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2014年08月28日 「ジャーナリスト同盟」通信
<仰天!安倍の新たな歴史認識が発覚>
晋ちゃんの歴史認識が新たに発覚した。8月27日の一部新聞が取り上げている。敗戦後の国際法廷・東京裁判で処刑された戦犯の追悼法要に対して、自民党総裁名で追悼文を送り、そこで彼らを「国難に自分の命を捨てた」とする殉難者・英雄と位置付けていた。「開いた口がふさがらない」とは、こういうことなのだろう。一連の侵略戦争を美化・正当化している。国際社会が、この安倍・歴史認識を受け入れることは100%ありえないだろう。新たな波紋を呼ぶのは必死だ。米連邦議会調査局報告書の正しさを裏付けてもいる。
<戦争犯罪者が殉難者!>
安倍の歴史認識については、既に国際社会がNOを突きつけている。隣国との外交関係は事実上、破綻している。中国で開催される11月のAEPECで、日中首脳会談を実現するように福田康夫らが奔走しているが、果たしてどうなるのか。
8・15では、靖国参拝に代わる同等の真榊を奉納している。4・29の高野山「奥の院」では、なんとA,B,C級の処刑された戦犯、いわゆる戦争犯罪人を英雄だと仕立て上げていたのである。日本人の命でさえ300万人を奪った侵略戦争では、半島・大陸の被害者は天文学的な人命と物的損害を与えている。
そうした人道・平和に違反する法廷を侮辱するどころか、全面的に否定していることになろう。
<昨年と今年4月に2度も追悼文>
安倍の追悼文は昨年も出している。今年も、である。確信犯である。言い逃れは出来ないだろう。安倍の歴史認識を正直に公開したものだ。
「右翼に突き動かされて仕方なく出した」では済まされない。我々日本人は、戦前・明治の価値観そのままの日本の首相の誕生に愕然とするばかりだ。東条英機の再来なのかもしれない。彼の祖父・岸信介の遺言か、彼の遺伝子をそっくり継承したものか。
安倍が平凡な一市民なら、別に問題は起きない。しかし、彼は平和憲法下の、過去を全面否定した、日本国首相のはずである。断じて許されないだろう。
<東京裁判を全面否定>
追悼文には、報道によると「自らの魂を賭して祖国の礎となられた昭和殉難者の御霊(みたま)に謹んで哀悼の誠を捧げる」と記した。
「奥の院」の追悼碑には「歴史上世界に例を見ない過酷な裁判」とも記されている。ここから汲み取れるものは、連合軍こそが日本を侵略、日本を敗戦に追い込むと、戦争指導者を処刑したもので、到底受け入れられないとの思いを認識できる。
東京裁判を否定する右翼の書物を垣間見たことがあるが、安倍の場合は、GHQを全面的に否定、対決しているのであろう。
<戦後レジームからの脱却判明>
安倍の政治スローガンの「戦後レジームからの脱却」の真意が読めてくる。
「侵略者として裁かれるのは連合国ではないか」「天皇の聖戦に誤りはない」という国際常識、戦争で被害を受けた無数の日本国民の立場とは、まるで正反対の判断をしていることになる。
彼の祖父・岸は、米CIAの手先になることを受け入れて敗戦後の首相の座を射止めている。しかし、孫は其れさえも許せないのだろう。戦犯で処刑された東條らは、日本を救済するために命を捨てた英雄なのだから。彼の脳裏には侵略戦争の文字などあるわけがない。
ああ、何と言うことか、どういうことか。頭がおかしくなってくる。極右が政権を担当、それを財閥と公明・創価学会・統一教会・神社神道などの宗教勢力が支援している?
