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日本に「レインボー政治」は出現するか
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakayoshitsugu/20140824-00038527/
2014年8月24日 15時17分 田中 良紹 | ジャーナリスト
2012年製作のチリ映画「NO」を観た。カンヌをはじめ各国の映画祭で賞を獲得した作品だが、重厚で芸術性が高いという訳ではない。それとは対照的に「軽く明るく楽しい」キャンペーンで軍事独裁政権を倒した実話を基にしている。政治を考える上で示唆に富む映画である。
南米チリは大統領を元首とする共和制国家だが、1970年に社会党と共産党の連合によるアジェンデ政権が誕生した。世界で史上初めての選挙による社会主義政権の誕生である。「社会主義は暴力革命でしか生まれない」と公言してきたアメリカは衝撃を受けた。
当時のニクソン政権はチリの反共勢力に肩入れする。その結果、1973年に軍がクーデターを起こし、陸軍司令長官のピノチェトを大統領とする軍事独裁政権が生まれた。ピノチェトはそれから16年間にわたって権力を維持するが、反対勢力を徹底的に弾圧する強権政治を行う。殺されたり消息不明になった者は公式発表で3千人以上、実数は数万人にのぼると言われる。百万人が弾圧を怖れて外国に亡命した。
社会主義経済から脱却するため、ピノチェトはレーガンよりもサッチャーよりも誰よりも早く「シカゴ学派」の経済政策、いわゆる新自由主義を取り入れた。国営企業の民営化、規制緩和、農業の経営大規模化、関税障壁の撤廃などで一時的には経済成長が実現する。「シカゴ学派」のミルトン・フリードマンはこれを「チリの奇跡」と呼んで絶賛した。
ところが新自由主義経済は富の集中をもたらし格差を拡大する。やがて貧困率はアジェンデ時代の2倍となり、インフレ率も数百%にまで上昇した。1982年には経済危機が始まる。経済成長はマイナスに転じ、失業率は20%を超え、国家的な産業である銅の鉱山でストライキが勃発した。
アメリカ政府は冷戦の間、ピノチェト独裁を見て見ぬふりしていた。しかしアメリカの中からも独裁を批判する声が上がるようになる。そうした中で1988年、ピノチェトはその後8年間の任期を認めるか認めないかを国民に問う選挙の時期を迎えた。
それまでピノチェトは2度の国民投票を行ったが、いずれも7割以上の圧倒的支持を得た。3度目となる国民投票では国際社会の目を意識して、ピノチェト賛成派と反対派に1日15分間の同等のテレビキャンペーンが認められた。そこから映画「NO」の物語が始まる。
反対派は新進気鋭のCMディレクターに制作を依頼するが、国のあらゆる組織を支配するピノチェトの勝利は確実で、CMディレクターは気乗りがしない。選挙は茶番に過ぎないと思いながら、自分の考えるCMを採用してくれるならという条件で引き受けた。
反対派の訴えたいことはピノチェト独裁に対する抗議である。国民を虐殺し、獄につなぎ、民主主義を蹂躙する政権に「NO」を突きつけたい。しかしCMディレクターはその考えに反対する。「暗い話を誰が見るのだ」と言う。反対派から非難されながらも彼は「国民に夢と希望を与える」CMを作ろうとする。
しかしまず何よりも問題なのは、反対派が17の党派に分裂している現実だった。そこでディレクターは「レインボー(虹)」を反対派のロゴマークにする。主張は様々で色合いは異なるがそれでもレインボーは一つである。こうしてピノチェトに反対する勢力は対抗馬を一本化する事に合意した。政策の違いなど政権交代の意義と比べれば小さな話だ。
そして反対派のCMは明るく軽快なメロディで「チリよ、喜びはもうすぐやってくる」という歌詞と夢のある映像を流し続けた。独裁政治の暴虐を非難するキャンペーンではなく、国民の宥和を訴えるキャンペーンである。CMは国民に「流れを変える時が来た」ことを訴え続けた。
一方の賛成派は、これまでの実績を訴え、政権が変われば安定は損なわれ、国民生活がダメージを受けるというCMを流す。やがて反対派のCM制作に様々な妨害が加えられるようになった。それは独裁政権側が追い詰められ焦っている証拠だと反対派は逆に腹を括る。
茶番と思われた選挙が茶番でなくなった。投票日には投票所に人々があふれた。ピノチェトは様々な謀略で権力維持を図ろうとする。しかし後ろ盾だったアメリカは冷戦の終わりを感じていた。翌年にはベルリンの壁が崩壊する。アメリカはピノチェトに投票結果を尊重するよう警告した。勝てる筈のない選挙で国民は独裁政権を打倒した。
私が冒頭で「示唆に富む」と書いたのは、日本の政治状況を念頭に置いての事である。「1強多弱」と言われる与野党の力関係の中で、政治を変える事は不可能であるかのようにメディアは報道する。しかし政治の世界に「絶対」も「不可能」もない。盤石な権力があっという間に倒れる様を私は何度も見てきた。
権力が無能だったためではない。政治という魔物は往々にして常識を覆すのである。日本ではいまだに国民がアベノミクスに幻惑されているが、それは70年代のチリと同じである。チリのように格差が拡大する前にどうにかしないと国民生活は傷付く。
そこでまず取り組むべきは「レインボー政治」の実現である。「政策が違う」などとつまらぬことを言わないで、対抗馬を一本化する事である。そして次に心がけるのは相手に対する批判ではなく、どのような未来を約束できるか、それを提示する事だ。
知能の低い日本のメディアはすぐにそれを「野合」と呼ぶが、そんな事に気をとられる政治家は政治家ではない。現状の変革こそが政治家の務めであり、主義主張やイデオロギーにとらわれるような小物に政治家は務まらない。それをチリの映画「NO」は教えてくれる。チリ映画「NO」は8月30日から日本でも公開予定である。
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