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政権交代請負人が初めて語る永田町権力闘争の内幕 小沢一郎氏(生活の党代表)×徳川家広氏(政治経済評論家)
http://net.keizaikai.co.jp/archives/11647
2014年8月28日 経済界
前編では、小沢一郎氏の政界デビューから自民党政権中枢時代までを紹介した。後半は、最初に自民党を倒して細川連立政権を樹立した時から下野まで、そして民主党政権、日中関係、そして集団的自衛権の問題など、筆者が思いつくままに投げ掛けた問いに、秘話を交えつつ答えてもらった。
小沢一郎(おざわ・いちろう)
1942年生まれ。岩手県出身。慶応義塾大学卒業後、日本大学大学院を経て1969年、27歳で衆議院初当選。現在15期目。議院運営委員長、自治大臣、官房副長官、自民党幹事長を歴任。新生党代表幹事、新進党党首、自由党党首、民主党代表、国民の生活が第一代表を経て2013年、生活の党代表に就任。
■細川政権はもっと持つと思っていた
コ川 第1次湾岸戦争を経て、自民党を割って出ることになりました。政治改革と国連軍への平和維持活動への参加が争点だったと記憶しています。あの時、自民党にそのまま留まって、重要な法律を通すという選択肢はなかったのでしょうか。
小沢 直接的にはその2つが大きな争点としてあったんだけど、自民党に留まっていたら、日本の議会制民主主義はいつまでたってもダメだと思った。2大政党制を確立することは政界に入って以来の夢で、誰かがやっぱり、やらなきゃならないというのが根底にありました。自民党にいれば、左団扇で楽だったんだけどね。損得で言えば、損な道を歩いたみたいなものだけれども、僕は後悔していません。
コ川 もし自民党に留まっておられたら、今でも最高実力者なんですね。竹下派七奉行も、ほかにも現役の方はおられません。
小沢 多分ね。七奉行どころか、同期生もいないよ(笑)。
コ川 1993年には、政権を倒すことに関しては周到だった印象があるんですが、政権を獲ったその後については考えておられたんでしょうか。
小沢 いや、考える余裕なんかないよ。いつも言うんだけど、明治維新の時だって、維新の連中も徳川幕府を倒した後のことを考えていたわけじゃないでしょう。その点はパワーゲームなんだ。
徳川家広・政治経済評論家
コ川 細川さんが日本新党をつくったことをニュースで聞いたらしいですが、細川さんとは親しくはなかったんですね。
小沢 知ってはいたよ、彼も自民党時代は田中派だから。普通の会話はしていたけれど、よくは知らない。何かやるっていう話は聞いていたけれど、具体的には分かりませんでしたね。
コ川 それから約1年後に細川内閣が発足しました。小沢先生はこの大政変の大功労者だと思うんですが、細川政権はどれくらい持つと思われましたか。
小沢 僕は持つと思った。民主党みたいに、下の雑巾がけをしない人ばかりじゃないから。そんなにひ弱ではなかった。ただ、8党派の連立だから、ガラス細工みたいなところがあった。細川さん、サッと辞めちゃったけれど、あれ、辞めなければ、もっと持ったね。自民党がボロボロになっちゃって、そしてもう一度、新しい自民党が再生してくると。こっちの寄せ集めも、そのうちに、きちっとしたグループにしていく、そういうのを夢見ていた。
コ川 私は小沢先生のことは、もっとリアリストだと思っていました。ちゃんと夢で動いていらっしゃるんですね。
小沢 (笑)。
■羽田内閣崩壊から村山内閣誕生までの舞台裏
コ川 その後で、羽田さんが出てきますね。羽田内閣は超・短命で気の毒でした。
小沢 羽田にはやめておけって言ったんだよ。もっと落ち着いた時に、僕が支援するから、こんな時に首相なんてやるもんじゃないって。あの時、羽田さんは外務大臣で、海外旅行をしていたんだ。その間に、次に内閣については一切任せろって、僕は強引に一任を取ったわけ。それでミッちゃん(渡辺美智雄)を口説いたのさ。もう時間がないって僕は一所懸命言ったんだけれど、ついにその日の12時まで、決断なし。あの時決断していたら、渡辺内閣でしたね。
コ川 そうしたら、もう少し持っていたでしょうね。
小沢 うん。もう少し持っていた。ミッちゃんが「よし、俺がやる」って言えば、5人や10人はついて来るからね。決断できなかったのは、残念だった。ミッちゃんについては、2度残念なんだよ。宮沢さんがやる時も、ミッちゃんに決めたんだよ。それが翌朝、ひっくり返っちゃった。
2大政党制を作るのが夢だった。
損な道を歩いたけど後悔はないよ。
コ川 羽田内閣は2カ月で崩壊しましたね。その時のことを。
