとれる。これは石破氏の議会人として健全さを示していよう。
対するに、安倍首相は相対的に国会軽視と言わざるを得ない。自民党が絶対多数を確保しており国会決議なぞ時間も手間もかからないのに、わざわざ批判を受けるように閣議決定のみを取り急ぎ行ったからである。
真に安全保障の民主的基盤を重視するならば、石破氏が言うように、集団的自衛権容認の国会決議が先であるべきだったろう。安倍首相が議会人であるならば、偉大な先達の板垣退助の「国会は深慮、官僚主義は浅慮」の指摘に倣うべきだったのではないか(注1)
少し話がそれたが、以上のように安全保障における国会の役割でも、石破氏は国会重視、安倍首相は国会軽視と正反対の姿勢なのである。
6.結論
このように、政局云々以前に、二人は安全保障の対米観、政策姿勢、ブレーン、国会の全てで真逆の関係にある。砕けた言い方をすれば、「軍事マニア」と「ネット右翼」の関係と言えよう。
インターネット空間では、この両者が不毛な議論をしばしば行っていることから自明のように、両者の見解が一致するはずもない。そこに敬意や信頼はない。軍事マニアはネット右翼を「無知無能な愚劣」「日本が好きな"だけ"の役立たず」と断じ、ネット右翼は軍事マニアを「米国の走狗」「知識だけの売国奴」だと見なすように。
平行線は何万光年たっても平行線であるように、両者が対立するのは必然なのである。故に、政局的な文脈以前に、石破氏が安全保障担当大臣を引き受けるのは、自己のアイデンティティの破滅なのであり、引き受けるはずもないのである。
これが両者の対立の根幹である。
注1
以下のブログによれば、板垣退助は民撰議院設立建白書において下記のように述べているという
「国会は拙速に物事が進むことを防止し、物事を丁寧に扱う機能があることに特徴があります。これに対して、官僚は物事の本質を失って省益による対立をしており浅慮である。さらに、官僚が好き放題なことを行うこと
以上
THANKS
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