<侵略戦争否定し、自衛戦争と信じる国粋主義者>
安倍が自衛戦争論者である、という事実を突きつけてきた人物は、戦時中の外務大臣の孫である外務省局長(ロシア担当)である。「月刊日本」という雑誌での彼の証言だが、今回の追悼文でそれが事実であることが判明した。
安倍は侵略戦争を否定、それどころか自衛の戦争だったと開き直っている。東京裁判でも、こうした主張をした戦犯がいたのであろう。天皇主義者の言い分なのだろうが、多くの日本国民と国際社会を納得させることは出来ない。
安倍の史観は国粋主義そのものである。日本の孤立化も当然と言えるだろう。
<郷土史家・鬼塚英昭氏の田布施物語>
恐らく20年もの現役政治記者経歴は、他紙に前例はないだろう。それも政権政党の自民党派閥にのめり込んできた。中曽根・大平の両派を皮切りに田中・三木両派へと枠を広げた。もちろん、福田派にも手を広げたものの、一番遠い派閥は、安倍の父親が所属した、岸派を継承した福田派である。
安倍の動向は、もっぱら安倍のライバルで福田が信頼した田中龍夫から情報を取っていた。そんな関係で、安倍の故郷の田布施を知らない、気にも留めなかったのだが、数日前からネット掲示板「阿修羅」に載っていることを確認、広げて見た。郷土史家の鬼塚英昭という初めて聞く人物である。なんと中央大学の先輩である。
田布施から明治の“英雄”が続々輩出しているではないか。安倍はその後裔に違いない。参考までに鬼塚氏の活字をどなたかが紹介、その一部をコピーして紹介したい。筆者の全く知らなかった田布施だ。2014年8月28日記
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/7839377a3613e3d90e1198535ea65ced
《1》
鬼塚英昭氏の新著『日本のいちばん醜い日』(成甲書房)を読むと、日本国家の真相は、明治維新で長州藩田布施一味に国家を乗っ取られたということであることが解る。
長州藩の田布施一味とは、山口県熊毛郡出身の政治家らのことである。熊毛郡の田布施町を中心にしている。ここは光市と柳井市に挟まれた寒村だった。大室寅之祐=明治天皇、伊藤博文、木戸幸一、宮本顕治、河上肇、難波八助、松岡洋右、安倍源基(終戦時の内務大臣)、賀屋興宣などである。むろん、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三は、この田布施一味の末裔である。
小泉前首相の父・純也は、鹿児島の田布施(現在は加世田市金峰町)出身の朝鮮人である。鹿児島の田布施も山口県の田布施と同じ、朝鮮人部落である。小泉純也は上京して小泉又次郎というヤクザ(刺青大臣と言われた)の婿養子となって「小泉姓」を名乗り、日本国籍を取得したのだ。小泉の次に安倍政権、そのいずれもが朝鮮人部落だった田布施の出身であることが偶然であるわけがない。
ユダヤ国際金融権力は、こういう人間を使って、日本乗っ取りを支援しながら、連中の弱みを握って、思い通りに支配してきたのだ。ユダヤは徹底的に日本の事情=弱点を探って研究しつくしている。例えばとして、鬼塚氏は幕末に英国公使パークスは、外交官アーネスト・サトウを使って日本の被差別部落を調査させている。
『日本のいちばん醜い日』に益田勝実氏の文章が引用されている。
「天皇様をお作り申したのはわれわれだとは、明治以前に生まれた長州の老人たちによく聞かされことだったが、近代天皇制以前には、京都に天皇家はあったが、天皇の国家はなかった。尊皇派が考えていた天皇の国家の考えは思想として獲得されたもので、現実に京都にいる天皇という実在の人物に合わせて作られたものではなかった。かれらが求めている天皇と現実の天皇と、いくらか融和出来るうちはよいとして、その矛盾が激化すると、……激化すると、天皇を取り換えてしまうほかなくなる。
