02. 2014年8月02日 15:44:21
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>いまの日本人にもっとも欠けているものは何かちゃんと現実を見ることかな http://toyokeizai.net/articles/-/43797 ネトウヨは、卒業することを知らない 湯浅誠×やまもといちろう リベラル対談(前編)
http://toyokeizai.net/articles/-/43798 2030年、老人も自治体も"尊厳死"しかない 湯浅誠×やまもといちろう リベラル対談(後編) 湯浅 誠:社会活動家2014年7月30日 今の日本は、保守化、右派の影響力が高まっている。その背景には、韓国、中国への感情悪化だけでなく、リベラル、左派の魅力のなさ、ストーリーのなさがあ る。今の日本のリベラルに、欠けているものは何か、どうすれば国民の心をつかむことができるのか。社会活動家として最前線で戦ってきた湯浅誠氏が、論客と の対談を通じて、「真のリベラル」の姿を探る。3人目の今回は、「純粋なる保守主義者」であり、ネット上の最強の論客として知られる、やまもといちろう氏 との異色対談。その後編。 湯浅誠氏(左)とやまもといちろう氏 前編はこちら 2030年のディストピア やまもと:私ずっと、湯浅さんに聞きたいことがひとつあって。 湯浅:はい。 やまもと:たぶんわれわれは2030年ぐらいまでに、ディストピア(反理想郷)を経験すると思います。それこそ300万人以上出てくるであろう独居老人とか、400万人近くいるであろう認知症患者とか、彼等を一人一人救済していけないじゃないですか。 湯浅:ええ。 やまもと:地域も政府も支えられないから、凄まじい数の「こんなはずじゃなかった」という人たちが出てくると思います。そうなったとき我々は何ができるのでしょうか。私、日本に生きる納税者として、けっこう悩んでるんですよ。 今はまだ本当の意味での貧困は25万人から40万人ぐらいですけど、それ以外に生活保護を受けて暮らしている人が200万人ちょっといる。それが2030年ごろにおそらく3〜4倍になるわけですよ。 湯浅:本当の貧困が25万人から40万人というのは、どういう人のことですか? やまもと:まったく暮らせない人。もう明日の金がない人。生活保護手帳を持ってるけど、法的サービスだけでは難しいので、家族や地域、地縁から援助してもらって、どうにか暮らしてる人たち。僕らの見えてる範囲内に、それくらいいるんじゃないかという推計を出したことがあるんですが、彼らはもう、どうしようもないんですよ。 湯浅:どうしたらいいか。そうですね…。少なくともそうなることは、私たちには1990年代からわかっていました。 だからもうちょっと現実を直視しようと、この20年間言い続けてきた。その結果よくわかったのは、人間にとって最も難しいことは、現実を直視することだということ。だからもう直前になってから、「こんなはずじゃなかった」と騒ぎ出すしかないと思います。 やまもと:そうなの?(笑)。 湯浅:だって今やまもとさんがおっしゃったことを、私たちもずっと言ってきたわけです。でも「とりあえず俺食えてるし、いいじゃん」という感じなんですよ。だからみんなの盛り上がりがつくれなくて、解決が進まない。だからできる範囲で手をつけていくしかない。1人が1人を助けるだけでも、100万人の人がやれば100万人でしょう。1000万人の人がやれば1000万人でしょう。 生産しない人のケアを厚くすると社会全体に悪影響 やまもと:でも仮に100万人が100万人の老人を支援しますという話になったとしても、その助けられた老人はいずれ死ぬでしょう。死ぬ人は生産しないでしょう。生産しない人に対するケアを厚くすればするほど、社会全体の競争力が失われていきますよね。
