http://www.asyura2.com/14/senkyo169/msg/746.html
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安倍政権批判に、孫が突然死なんてあやしいと思ったんですよね。
やっぱりそうですか。
「ぴよぴよ党」から
http://piyopiyo-party.at.webry.info/201408/article_6.html
本日は69回目の長崎原爆記念日です。
毎年、原爆投下時間の11時2分に合わせて平和式典が開催されます。
しかしここ近年はこの式典が一部の人たちによるイデオロギーの発表の場に成り下がっていて
とても気になっていましたが、今年はさらに酷かったですね。
昨年に引き続き、長崎の田上市長は「平和宣言」を政治利用ですか・・・
長崎 69回目の原爆の日 田上市長、集団的自衛権に言及
フジテレビ系(FNN) 8月9日(土)12時23分配信
長崎は9日、69回目の原爆の日を迎えた。平和宣言で、長崎市の田上市長は、集団的自衛権に言及し、被ばく地から懸念を投げかけた。
平和祈念式典が行われた長崎市の平和公園では、2014年は台風11号の影響で、初めて大テントが取り払われた。
長崎市の田上市長は「今、わが国では、集団的自衛権の議論を機に、『平和国家』としての安全保障の在り方について、さまざまな意見が交わされています」と述べた。
長崎市の田上市長は、平和宣言の中で、集団的自衛権に言及し、国民の中に広がる懸念と不安の声に耳を傾けるよう、政府に要望した。
日本の安全保障をめぐり、大きな転換点となった中で迎えた2014年の平和祈念式典は、9日午前に終わったが、長崎はきょう一日、平和への深い祈りに包まれる。
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http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20140809-00000293-fnn-soci
原爆記念日や終戦記念日は、日本のために戦って命を落とされた方や
米国の民間人無差別殺人、大虐殺の犠牲になった方々のために
心静かに祈る日であってほしいし、本来はそういう日であったはずです。
それを自らの主義主張を披露する場に変えてしまった長崎市長。
原爆の犠牲になられた方を追悼する場を平気で利用するような方ですから
「哀悼の意」など、そもそも感じておられないのでしょう。
さらに驚きなのは、被爆者代表の城臺(じょうだい)美弥子氏。
<長崎原爆の日>「誓い」の城臺さん「武力で平和守るの?」
毎日新聞 8月9日(土)12時18分配信
◇閣議決定した集団的自衛権行使容認、安倍首相姿勢を批判
9日に69回目の「原爆の日」を迎えた被爆地・長崎。「日本の平和を武力で守ろうと言うのですか」。平和祈念式典で被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げた長崎市三川町の城臺(じょうだい)美弥子さん(75)。7月に安倍晋三政権が閣議決定した集団的自衛権の行使容認を「日本国憲法を踏みにじる暴挙」と批判し「被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないでください」と訴えた。
城臺さんは6歳の時、長崎市立山町(爆心地から約2.4キロ)にある祖母の家で被爆した。隣家の友人から「みやちゃん、遊ぼう」と呼ばれた瞬間、空に閃光(せんこう)が走った。爆風で飛ばされ、床下から助け出されるまで気を失っていたという。
小学校教諭を退職後、語り部の活動を続けてきた。城臺さんの目には、集団的自衛権行使容認や、武器輸出三原則の緩和を進めた安倍政権の動きは危うく映る。「戦争は戦争を呼ぶ。若者や子どもを脅かさないで」。城臺さんは、安倍首相らを前に言葉をつないだ。
誓いでは、核兵器禁止条約の早期実現に向け、日本政府は世界のリーダーとなる義務があると主張した。そして「再び愚かな行為を繰り返さないために、被爆者の心に寄り添い、被爆の実相を語り継いでください」と呼びかけ、平和な世界への願いを語った。
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http://mainichi.jp/select/news/20140809k0000e040210000c.html
長崎市長と歩調を合わせるかのような極左イデオロギー満載のお言葉ですが
それもそのはず、この方・・・
極左暴力集団の中核派が仕切っているNAZEN、長崎の発起人ですよ。
こちらは中核派の機関紙である「前進」から。
NAZENフクシマ結成集会、350人の結集でかちとられる!
