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小沢一郎の理念「21世紀型主権国家」
http://4472752.at.webry.info/201408/article_1.html
2014/08/02 12:16 銅のはしご
戦争をなくするとは,どういうことか【7】
安倍総理は,国民が納得してはいない仁義なき安全保障政策を中南米に持ち込んで,国連での票を「金目」で釣ろうっていう魂胆なのでしょうか。
昨夜はブラジルのジルマ・ヴァナ・ルセフ大統領とお会いになったようです。フットボール世界大会後も彼の国の人びとは,その怒りはおさまらず,日本の極右・シンゾウ小父さまに,どういう眼差しを向けたことなのでしょう。
自民党に投票した皆さんにお聞きしたいです。
皆さんは,小沢一郎・生活の党代表のように,直球の世界観を論理的に発言する首相をほんとうは,待ち望んでいたのではありませんか?
何かを質問すればノラリクラリと意味不明な言葉を繰り出す政権には,もううんざりですよね。
ふつうの携帯電話を使用されている場合にはPDFファイルが閲覧できない場合もあるそうですので,今日も全文転載いたします。
小沢一郎代表の提言と小路田泰直教授のオピニオンです。
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生活の党 機関紙 第16号 2014.8
小沢一郎代表 巻頭提言
「自立と共生」をキーワードに 世界平和を実現する
21世紀型主権国家を目指す
安倍政権の本質は反歴史・反民主主義
憲法解釈を変えて集団的自衛権の行使容認を閣議決定した安倍首相は、「戦前回帰」とも思える、古くさい主権国家論に基づいた国家を目指しているように思えます。 戦前、日本は軍事力で五大強国と言われた時代がありました。 日本を再び軍事大国にして、国威を発揚し 世界に日本の存在を知らしめたいというのが安倍首相の考えだと思われます。 しかし、そうした考えは21世紀の国際社会では通用しない、 本当に間違った、いびつなものだと思います。
歴史を振り返ると 20世紀までの主権国家は自らの国益を強く主張し、常に勢力の拡大を念頭においてきました。 力と力のせめぎ合いを繰り返し、武力に訴えてでも国益を貫き通そうというもので、それが最終的には戦争という結末につながりました。 その最たるものが、近代における第一次世界大戦、そして第二次世界大戦です。
21世紀の世界は国連中心主義で
二度にわたる世界大戦は戦勝国にも敗戦国にも、かつてないほど桁外れの人的、物的損害を及ぼしました。 この無益な争いに終止符を打たなければならないという歴史的反省に立ち、新しい人類の歴史をつくっていこうという考えから生まれたのが国際連合です。 各国がそれぞれの主権と国益を前面に押し立て、その拡大を図っていく限り争いはなくなりません。 21世紀となった現在、自己主張するだけの旧来の主権国家観から脱却して、国際社会が協調して紛争や争いをなくしていかなければならないというのが国際連合の基本理念といえます。そして、その行き着く先は世界連邦という理想の姿です。
人類が目指す国際平和はまだまだ理想でしかないというのが現実ですが、国連中心主義を唱えると、第二次世界大戦の戦勝国を中心に構成されて いる国連に協力するのはどうかという議論が必ず起こります。また、「十分に機能していない国連に頼っても仕方がない」「国連にとらわれる必要はない」などという議論も常に出てきます。
しかし、現在、国連が十分に機能していないからといって、その議論に立って国家を語るならば、人類は再び、かつて辿ってきたのと同じ道を繰り返さなければならなくなります。
日本国憲法の精神は人類普遍のもの
日本は世界に類例のない憲法を持っています。 国民主権、基本的人権の尊重、そして平和主義と国際協調、日本国憲法の四大原則は まさに人類普遍の考え方であり、国連憲章とも整合性がとれて います。私はこの憲法を持つ日本だからこそ、他の国以上に世界の理想達成に向けて日本は努力していかなくてはならないと思っています。
そのためにも、あくまでも国連を中心として世界平和を守るという理念を堅持し、国連に積極的に協力すべきです。 日本は自らの意志で国連に加盟し、国連に協力することを国際的に表明しています。 世界に宣言したその言葉を、ただの空念仏に終わらせては いけません。
私は20年前から一貫して「自立と共生」という理念を主張してきました。 「自立」とは自分自身をきちんと認識することによって、他人を理解し、他人を認めることで、それが 「共生」へとつながっていきます。 21世紀の理想世界の実現を考えた時、日本がまず「自立と共生」という理念に基づいて国づくりを進め、その範を世界に示すことで、世界平和をリードする役割を果たしていくことができると思っています。
Opinion
立憲主義とは何か
奈良女子大学教授 小路田泰直
民意が変われば憲法は変えていい、憲法は民意に従うべきだと考える考え方が ある。憲法を改正するのに96条のような厳しすぎるハ ードルを設けることに批判的な人たちは、概ねそのように考える。違憲立法審査権は国会の立法権を越えるのである。しかしその考え方は、 民主主義的ではあっても、立憲主義的ではない。立憲主義とは、たとえ民意ではあっ ても法 (憲法) に反することはしてはならないとする考え方のことだからである。だから最高裁判所の違憲立法審査権は国会の立法権を越えるのである。
何と立憲主義とは非民主的なことか。 確かにそうである。だから民主主義の好きなフランス人は、ドイツ人の好きな立憲主義が、伝統的に嫌いである。長年にわたる独仏の対立の裡には、この民主主義か立憲主義かの対立があった。そして日本人は立憲主義を選んだ。だから戦前期日本人は英独を好み、仏米を嫌悪した。
そして立憲主義を選んだのにはそれなりの理由があった。法然や親鸞によっ て人の悟りが否定されて800年、日本人は話し合いによる政治の限界を感じ続けてきたからである。たちまちそれが内戦(civil war)に発展する、諸行無常の有様を、蓮如 (応仁の乱の時の人) の如き、悲しみの目をもって見続けてきたからである。 日本の民主主義は長くて、深い。この国の歴史の長さにつ いては拙著 『卑弥呼と天皇制』(洋泉社) を参照してほしい。予め定められたルールなき所、民主主義の成り立たないことを、日本人は身を以て体験してきた。 だから同様の内戦の歴史の中から立憲主義を築き上げた、イギリスやドイツに共感を覚えたのである。
憲法は変えられないといっているのではない。 明治維新のときのように、予め定められたルールとしての伝統=法の制作者、死者たち (過去の国民) を冥界から呼び出し、死者、生者、共の合意 (祭政 一 致) を装って新たな憲法 (大日本帝国憲法)をつくりあげたこともある。しかし歴史から受け取った憲法は、通常は変えないのが立憲主義の原則である。 日本国憲法も我々が歴史から受け取った憲法なのである。改憲は慎重に、である。
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