湯浅:死ぬ人のケアを通じて、その人のお金が流れていく仕組みや、介護や援助行為自体に経済的付加価値を生み出していけばいいんでしょう? やまもと:具合の悪い人が全員、介護されるに見合うお金があればその通りですが、実際にはまったくそんなことはありません。どこかで公的支援の枠組みに乗っかるしかない。それに、いずれ死ぬ人のお金をあてにした産業をいくら育成しても、それは国富を生みだすんですか、という議論なんですよ。老人が蓄えた金を介護サービスに回そうといったところで、なかなか成長には繋がらない。文字通り、マイナスサムですから。 このままではおそらく財政的な危機が先に訪れるはずです。最初にシワ寄せがいくのは、生活保護を受けている人たち。そうなると結構本気で餓死者とか、独居老人の孤独死とか、医療ケアを打ち切られた人などが発生するでしょう。そこでこの社会をどうすればいいのか。ちゃんと考えられているようで、実はそこまでの青写真はないんです。 湯浅:やまもとさんの関心に答えることになるかどうかわかりませんが、私はずっと「ソーシャル・インクルージョン(全員参加型社会)」ということを言ってきています。 国に頼るのは限界があるから、地域やコミュニティーなどで支え合う仕組みに、みんなで参加していく。たとえば団塊の世代の退職者が年200万人出るなら、この200万人の人たちに動いてもらうように働きかけていくことが、我々のできることだと思います。 その200万人のうちの1%でも本気になって動いてくれれば、餓死者が仮に2万人出るところを2000人はなんとか防げるだろうし、徘徊するお年寄り2万人が2000人減るかもしれない。あるいはそれ以上増やさないことができるかもしれない。そういうふうにしていくしかないのではないでしょうか。 やまもと:僕は湯浅さんみたいな人が20万人いたら、いろんなことが解決すると思いますよ。でも私はウェブに毒されすぎてるのかもしれないけど、人間、そんな善意に動いてねえな、という気持ちもあったりするわけですよ。どこにインセンティブを置くか、目標はどうするのか、といったところでなかなか国民のコンセンサスは取れない。 湯浅:もちろん。だけど団塊の世代は65歳過ぎて、厚生年金を月25万円くらいもらっている。時間はあるけれどゴルフと海外旅行しかやることがないという人が、週1回ぐらい人の役に立つことをしたいと思っても不思議じゃないですよ。 やまもと:でも、いざ活動するとき、どんなことをするにしても、こちらがオーガナイズ(組織化)しなきゃいけないですよね。その方法を教える人も、PTAや町内会の役員と一緒で成り手がいない。 意識の高い人たちもいる 湯浅:そこは住民に働きかけたり募集したりして、10人、20人の活動単位をつくっていくしかない。
今、いろいろなところで「コミュニティービジネス」ということをしているのですが、「自分でNPOをつくる人になろう」というような3カ月の研修コースに、定年退職後のおじさんたちがたくさん集まっていますよ。 やまもと:でも実際の話、10人ぐらいのグループだって、それ相応のマネージメントが必要でしょう。それができずに赤字になっているところが多い。手弁当でもいいからやりたいと意気込んだところで、続けられなくて擦り切れるように辞めていく人がたくさん出てくる。 それに能力や参画意欲をどうやって醸成していくかということも、いろんな試みがあったけれど、これだというモデルケースがまだ見えていない。 湯浅:そうですね。それは私たちの責任ですね。 やまもと:たとえば湯浅さん、今ボランティアを何人使って活動されていますか? 湯浅:プロジェクトによって全然違います。例えば、今やってるひとつのプロジェクトに関わっているのは、10人ぐらいですかね。 やまもと:なるほど。そういう人が全国津々浦々にいなきゃいけないわけです。例えば、だいたいリーダー1人が10人のボランティアをマネージするとして、300万人のボランティアの活動を運営するには30万人のリーダーがいる。その30万人のリーダーを地域で収容する10人のグループが3万グループ必要です。 そうなったとき、10人の所帯を束ねる3万人を養成してグループを全国で立ち上げるのは大変ですよ。会社で人を使った経験がある方はたくさんいるでしょうけど、社会起業はビジネスよりもっとしんどいですから。 湯浅:私もそう思っています。 やまもと:ようやく今、社会活動をする人たちの育成講座が始まったけれど、間に合わないんじゃないかと。 湯浅:間に合わない可能性はあると思います。でもそれ以外やりようがないですね。それがいわゆるコミュニティーづくりの問題だと思っています。 おっしゃったように、仕事を離れて自分でコミュニティーをつくったことのある人は日本にほとんどいない。でも海外の諸外国には長い伝統があるでしょう。また日本の中にも、試行錯誤しながらノウハウを蓄積してきた人たちがいないわけではない。 被災地の高台から移転するかしないかという話や、いろんな集落の人が混在している仮設住宅の中でどうやって自治会つくるのかという話も、結局すべて、コミュニティーづくりを誰がどうやればいいのかという問題に行き着きます。 