前進 2011年10月11日 00:55
10月10日、福島で「すべての原発いますぐなくそう!全国会議・フクシマ」が結成された。3・11大震災と福島第一原発大事故の爆発から7カ月。ついに福島の地に、全原発の再稼働を止め、すべての原発をなくすまでやむことのない闘いの核が打ち立てられたのだ。
「すべての原発いますぐなくそう!全国会議(=な全)・フクシマ」結成集会は10月10日午後、福島市のコラッセ福島多目的ホールで開催された。地元福島をはじめ全国各地から集まった人は実に350人。元日放労長崎分会委員長の鈴木達夫弁護士の開会あいさつに続き、福島から、な全呼びかけ人で「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の椎名千恵子さんと、国労郡山工場支部書記長の橋本光一さんが訴えた。
(中略)
続いて、長崎から参加した被爆者・城臺(じょうだい)美弥子さんが「福島と連帯したい、福島につながりたいという思いで参加しました。被爆者自身が『原子力の平和利用』論を信じ込まされてきてしまったことが、今日の現実をつくり出した。広島・長崎・福島がつながって、核も原爆もない社会をつくりましょう」と呼びかけた。
(中略)
集会の後半は、動労千葉の田中康宏委員長、8・6広島―8・9長崎反戦反核闘争全国統一実行委員会の三角忠さん、山本志都弁護士、医師や福島の農民の発言が続いた。常磐線久ノ浜―広野駅間の運転再開と放射能汚染車両の職場への搬入に対してストライキで立ち向かっている動労水戸の辻川慎一副委員長の訴えに、とりわけ大きな拍手が寄せられた。
ふくしま合同労組の市川潤子委員長、福島大学と東北大学の学生の発言が続き、最後に福島労組交流センターの渡辺馨代表が「すべての原発いますぐなくそう!全国会議・フクシマ」結成宣言を提案。「『福島を返せ!』『東電と国は全部補償しろ!』 フクシマの怒りは、全国の怒りです。全国の力で、原発を今すぐとめましょう! 原発再稼働の野田政権を打倒しよう! NAZENフクシマとともにたたかおう!」という提起に、参加者一同が力強い拍手と声援で応えた。
福島の地に、労働者・労働組合がどっしりと中心に座って、農民、漁民、子どもを持つ親、すべての住民の怒りを一つに束ねて闘う運動体が打ち立てられた意義はとてつもなく大きい。この大きな勝利をさらに押し広げよう。反原発・反失業の闘いを全国の職場・地域で大きく広げ、11・6全国労働者総決起集会に駆けつけよう!
h ttp://www.zenshin-s.org/zenshin-s/sokuhou/2011/10/post-1323.html
週刊『前進』(2548号4面1)(2012/08/20 )
被爆者と福島の怒りは一つ 長崎で反原発・反核集会 8・9 佐藤幸子さん(子ども福島ネット)が講演
(抜粋)
さらに、長崎の被爆者・城臺(じょうだい)美弥子さんが発言に立った。6歳の時に被爆し被爆体験を語り継ぐ活動を続けている城臺さんは今、NAZENナガサキの先頭で闘っている。城臺さんは「8・6ヒロシマ大行動に参加して大いに元気づけられた」と語り、内部被曝した被爆者を政府・裁判所が被爆者と認めず被爆者手帳の交付を拒否し続けていることに怒りを表明した。そして「長崎・福島・広島・ビキニのつながりをつくり、未来のために反原発運動を進めましょう」と訴えた。
h ttp://www.zenshin.org/f_zenshin/f_back_no12/f2548.htm
「平和式典」にまさかの過激派を被爆者代表として選ぶ長崎市。
いったいどういう基準でこの方を選んだのでしょうか?
革命的共産主義者同盟全国委員会(Wikipediaより)
革命的共産主義者同盟全国委員会(かくめいてききょうさんしゅぎしゃどうめいぜんこくいいんかい、通称:中核派、ちゅうかくは)は、革共同系の日本の新左翼党派の一つ。
「反帝国主義・反スターリン主義」を掲げる。1959年に「革命的共産主義者同盟」から分裂して結成された「革命的共産主義者同盟全国委員会」(黒田・本多派)から、1962年に黒田派が離脱して「革マル派」を結成し、残った全国委員会派(本多派)が「中核派」となった。
また2006年以降の「関西派」(革共同再建協議会)との対立と離脱以降は、中核派中央派、中核派前進派、中核派安田派などとも呼ばれる。公然拠点は前進社。機関紙は「前進」。
2011年(平成23年)、福島第一原子力発電所の事故をうけて、脱原発を目指すことを標榜する学生団体「NAZEN」を創設。福島県を中心に、全国各地の大学で脱原発を志向する学生を「オルグ」している。代表は全学連委員長・織田陽介である。
大切な平和式典も、こうやってプロ市民が入り込むことによって汚されいく。
このような平和に背く行為を、被爆者を愚弄している行為を、
長崎市民は許しているのでしょうか?
日本国民は許していいのでしょうか?
最近は「平和」「人権」「戦争反対」「反原発」、
そして「元教師」という言葉には疑ってしまう癖がついてしまいました。
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