わが家に空襲で焼けるまであった孝明天皇使用の皿は、おそらくまだ長州と天皇の間がうまくいっていた、蜜月時代にもたらされたものだろう。奇兵隊挙兵の翌年、1866年(慶応2)の暮れには、孝明天皇は謀殺されてしまった。もちろん、仕組んだのは江戸幕府ではない。志士側で、天皇が倒幕の障害になりはじめたからである。今日では、このことはもう公々然の秘密となっている。(益田勝実『天皇史の一面』より)」
益田勝実は長州の国家老一族である。だから田布施の住民を虐げた側というか、支配した(あるいは敵対した)側である。その子孫である益田勝実が、「てんのうはん」、つまり、山口県熊毛郡田布施町麻郷(おごう)に生まれ、孝明天皇の長子睦仁の替え玉となり、明治天皇となった真相を突いたのだ。
『日本のいちばん醜い日』では、「大室寅之助は田布施の生まれ、……伊藤博文(林家が伊藤家の本家)と「虎ノ門事件」を起こした難波八助は一族である。また宮本顕治(日本共産党)も一族。そして、木戸幸一も系図に入ってくる。京都大学教授でマルクス主義を木戸幸一、近衛文麿に教えた河上肇も一族である。そして、大室寅之助の生家の近くに岸信介一族の生家もある。この地から代議士の国光五郎、難波作之助が出ている。また、元外相松岡洋右も岸信介の一族である。あの終戦内閣の最後内務大臣安倍源基も大室寅之助の生家の近くである。
……大室寅之助が南朝の末裔であるという説があるが、確たる証拠は私の調べた限りではなに一つない。むしろ、北朝鮮系の被差別部落民ではないのか、と思っている。」(「日本のいちばん醜い日」より)
明治維新から日本の国家中枢に君臨する一族には、このような真相があるのである。
鬼塚氏も書いているが、瀬戸内海の沿岸や島々には被差別部落が多い。そこからアメリカや中南米に移民として行かされた人も多い。「家船漁民」といって、船上で暮らす人々も瀬戸内地方には多かった。いずれも彼らはマレーシア方面から漂着した平家系の民であろう。
源平の戦いがあった平安末期、貴族となって権勢を誇った平清盛一族は、(八切止夫によれば)マレーシア方面から比較的新しく紀伊半島に“鉄器を持って” 漂着した部族であった。その彼ら貴族化した平家を、それ以前に土着していた北条氏らの平家一族が源氏(頼朝や義経)という馬を扱える部族を使って日本国内から放逐したのがあの源平の戦いである。だから清盛一族側の貴族化した平家は、海洋民族だったから騎馬戦は得意ではなく、義経に追われると瀬戸内海を下関(壇ノ浦)まで逃げた。当然瀬戸内海には海洋民族である土着の平家系のいわば海賊もいたのだが、彼らは北条側の平家に就いて義経に協力したため、貴族化した平家らは撤退せざるを得なかった。だから源平の戦いとは、本質的に“新来の平家”と“旧来土着の平家”との内ゲバであった。
それで勝った側の北条平家は、源氏系統=北朝鮮系を皆殺しにし、生き残った源氏系部族人間は別所などと言われる被差別部落に追い込んだ。おそらく瀬戸内一帯に土着していた源氏系の部族も別所などの被差別部落に押し込めて、まともな活動ができぬように圧迫したと思われる。その一つが山口県の熊毛郡なのであろうし、遠く鹿児島にも同様の田布施として源氏系部落を作ったのではないか。田布施という所は「正直いって、住むのに悪条件だらけの土地であった」と鬼塚氏は書いている。あるいは「やたらと寺の多さに気づく」とも書いている。権力者が寺院を使って被差別部落を抑えつけたのだろうし、本来は白山信仰を持ち仏教には転向しない源氏系(北朝鮮系)を強引に仏教徒にしようとした痕が、田布施の寺の群れなのだろう。
鬼塚氏は、田布施出身の大室寅之祐の家が漁業を営んでいないことを指摘している。ということは大室家が平家ではないことを意味している。平家系の庶民の職業は、漁民か百姓と決まっていたからだ。鬼塚氏は大室寅之祐が北朝鮮系の被差別部落民ではないかと言っている。「週刊朝日」06年10月6日号に掲載された「家政婦は見た〜安倍晋三研究」で、安倍家の家政婦の証言として、安倍晋三の父・晋太郎は、日頃から「自分は朝鮮だ」が口癖で、亡くなったときの遺骨を見ても韓国系の体型だったと言っている。
