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私のちょっとした従軍慰安婦のお話
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2014/08/09 そりゃおかしいゼ
朝日新聞は8月5日に、従軍慰安婦を巡る過去の報道を検証する記事を掲載し、「済州島で強制連行した」とする吉田清二氏の証言を「虚偽だと判断し関連の記事を取り消す」とする、特集を報道した。
ここぞとばかり、読売や産経など右翼新聞は敵失とばかり、総攻撃をかける。論旨のほとんどは、慰安婦を根底から否定する内容である。
私はもう30年以上前になろうが、満州から支那へと従軍した兵士の話を、何度か聞いた記憶がある。もうすでに亡くなられた温厚な農家の爺様であるが、朝鮮や満州の軍の施設には必ず慰安所(と言ったか定かな記憶はない)というものがあって、ほとんどに朝鮮の娘がいたというのである。
15〜18歳くらいばかりの娘たちで、爺様のような若い兵隊さんたちはそこで、娘たちを抱いたというのである。金を払った記憶はないと言っていた。将校クラスは町の売春宿に行くとのことだった。
朝鮮の娘さんたちは可哀そうだと、爺様は何度も繰り返していた。その時になると、”アイゴーアイゴー”と大きな声を出すので、若い兵士は好んだようである。お母さんと呼んで泣いている子も、少なくなかったというのである。
昼は腫れた局部を小川で洗っているのを見て、一層可哀相だと思ったと、爺様は言っていた。
最初は魚釣りに連れて行ってもらった時であるが、酒を飲み交わさなければ軍隊時代のことは喋らない。チャンコロ(中国人をそう呼んでいた)は、何人殺したかわからない。いくらものを盗んだかもわからないと言っていた。爺様に罪悪感は感じられなかったが、すまん事をしたというようなことを言った記憶がある。
慰安所があったことは事実である。その時々に強制はかなったか、軍隊つまり国家が関与したかどうかは判然としない。しかし、時の状況を考えてみると、強制以上の力が現場では働いていたことは想像似難くない。ほんの15,6歳の極貧の娘たちに、何の抵抗が出来るというものであるか。
軍が関与していなくても、従わざるを得なかった朝鮮の人たちのことを思えば、彼らの証言に反論すべきではない。朝日新聞に偽証した人物も問題であるが、そのことによってこうした事実を否定してはならない。
先の戦争に従軍した七割以上は農民である。そのほとんどが小作農の貧農である。平時ならとても優しく、親を想い、他人を労わる温厚な人たちである。こうした人たちが、大量の人殺しなどの蛮行をやったとは信じられない。戦争とはそういうものである。
爺様に、戦争について聞くほどの度量はなかったが、酒を飲まなければ話さなかったことを見ても、戦争の重さを感じるものである。
今日は長崎原爆投下の69回目の日である。戦争を事実から逃れるところから検証するのではなく、単に人殺し行為、非人道性から見なければならない。
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