小沢 自民党が不信任案を出して、社会党が同調するみたいな動きがあったでしょう。それで羽田が解散するって言い出して、それで僕は官邸に行って、「よし。お前さんが総理なんだから、解散なら解散しよう」と言って、それで新生党の本部に指示を出したの。「これは解散になるかもしれないから、用意しろ」って。そうしたら、ぶわーって広まっちゃって、石破(茂)君だの岡田(克也)君だのが羽田のところに来て「解散しちゃダメだ、ダメだ」と言って、他の連中も夜中じゅう一所懸命やったから、羽田がフニャってなっちゃった。それで社会党が羽田に「いったん辞めなさい、そうしたらまた首班指名で担ぐ」って言ったんだよ。それで羽田、その気になっちゃった。僕は「馬鹿なことを言うな。総辞職した奴を担ぐなんてこと、あり得ないじゃないか」と言ったんだけど、ダメ。それでしょうがないから海部さんを首班指名でと、西岡さんが言い出したんだよ。
コ川 変な人でしたね、西岡さん。
小沢 なかなか意地っ張りでね。で、海部さんがぐじゃぐじゃ言って、なかなか決めない。それで失敗しちゃった。造反も出たから、スパっと決めていれば、勝ったの。あれで決めていれば、三木派の何人かがついて来ていたし、勝っていた。
コ川 あの時の争点って何だったんでしょうか。単に権力、ポストが欲しいだけで離合集散するものでしょうか。
小沢 社会党と自民党は、そうだった。同根だからね、このままだと自分たちの55年体制が完全にダメになると。旧体制、アンシャン・レジームが崩壊すると思ったんでしょうね。そこで社会党の村山富市、野坂浩賢がひっくり返っちゃって自民と連立を組んじゃった。まさかとは思っていたけれど。それを容認する日本人もどうかしています。
■首相は鳩山さんしかあり得なかった
コ川 次に野党の再結集に成功したのは今世紀ですが、なぜご自身で民主党の党首として、そのまま総理を目指さなかったんでしょうか。
小沢 いや、そのつもりだったよ。だけど検察が無茶苦茶やって、マスコミが犯罪者扱いをしてくるから、これじゃ選挙に勝てない。自分の責任で選挙に勝てないといけないと思ったから、代表を辞めたの。指揮はとりましたよ、最後まで。辞めなくても勝ったんだけど、万全を期さないといかんから。
総理になるつもりだった。検察とマスコミに犯罪者扱いされるまではね。
コ川 鳩山さんというチョイスについては。
小沢 いや、あの時は鳩山さんしかいなかったもの。菅さんだとか野田さんだとかは思いもつかなかったし。
コ川 2009年の総選挙で民主党が圧勝した時、議席数をご覧になって「勝ち過ぎた」とおっしゃったという話があるんですが、本当ですか。
小沢 勝ち過ぎっていうことはないんだけど、何でもかんでも当選しちゃったからね。修行をまだ全然していない人が全部、代議士になっちゃった。今の自民党もそういう傾向はあるらしいけれど、上がまだいるから。あの時の民主党は、国会の経験が全然ない人ばっかりがなっちゃったでしょう。
コ川 鳩山内閣誕生直後の大訪中団は、国会議員を150人連れて行かれましたよね。鳩山総理が東アジア共同体を唱える一方で大訪中団を率いて行ったので、アメリカをないがしろにした中国接近と見られたのでは。
小沢 それはね、アメリカ人の見方が単純なんですよ。今でも僕のことを反米親中だって言っているみたいだね。そんなだからイラクでもアフガンでもひどい目に遭うんです。ベトナムで負けて、まだ分からないのかと(笑)。
コ川 副主席時代の習近平の訪日時に、天皇陛下への謁見を実現したのも小沢先生の尽力があった。
小沢 そうそう。あんなに日本にとって誇らしいことは、ないんじゃないの。次のトップが何としても天皇陛下にご挨拶させてくれって言うんだから。
コ川 ということは、習近平も今の日中関係は嫌なんでしょうね。
小沢 良いと思ってないですよ。だけど、中国は国内的に、政治的にも経済的にもしんどいんじゃないかな。民族運動もそうだし、改革開放の矛盾として貧富の格差が出て来てしまった。だから今、弾圧しているでしょう。だから外にも強く、と。
コ川 集団的自衛権の閣議決定の少し前に、テレビの取材では公明党に対して「これで良いのか」という内容のことを言っておられたと記憶しています。
小沢 ぶら下がり取材で言ったんだ。集団的自衛権が合憲だとやると、公明党、創価学会が今まで言って来たことと全然違っちゃうんじゃないか、だから心配なところじゃないのか、そんなことを言ったような気がする。
コ川 自民党に対しては、そういうメッセージは送らないんですか。
小沢 自民党なんて、あんなのは放っておけばいいんだよ(笑)。いろいろごちゃごちゃだけど、鵺みたいなものなんで、大人のズルさと賢さを持っているから、大丈夫だよ。
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