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朝日の「慰安婦問題報道」が浮き彫りにしたメディアの相互チェック機能の欠如
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40097
2014年08月08日(金) 牧野 洋の『メディア批評』 現代ビジネス
8月5日付朝日は1面の論説で慰安婦問題報道の誤りを認める
■自らの「慰安婦問題報道」を検証した朝日
朝日新聞が8月5日付の1面に「慰安婦問題の本質直視を」と題した論説を載せ、中面では12〜13面を使って見開き2ページで慰安婦問題を特集。翌日付でも同じテーマで見開き2ページの特集を組んだ。
注目すべきなのは、これが単なる慰安婦問題の特集ではないということだ。自らの「慰安婦問題報道」を検証する特集であり、過去の報道の一部について誤りを認めている。とりわけ世間の関心を集めたのは、「慰安婦を強制連行した」という日本人男性の重要証言について「虚偽だと判断し、記事を取り消します」と結論した点だ。
この男性は吉田清治氏。暴力で女性を強制連行したと著書や集会で証言し、朝日の紙面上で1982年以降少なくとも16回登場している。1992年に信憑性に疑問を投げかけながらも同氏の証言は訂正されず、1996年の国連人権委員会「クマラスワミ報告」にも強制連行の証拠として採用されている。
新聞界では自らの報道に誤りがあってもなかなか訂正を出さず、出したとしても小さく目立たない程度にするケースが普通だ。なぜ誤ってしまったのか、その経緯を紙面上で説明することもほとんどない。「訂正は恥」という文化が根強いからだ。朝日が1面を使って誤りを認め、その背景について中面で詳しく説明したのは評価に値する。
8月5日付朝日の中面は見開き2ページで検証記事
■メディア同士の相互チェックの重要性
しかし、それ以上に"画期的"なのは、読売、毎日、産経など主要紙が翌日の1面ニュースとして朝日の検証記事について報じたことだ(全国紙の中で日本経済新聞だけは第二社会面の片隅で小さな扱い)。しかもその内容は手厳しい。読売は1面記事で「朝日 32年後の撤回」という見出しを使い、社説の中で「朝日新聞の責任は極めて重い」と断じている。
8月6日付読売は特別面1ページ使って朝日の報道を点検した
新聞業界では「同業他社を批判しない」が長らく暗黙のルールになってきた。ある新聞が大特ダネとして報じたニュースが後で誤報と分かっても、ライバル紙が紙面上でその経緯を詳しく報じることはめったになかった(週刊誌による新聞報道検証はよくある)。慰安婦問題に限ればこのルールが完全に取り払われたといえよう。
メディア同士の相互チェックは報道業界全体にとって健全な姿である。誤報があっても外部からの指摘がなければ「このままうやむやにしてしまおう」といった社内力学が働くからだ。
朝日の慰安婦問題報道は、米ニューヨーク・タイムズがイラク戦争開始時に展開した「大量破壊兵器報道」を彷彿とさせる。後になって自らの紙面に検証記事を掲載して誤りを認め、同業他社からも容赦なく批判された点でそっくりだからだ。
2003年3月に始まったイラク戦争の正当化で決定打となったのは、核兵器や生物・化学兵器などの大量破壊兵器の存在だ。2001年から2003年にかけて「イラクに大量破壊兵器は存在する」と何度も書き、実質的に当時のブッシュ政権を援護する格好になった代表格がニューヨーク・タイムズのジュディス・ミラー記者だ(詳しくはコラム「ジャーナリズムは死んだか」の記事参照)。
アメリカではメディア同士の相互チェックは当たり前だ。ミラー記者による大量破壊兵器報道についても同業他社は早くから疑問視していた。たとえばイラク開戦から2ヵ月後の5月26日付ワシントン・ポスト。同紙でメディア業界を担当するハワード・カーツ記者は自らのコラムでミラー記者を取り上げ、具体的証拠を示しながら「情報源に偏りがある」と指摘している。