山口県田布施町の怪(下)
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/1c1ad0126db64c496dc1e8b573179ef5
《2》
現在の天皇家としては明治天皇=大室寅之祐の血筋は途切れたものの、田布施(または熊毛郡)出身の一族郎党が国の権力を握っていることに変わりはないようだ。安倍晋三が首相を辞めない(辞められない?)その傲慢さも、彼が明治以降に日本を牛耳ってきた権力を受け継いでいるからだろう。それに安倍晋三は統一教会と縁が深いのだからまさに朝鮮半島勢力である。明治天皇とその取り巻きが、なにせ田布施出身の朝鮮人系統なのだから、現実の政治はその流れに沿うのである。
終戦時(と開戦時)に外相だった東郷茂徳は、鹿児島の朝鮮人部落出身である。本名は朴茂徳である。鹿児島ではあるが、田布施と同じ出自なのだ。だから昭和天皇は終戦の大事な時期に、東郷茂徳を起用した。東郷に外交ルートを使った終戦工作、すなわち天皇の身の保全と、天皇家の蓄財の隠蔽を命じたのである。東郷はA級戦犯となり、服役中に病没しているが、おそらく真相を知る人間だから消されたのであろう。
先に紹介したが、終戦時の安倍源基内務大臣は熊毛郡の出身で、安倍晋太郎・晋三との結びつきは不明らしい(家紋は同じ)が、大室家とは親族だという。安倍源基は周知のように、戦前、警察権力を一手に握った男で警視総監をやり、特高警察で君臨した。言ってみればゲシュタポかKGBの親分のようなものだ。権力者にとっては重要なポジションである。これもまた朝鮮人系が握っていたのだ。
さらに。鬼塚氏が指摘しているのは、終戦時の内閣では大分県出身者が多いという。阿南惟幾陸相(竹田市出身)、梅津美治郎陸軍参謀長(中津市出身)、豊田副武海軍軍令部長(杵築市出身)、また重光葵(東久邇宮内閣外相)は国東半島出身。大分県は瀬戸内海で田布施とつながっている。この辺りは、先の家船漁民の活動範囲であって、その交流のなかで婚姻関係が結ばれていたはずなのである。つまり昭和天皇は同じ朝鮮人関係者で、敗戦処理を行なったのであった。
こうして見てくると、どうして明治権力が朝鮮半島に侵出したか、しかも朝鮮半島をいわゆる植民地化せずに“内地化”して、インフラ整備を徹底的に施し、 “内鮮一致”を押し進めたかがわかる。つまり日本が稼いだ富を祖国・朝鮮半島にせっせと注入したのだ。また日本国内に在日朝鮮人を大量に残し、厚遇してきたかもわかる。権力者どもにとっては同族だからだ。わざと(ユダヤの指示で)日本国内に火種を残したとも言えるだろう。北による拉致だってわかったものではない。総連や北の工作員だけでなく、こうした闇のルートが拉致に介在した可能性もあるし、現在も小泉や安倍という朝鮮系の人間が首相をやっているのだから、闇は深まるばかりだ。
こうして見てくると、話はやや飛ぶが、「アカシックレコード」の佐々木敏氏や、「国際情勢の分析と予測」サイトが指摘する、日本と北朝鮮は本当はかなり親しい関係にあって、ケンカしているように見せているのは表面的なことではないか、との予測は当たっているのかもしれない。冗談に聞こえるのだが、北の金日成や金正日は、「日」の字があって、親日の意味がこもっているのだとの説もあながち荒唐無稽な話ではないのかもしれない。つまり、われわれは「日」といえば日本の「日」だと固く思いこんでいるが、そうではなく、もうちょっと東アジア一帯という視点を持つと、北朝鮮系とそれに呼応する日本の源氏系(?)との連携(=同族)を意味する言葉が「日」なのかもしれない。
「アカシックレコード」の佐々木敏氏はしきりに中朝戦争の危機を指摘している。安倍政権は中朝戦争に反対していると言われ、だから何がなんでも政権を維持して、祖国(?)北朝鮮が戦争に巻き込まれないように、あるいは中朝戦争によって東アジアの朝鮮族連合が破綻しないように、必死なのかもしれない。安倍政権が転覆すれば中朝戦争が必至とも予測されるなか、韓国系やら北系やらの思惑が交錯しているのが現況なのか。今度の朝鮮南北首脳会談もそれを受けてのこととも考えられる。
