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報道英とは、ニュース・出来事・事件・事故などを取材し、記事・番組・本を作成して広く公表・伝達する行為であり、言論の一種である。報道を行う主体を報道機関という。報道の媒体をメディアと呼ぶ。
報道は表現の自由に基づく、報道の自由や知る権利に支えられている。反面、報道は客観報道の原則を守らなければならないとされる。
一方、ジャーナリズムと言う言葉がある。
ジャーナリストは事実に対する現状や意義、展望を報道する専門家であるとされるが、ジャーナリストの倫理観や政治的態度に基づいて左右され、ジャーナリスト自身の経済的基盤、個人的利害関係が記事の内容に大きく影響を与えるケースもある。
社会的評価を受けているジャーナリストの書いた記事や報道(ジャーナリズム)は影響が大きい。フリージャーナリストの草分けである黒田清のように「ジャーナリズムの基本は伝えることではなく弱者の訴えを代弁する事」を信念とするものもいるように、日本独自に発展したジャーナリズム観も生まれている。
世界のジャーナリズムを見る際に、まず浮かぶのはベトナム戦争時の報道である。当初、アメリカの報道機関はベトナム戦争を支持していた。しかしダニエル・エルズバーグとアンソニー・ルッソがニューヨーク・タイムズの記者ニール・シーハンにペンタゴン・ペーパーズを渡すなど、さまざまな反戦的報道で、全米の世論は大きく変化する。ニューヨーク・タイムズが記事を掲載すると、当時の大統領リチャード・ニクソンは司法省に命じて、記事差し止め命令を求め連邦地方裁判所に提訴した。裁判は一審で訴えを却下。控訴審のワシントン連邦高等裁判所で訴えは認められたが、その後連邦最高裁判所での上告審では「政府は証明責任を果たしていない」という理由で却下された。
民主主義的手続きによってひとたび権力が成立すると、意思決定に必要な〈いま、ここ〉の知識が権力の極の方に集中し、平等に配分されなくなってくる。この傾向が放置されるならば、権力は国民による正当なコントロールからはずれ、逆に権力が国民をコントロールする事態をまねく。そうなると、もはや民主主義とはいえないから、なんらかの制度的対策が必要となる。「いま伝えなければならないことを、いま、伝える。いま、言わなければならないことを、いま、言う」ジャーナリズムが要請されるのは、このためである。
このようにジャーナリズムは民主主義と権力との相関物であることを確認しておきたい。
ジャーナリズム活動の正当性は、したがって、国民がもともともっている「知る権利」の代行[具体化]にあるであるが、実際はマスメディア側の作為、判断ミス、ジャーナリズムの操作しようとする圧力もあり、かならずしもl国民の期待に沿うものであるとも限らない。
特にジャーナリズムを操作しようとする圧力は常に存在する。
それゆえ、ジャーナリストは、権力や資本や暴力などからなるすべての社会的勢力から自立し、みずからの良心のみにしたがって行動することが必要である。その前提条件は、ジャーナリズム組織の経営の独立である。新聞社の社主制度や「暮しの手帖」の無広告主義はその極端な事例だが、そういう条件があってはじめて、社会的強者が隠そうとしていることがらを白日のもとにさらすことも可能になる。
たとえば、「ワシントン・ポスト」が「ウォーターゲート事件」を追及できたのは経営上のバックアップがあったからである。この事件の調査中「ワシントン・ポスト」は、株の暴落や系列テレビ局の免許更新妨害などの迫害を受けた。経営陣のジャーナリズムヘの理解と実務的努力がなければ、あれだけの調査報道はなしえなかったといわれている。
ここで現代我が国のジャーナリズムについて考察しよう。
最初に、マスコミに捧げるカナリアの歌で現状を象徴的に言ってみよう。
使命を忘れたマスコミは 良識のそとにすてましょか♪
いえいえそれはなりませぬ♪
使命を忘れたマスコミは 希望のそとにすてましょか♪
いえいえそれはなりませぬ♪
使命を忘れたマスコミは 侮蔑のむちでぶちましょか♪
いえいえそれもなりませぬ♪
使命を忘れたマスコミは 堕落の船に エゴのかい♪
暗愚の海にうかべれば♪
忘れた使命を思いだす♪
我が国の現状は、テレビを見れば見るほどに、新聞を読めば読む程に一部の権力者の思うがままの情報に左右され、国民は本当のことを知る権利を奪われているばかりでなく、マインドコントロールされている状況である。
国民が置かれた知る権利の束縛の度合いは、先進諸国の中でも郡を抜いているも、国民はそれを知る術もなく、民主的とは言いながら、その実態は中国、北朝鮮と比較せざるを得ない程になっている。
我が国のメディアを通す情報は、その中から正しいもの価値あるものを見つけ出すのは困難になり、国民自身が自身の文化さえも解らなくなり、真実とか正義の観念さえ抱くことができなくなっている。
こうした風潮の背景、こうした風潮を造る元凶は政治の分野における記者クラブ制度であり、メディアを手中にしている巨大資本の政治への介入である。
具体的には広告市場の50%を所有する電通を通したメディア支配。
読売新聞社社主、渡辺恒雄の暗躍がある。
政治ニュースに関わらず、あらゆる分野で奇を衒い情報方の利益を生むためのメディアが蔓延っている事に何の疑念も湧かないようになっている。
その現況の、記者クラブ制についてまず紹介する。
記者クラブは、法人としての登記が為されていない私的な組織で、主に大手メディアが構成する。日本には約800の記者クラブがあり、中央省庁・国会・政党を初め、企業・業界団体、地方自治体の役場などに置かれている(詳細は記者クラブ一覧を参照)。ほとんどの記者クラブは専用の記者室を取材対象側から無償もしくは低額で割り当てられ、情報提供などを独占的に受けている。光熱費などの運営費も負担しないケースも多い。年間110億円、全国紙1社あたり数億円の負担を免れているという。。
