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2014年8月10日
京都大学大学院教授の藤井聡氏の「維新・改革の正体」(産経新聞出版)と、金融論経済学の菊池英博氏の「そして、日本の富は略奪される」(ダイヤモンド社)には、極めて重要で興味深いことが書かれている。
「維新・改革の正体」を参照すると、宍戸駿太郎氏は、戦後のアメリカによる対日政策には、「日本機関車論」と「日本財布論」の二つがあったと言っている。
大きく言えば、日本機関車論は日本の高度経済成長期と呼ばれた1954年から1970年代、特に1960年代の終わりから70年代にかけて採られたアメリカの対日政策だった。
日本機関車論とは、国際経済において日本が内需を拡大し、大きく経済成長することによって、アメリカ、ドイツとともに世界経済を牽引する重要な機関車となれば、それはアメリカにも好影響を与えるというものだった。
一方、日本財布論は1989年から1990年までに5次にわたって行われた日米構造協議で、日本機関車論と併存する形で出ていたものであり、日本人が高度経済成長期やバブルで貯めこんだ貯蓄や金融資産をアメリカが使うというものであった。
米国の対日政策がこの日本財布論へ切り替わったために、日本は経済の失われた20年を引き起こし、今日の日本経済を惨憺たる状況に導いたという話である。
日米構造協議の時点では、御存知のようにアメリカは日本に公共投資430兆円をゴリ押しするという、まさに宗主国ならではの強圧的な内政干渉を行った。
これには公共投資悪玉論者が強い嫌悪感を示した。
しかし、この方策は内需拡大を振興し経済成長に導くものだったから日本機関車論の真骨頂でもあり、日本社会と国民経済には大いにプラスとなるもので、言わば日米双方ともにウインウインの相互受益がある政策だった。
ところが、日米構造協議はご存じのように分野横断的な規制緩和の圧力が出ていて、これは今日のTPP(環太平洋経済パートナーシップ)で言うところの日本の非関税障壁切り崩しの先駆けでもあった。
宍戸駿太郎氏によれば、この当時のアメリカ内部では、日本を成長させろという一派と、いや日本が真面目に貯め込んだ金融資産をアメリカが横取りできるシステムに日本市場を切り替えろという一派の拮抗状態があったという。
しかし、この綱引きはクリントン政権で経済政策担当大統領補佐官だったロバート・ルービンと、財務長官を務めたローレンス・サマーズという二人の最も先鋭的な新自由主義者率いる「日本財布論」一派が勝利をおさめている。
クリントン政権は国内では福祉型資本主義経済を採用して米国経済を浮揚させたが、対外政策では典型的なワシントン・コンセンサスの流儀で略奪経済政策をとるという二面性を持っていた。
以後、アメリカにとっての日本は無尽蔵に金を生み続ける金の鶏、すなわち財布国家(金蔵国家)という位置づけとなってしまった。
アメリカによるこの基本的な対日政策が橋本龍太郎政権では、行政改革、金融ビッグバン、省庁大編成など、アメリカのための日本改造政策となり、小泉政権では構造改革路線となり、第二次安倍政権では産業競争力会議や経済財政諮問会議等で繰り出される国家戦略特区その他の新自由主義路線である。
――中略――
1991年のバブル崩壊の後、その影響で日本経済が凋落したと思われているが、実は日本経済を失速させていたのは日本財布論の具体的な実行計画が進んでいたからだ。
我々素人が経済を考えるときには二種類の経済を想定する必要がある。一つは国民生活の充実度に強くかかわる国民経済と、企業の業績や利潤だけが問題とされる企業経済の二種類である。
国民側から見れば、重要なことは国民経済であって、企業経済の動向が第一義ではない。
この観点から言えば、小泉政権時代のイザナギ景気とは、1954年から1957年までの3年間に実現した神武景気とは全く異なるものであり、後者は企業利益一辺倒で国民経済はマイナスになっている。
池田内閣で高度経済成長のプランナーとして実行部隊を率いていた経済学者の下村治(しもむらおさむ)は、国民経済とは「この日本列島で生活している1億2千万人が、どうやって食べ、どうやって生きていくかという問題だ」と言い切っている。
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下村治は、まっとうな経済は国民の雇用と生活の安定を目的とするものであり、総体的な国民が食べて行くことができる経済だと言っている。
この観点から言えば、特に小泉政権以降の日本経済は企業利潤至上主義と外資優遇だけが政策の本領となっていて、国民生活は雇用面からも所得面からも困窮の一途をたどっている。
この状況が橋本政権以降、ほぼパターン化されてしまった原因は、日本とアメリカ、正確には日本とアメリカ・コーポラティズムの関係が「日本財布論」を基軸にして固定化されてしまったからだ。
日本が経済の機関車国家として再生する一つの方法は、まだアメリカに現存する日本機関車論の一派と緊密に合流し、双方でウインウインの関係を維持する事であろう。
だが、安倍政権は多国籍企業の出先機関であるUSTR(米通商代表部)や対日専従班になっているCSIS(戦略国際問題研究所)の奴隷と化し、打ち出す政策全てがグローバリゼーションで練り上げられている。
それは、「国家戦略特区法」の実施や「規制改革実施計画」の閣議決定に鮮明に現れていて、今や国民経済は風前のともしびとなっている。
日本が順調な機関車論で走っていて景気が良かった時代は、所得の再分配もきちんとできていたが、アメリカによって日本財布論が位置づけられてしまってからは、典型的なサプライサイド先行型になり、内需は頭打ちになってしまった。
これに緊縮財政政策が実行されて日本経済は何度も失速しデフレが常態化してしまった。
藤井聡氏の論説を参照すると、日本が機関車として経済成長を続けていたときには、総理大臣直轄の「経済審議会」が機能していて国土計画や公共事業の計画が計画されていた。
ところが、日本が財布国家にされた後では、この経済審議会は消滅している。
経済審議会は1952年からの歴史を持ち、各界から集まったメンバーが最低でも数十人で構成される内閣総理大臣の諮問機関だった。その性格はこうである。
(1) 長期経済計画の策定に関する事項
(2) 経済に関する重要な政策,計画などに関する事項を調査審議するとともに,同事項に関して必要に応じ総理大臣に対し意見を述べることができた。
ここでは安定的な国土計画や事業計画など、腰の据わった政策が審議されていた。しかし、この経済諮問会議は日本財布論の台頭とともにつぶされてしまったというか、自然消滅の形で消えてしまった。
藤井聡氏によれば、具体的には橋本龍太郎と江田憲次(現「結の党」党首)の最強コンビが省庁再編とともにこの経済諮問会議をつぶしてしまったようだ。
その代わり、橋本政権以降の政府は経済財政諮問会議や規制改革会議など、新自由主義で企業優遇色の強い私的な諮問会議を乱立させている。
日本財布論によってできた、これらの怪しげな諮問会議の特徴は、
(1) 国民生活をないがしろにした企業利益優先主義
(2) 大企業やグローバル企業のための短期経済計画
(3) 政党を無視した企業利益を代弁する少数の民間人で構成される
経済財政諮問会議と橋本政権以降にできた諮問会議類の大きな違いは、後者では審議される内容が国民経済ではなく企業経済であるということである。国民生活への考慮は微塵もない。海賊の海賊による海賊のための諮問会議なのである。
この意味は政商あるいはレントシーカーの親分格のような宮内義彦や竹中平蔵たちがこれらを仕切っていることから明らかであろう。今の安倍政権がやっていることは、日本財布国家化の最終総仕上げと言っても過言ではない。
日本の富が一方的に奪われていくだけのシステム造りなのである。
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