同業他社からの批判が勢いを増すなか、ニューヨーク・タイムズは開戦から1年余りが経過した2004年5月26日付紙面で検証記事を載せた。当時のビル・ケラー編集局長の見解として「2001年以降のイラク報道には問題あり」と認めたのだ。誤りの具体例として挙げられた12本の記事のうち、10本にはミラー記者の署名が入っていた。
そのうちの1本は2003年4月21日付の1面記事。「開戦前夜に大量破壊兵器を撤去 イラク人科学者が証言」との見出しで、「生物・化学兵器の証拠をつかんだ」と報じている。これについて検証記事は「この証言は当時も疑わしかったし、現在も疑わしい。にもかかわらず、本紙はこれまで裏づけ取材を怠ってきた」と結論している。
ニューヨーク・タイムズは最初の検証記事掲載から1週間足らずで新たな検証記事を載せた。今度は同紙パブリックエディターのダニエル・オクレント氏によるコラムで、編集局長見解の検証記事よりも一段と厳しい内容だ。同氏は「今回の誤りをミラー記者1人のせいにしてはならない。これは一個人の問題ではなく組織全体の構造問題である」としたうえで、こう指摘している。
〈 それにしても、社として誤りを認めるまでになぜこんなに時間がかかったのか。ケラー編集局長ら幹部は傷口が癒えない段階で新たな傷口を開けたくなかったのかもしれない。だが、黙っていては状況を悪くするだけだ。外部からより激しい攻撃を受けるばかりか、現場で働く記者にもつらい思いをさせてしまう。 〉
当コラムでもすでに何度か紹介しているが、パブリックエディターとは編集局からも論説委員会からも独立して自社紙面を批評するポストだ。日本の新聞社にはないポストだが、あえて言えば「記事審査委員長」に近い。オクレント氏は社外から採用されたベテランであり、読者に対してだけ説明責任を負う。だからこそ、歯に衣着せぬ物言いでケラー編集局長ら幹部の対応をも批判できるのだ。
■朝日批判を繰り広げるメディア自身の問題
大量破壊兵器についてはイラク開戦直後からさまざまな疑問が出ていたことを考えれば、オクレント氏が「社として誤りを認めるまでになぜこんなに時間がかかったのか」と指摘するのも当然だ。それでも朝日と比べれば「素早く対応した」ことになる。何しろ朝日は、吉田氏を最初に取り上げてから32年後、証言に疑問が示されてから22年後になって初めて誤りを認めたのだから。
原因は何か。繰り返しになるが、構造問題として根底にあるのは大手新聞社同士の相互チェック機能の欠如ではないか。
少なくとも今年は相互チェック機能が働いていた。産経が1面も含め朝日の慰安婦問題報道を精力的に取り上げ、内容を検証していたのだ。記事検索サービス「日経テレコン」を使い、「慰安婦」「朝日新聞」のキーワードで同紙東京版を検索すると、今年に入ってから8月4日までに39本の記事がヒットした。このうち見出しベースで朝日が登場するものは6本に上る。
5月23日付朝刊1面では「慰安婦問題の原点」と題して、慰安婦問題が過熱した1990年代初めにソウル特派員を務めた元朝日記者に取材。「すぐに訂正がでるだろうと思った」などのコメントを引き出しながら、過去の取材過程に光を当てている。産経の報道が朝日の背中を押したとしても不思議ではない。
その産経も1990年代は静かだった。同様に「慰安婦」「朝日新聞」のキーワードで東京版を検索すると70本の記事がヒット。期間は10年に及ぶのに見出しベースで朝日が出てくるものは10本にとどまる。
ちなみに同じ条件で読売を調べると、1990年代は6本の記事しかヒットしなかった。このうち3本が「週間ベストセラー」であるなど、慰安婦問題を主題にした記事は皆無。見出しベースで朝日が出たのは「凶弾10年 朝日新聞阪神支局襲撃」だけだった。
朝日の検証記事を見て「なぜもっと早く誤りを認めなかったのか」と批判するメディアは多い。だが、業界全体の相互チェック機能の弱さが根底にあるのだとすれば、今になって朝日批判を繰り広げるメディア自身にも問題があるのではないか。
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