《3》
さらに鬼塚氏は興味深いことを書いている。明治天皇の生母とされる中山慶子(つまり孝明天皇の種をもらった女性)の墓が東京・文京区の豊島ケ岡墓所にある。ところがこの明治天皇の生母の墓を、明治天皇を始め皇族まで誰も参拝に行っていないのだという。現在の中山家当主は、鬼塚氏の問い合わせに「生母に関しては箝口令がしかれていて、一切答えられない」と言ったそうだ。
これはつまり、明治帝がやはり孝明天皇と中山慶子の子ではないことの証明である。生前に明治天皇は生母に会ってさえいない。「この人間関係の冷たさがーーたとえ生母でなくても会えばいいではないかーー日本の暗黒をより深くし、日本を太平洋戦争へと突き進ませたと思えてならなかった」と鬼塚氏は書いた。そのとおりである。昭和天皇も今上天皇もその他皇族も、孝明天皇の子孫と思うのなら、中山慶子の墓を粗末にするはずがないのだ。
先に「現在の天皇家は、明治の大室寅之祐の血筋は途切れた」と書いたが、大正天皇はどうやら大室寅之祐の子らしいが、昭和天皇は大正天皇の子ではないからである。西園寺八郎と貞明皇后のあいだの子とされる。その事情を『日本のいちばん醜い日』で詳述している。西園寺八郎は毛利家から公家の西園寺公望(元老でありフリーメースン)の養子になった人物で、宮中深く浸透した。大正天皇とは学習院で同級生だった。その息子公一(きんかず)は、コミュニストでゾルゲ事件に連座したが、親(八郎)のよしみで釈放されている。
明治天皇も伊藤博文も、大正天皇に子どもができないことを知っていたので、西園寺八郎を貞明皇后に近づけたとされる。それを鬼塚氏は詳細に検証していく。そして、大正天皇の子4人(昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮)はいずれも父親は別とされる。みんな顔が似ていない。(浩宮と秋篠宮もまったく似ていないが…)
鬼塚氏は、秩父宮が2・26事件の策を練り、終戦時の8・15宮城事件は三笠宮が策を練ったのだと断言している。どちらのクーデターもヤラセだった。
貞明皇后(節子*さだこ)はしきりに世継ぎに介入したとされる。秩父宮を溺愛し、裕仁より秩父宮を天皇にしようと暗躍した。貞明皇后は長州が嫌いだったので、薩摩系の良子を昭和天皇の嫁にしようとして「宮中某重大事件」を起こしている。
貞明皇后は五摂家のひとつ九条家から嫁したとされるがウソで、武蔵野のある大農家の娘だったという説と、彼女の本名は朱貞明だという説がある。中国か朝鮮であろう。朱貞明は、明治政府が徳川幕府から接収した皇居(千代田城)を、高級遊郭にしたのだが、そこに召し出された女性だという。千代田城は「千代田遊郭」と呼ばれ、伊藤博文や大室寅之祐らが、維新で職を失った旗本の娘から美女を選んで囲ったもので、天皇と重臣の遊び場だった。朱貞明が長州の侍に騙されたかして千代田遊郭に入れられ、後に大正天皇の嫁にさせられたとするなら、長州嫌いになったわけもわかる。
貞明皇后は秩父宮の妃を迎えるにあたっては、わざわざ朝敵とされた会津藩松平家から勢津子を選んで、長州への面当てをやった。(ちなみに勢津子のかかりつけの美容師が吉行あぐりである)この会津から皇室への婚姻で、会津の人は喜んだというが…。
今上天皇が堂々、天皇家の祖先は朝鮮から来たんだと記者会見で言って、驚かされたが、つまり今上天皇は、祖母の貞明皇后が朝鮮系であることを述べていたのだと思われる。
いずれにせよ、かように日本上層部は、民族的怨念と覇権を巡っての暗闘を続けているのであって、現在の自民党や民主党ら政党の争いとか、霞ヶ関の官僚の争いも、そうした背景を知らねば解明はできないものと思われる。
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