http://www.asyura2.com/14/senkyo169/msg/810.html
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「戦争中も現在も、実質ではなく「形式」にこだわりすぎて問題の核心を読み誤る、という事例は少なくない」
http://sun.ap.teacup.com/souun/14987.html
2014/8/15 晴耕雨読
山崎 雅弘氏のツイートより。https://twitter.com/mas__yamazaki
終戦1年3カ月前「対中終結を」重光外相、ソ連仲介構想 新史料で判明(東京)http://bit.ly/1rtw4Z5
「重光はソ連の影響力で中国内を一つにまとめてもらった上で、日ソに中国を加えた不戦の枠組みをつくれないか考えていた」
「だが、佐藤(尚武駐ソ大使)はソ連が米英両国と連合国として連携していた情勢から、ソ連仲介の実現性は『疑問』と返電」
太平洋戦争、あるいは大東亜戦争という「日本中心の視点」で見ると、ソ連は形式上「中立国」であり日本と第三国の戦争で仲介者となる可能性があったようにも見えるが、第二次世界大戦という「地球儀を俯瞰する視点」で見れば、ソ連は1941年6月の独ソ開戦以降、米英両国から膨大な兵器と物資の支援を受けてドイツと戦う「連合国の一員」で「米英の軍事同盟国」であり、決して「中立国」ではないことは一目瞭然だった。
米英と競合はしても「敵対はしない」方針を貫いていたスターリンが、米英の交戦国である日本に便宜を図り、米英と日本の戦争で日本が有利になるような状況づくりに手を貸すはずがない。
形式でなく「実質」で考えれば、第二次世界大戦で米英と共に戦うソ連が日本と米英中の戦争で「日本の立場に理解を示す」ことはあり得ないが、物事を「形式」でしか認識しなければそれが見えない。
終戦直前に鈴木貫太郎首相がポツダム宣言を「黙殺」したのを「無視(Ignore)」と訳されたのは誤訳だ、と主張する人もいるが、海外メディアは「黙殺」の二文字ではなく「日本は降伏せずに戦争を続ける」という声明全体の趣旨から判断して「無視」と訳した。
形式ではなく「実質」でそう判断した。
戦争中も現在も、実質ではなく「形式」にこだわりすぎて問題の核心を読み誤る、という事例は少なくないと思う。
慰安婦問題にしても、国連人権委員会や人権問題に敏感な第三国は実質としての「人権侵害」に焦点を当てているのに対し、日本政府とその支持者は「公文書の有無」という形式だけで思考する。
実質ではなく「形式」にこだわりすぎるというのは、悪気があってそうしているのではなく、教育制度も就職採用でも「形式」が絶大な威力を持つ社会への「適応力の高さ」という側面があるのかもしれない。
役所の窓口もメディアの記者も、相手が「形式」を整えていれば、「実質」には一歩も踏み込まない。
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