記者はほとんどがクラブに常駐する。 加盟報道機関が複数当番制で「幹事」社となってクラブの運営にあたる事が多い。情報は情報源の広報担当から幹事社に伝えられ調整され、幹事が件名や発表日時などその報道に関する約束事を記者室の「ボード」(黒板)に書く。黒板に書かれた約束事は「黒板協定」「クラブ協定」「しばり(縛り)」などと呼ばれ、加盟社が順守するべき約束事とみなされ。欧米の記者発表で「エンバーゴ」と呼ばれる解禁日時付きの事前報道資料提供と同様である。
記者会見は、ほとんどがクラブ主催となっており、参加者も加盟社に限られ、仮に加盟社でない記者が参加できても質問は出来ないことが批判を受けていたが、最近は開放の動きが進んでいる。中央官庁の大臣会見は省庁が主催するケースも多いが、記者クラブ主催の方が、記者クラブ外からの参加に柔軟な場合もある。外務省などは広報対象が広範(海外メディアも含む)なため、もともと省が主催している。
省庁などの側は記者懇談会やぶら下がり取材、国会記者証(入館許可証)の交付などの対象を、記者クラブのメンバーに限って認めることが多い。
ただでさえ、政官癒着の強い我が国で、これだけで正しい報道をなされることなど期待できない。
もうひとつの制度的問題としてクロスオーナーショップ制がある。
メディアにおけるクロスオーナーシップとは、新聞社が放送業に資本参加するなど、特定資本が多数のメディアを傘下にして影響を及ぼすことをいう[1]。アメリカではこれを排除するため、1920年代にワシントン・ポストとデトロイト・ニュースが所有するラジオ局を別都市で入れ替えている。
「新聞資本」と「テレビ資本」を分離(クロスオーナーの禁止)することによって、国民にとって、より公正で中立な報道が可能となる。
今は新聞とテレビが完全に一体化しており(日テレ⇔読売新聞など)、系列化(在京キー局⇔地方テレビ局)している。これでは必ずしも言論の多様性が生まれない(クロスオーナーはマスゴミ内での言論統制が可能となりやすい)。
(クロスオーナーショップ制の現状)
読売新聞グループ本社 - 日本テレビホールディングス(22.82%を保有)および日本テレビ系列局
日本テレビはアール・エフ・ラジオ日本を45.26%所有
朝日新聞社 - テレビ朝日ホールディングス(24.7%を保有)およびテレビ朝日系列局
日本経済新聞社 - テレビ東京ホールディングス(33.3%を保有)およびテレビ東京系列局、日経ラジオ社(19.93%を保有)
フジ・メディア・ホールディングス - フジテレビジョン(100%を保有)および系列局、ニッポン放送(100%を保有)、産業経済新聞社(40.0%を保有)
東京放送ホールディングスはかつて毎日新聞社が大株主であり[7]、現在も役員を相互派遣している。
ここに読売新聞社社主、渡辺恒雄の影響が甚大なのである。
新聞協会会長として全てのメディアに影響力を持っている。
渡辺恒雄は右翼児玉誉士夫とも親交があり、電通と同じく旧関東軍系の人脈につながっている。
電通の前身は、戦前の満州鉄道調査部、里見機関配下の「満州国通信社」だったのです。つまり謀諜のプロ集団が本土に引き上げて創設されたのが電通なのです。電通はGHQに入り込み、その関係から(GHQ諜報局が母体となって創設された)同じ穴のムジナのCIAとの関係を深めて今日に至っているとみられています。
つまり電通は日本におけるCIAエージェントなのです。そのため「米国代理店」とヤユされているわけですが、米国は電通を通して日本のメディアを間接コントロールしている図式にもなるわけです。
また電通は山口組など暴力団と深い関係にあると言われており、電通はさらに自民党の公諜活動にも長年関わってきました(顕著な例は、小泉政権下の「やらせタウンミーティング」)。
現在の電通は、世界最大の広告代理店である。
連結売上高は2兆円を超える(2008年3月期決算による)。
国内2位の博報堂の売上高の約2倍、3位のADKの売上高の約4倍。
今は死んでいないが、電通のドン成田豊の略歴
大手広告代理店、電通グループの会長。
電通の最高顧問も務める。長年にわたり電通のトップに君臨したことから、電通の天皇とも呼ばれる。
1929年 - 京城府(現在の 大韓民国ソウル市)生まれ
その電通の社訓なるものが以下のとおり
鬼十則
4代目社長吉田秀雄により1951年(昭和26年)につくられた、電通社員の行動規範。来日したGE社長に英文版を贈ったとも言われる。
1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10. 摩擦を怖れるな、摩
戦略十訓
1970年代に電通PRが以下の戦略十訓を提唱した。 元のアイデアはヴァンス・パッカード著『浪費をつくり出す人々』(1960年)といわれる。
1. もっと使わせろ
2. 捨てさせろ
3. 無駄使いさせろ
4. 季節を忘れさせろ
5. 贈り物をさせろ
6. 組み合わせで買わせろ
7. きっかけを投じろ
8. 流行遅れにさせろ
9. 気安く買わせろ
10. 混乱をつくり出せ
こんな企業が我が国のメディアを牛耳りジャーナリズムを歪なものとしているのである。
自民党、官僚独裁による政治の闇も深いが、電通を中心とするメディアの腐敗の底も果てしなく深い。
我国のジャーナリズムは死んでいる。
死んで久しい。
このようなものを打ち破るには、命をかけた革命よりないのではないか。
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