やまもと:そうですね。 湯浅:地域コミュニティーは会社と違って採用試験もないし、どんな人でもリストラできない。つまり普通の会社より多様性がはるかに高い。それをマネージするのは会社運営よりずっと大変ですよ。 でもそれを続けている人たちがいます。もちろん何百万人はいませんよ。だけど現に存在していて、その人たちのネットワークもある。こういう流れは、少なくとも私が見てきた20年の中では、現在が一番高まっています。間に合うのかと言われると、それは私だってわからないけれど。 東京23区も急速に高齢化が進む やまもと:なんとかして、一気にブレークスルーする方法はないですかね。今はこれしかできないから、できることをやるというのももっともだし、粛々とやっていく必要があります。ただこのままいけば確実に破綻してしまう。
このあと何が起きるかというと、ご存知でしょうが都市部の高齢化です。東京だって、23区あたりですら、櫛の歯が抜けるように住人がいなくなって、残った高齢者をカバーするコミュニティーがあまりない。さほど地縁も血縁もない中で暮らしてきた人たちが高齢化して、引っ越したくても引っ越すカネもなければお手伝いもいない状態になっている。 彼らがいまからコミュニティーをつくりだせるかといったらなかなかできないし、比較的元気な人たちにコミュニティーのための社会活動をしてくださいといっても、老朽化した分譲マンションのエレベーターなし4階建て集合住宅の最上階に住んでいる独居老人の世話は、同じ老人にはムリですよ。だとすれば、若い人を投入しないといけない。 湯浅:先にそういう状況に直面していたのが、東京の山谷とか、大阪の釜ケ崎ですね。釜ケ崎などでのコミュニティーづくりの歴史は長いです。単身高齢者の町ですから、若い学生ボランティアを呼び込んでみたり、子どもたちが夜回りしてみたり、自分たちで起業みたいなことをしたり、いろんなことをやる中で、なんとかあのレベルで押し止まっているわけです。 やまもと:でもあれは、ちょっと言い方悪いですけど、まだ社会に余裕があったから、ヤバい地域に手を回して、手伝える人やカネを補給できた。今後はそれがなくなっていくと思いますよ。 湯浅:そこまで極端じゃないでしょう。今は出生率1.3〜1.4だから、人口は急速に減っていきますが、いきなりゼロになるわけではない。 だからそこに住む人たちも含めてやっていくしかない。多くの人はいままで地域貢献的なことに未参加だったけれど、今後は専業主婦や高齢者などが参加することで、人を増やしていく必要がある。要するに分母が減るんだから、分子のほうを増やして、活動する人の割合を高めないといけない。それが全員参加型というスローガンになっています。 そういうふうにやっていくことでバラ色の未来が描けるわけでなくても、リアルに考えれば考えるほど、もしそれ以外のやり方があったら教えてくださいということです。 やまもと:富山市や札幌市、神戸市などでやったコンパクトシティーの事象研究は、いろいろとまずいところもあるけど一応それなりの成果を上げています。要は保障すべき地域を縮小するわけです。 もちろん全員がいきなりいなくなるわけじゃないけど、これからは人口密度が薄くなっていく。でも地域ごとに必要な行政サービスはほとんど同じでしょう。 だから人の少ない地域の住民にはそこから撤収してもらい、人の多い地域に呼び寄せるようにして、人口密度を上げる。公共サービスを行き渡らせる範囲を狭めることによって、行政コストを下げるというのはそれなりに画期的な知見だと思います。これがどうなるかは興味がありますね。 湯浅:うーん。私はコンパクトシティーについては、本当にそれ以外にないのかなと思っているのが正直なところです。離れた地域でも行き来できる交通を保証することで、集約しなくても町の機能を維持することはできないものですか。 やまもと:上下水のメンテナンスや、緊急医療の問題もありますからね。特に救急医療に関してはエリアを絞りたいという意見が昔からあります。 湯浅: 10年、20年先の維持管理のことも考えて、そういう結論になるということですね。 やまもと:地方型過疎の対策として、被害を最小限にくいとどめる知見だともいえます。言い方は悪いですが、ダム建設のために村落を埋めたのに近い。公共のために、人口密度が薄すぎてサービスが行き届かないところの住民には理解を得て集約させてもらうほかなくなる。 東京もびっくりするほど早く衰退していきますよ。 湯浅:捨てなきゃいけない地域があるというとき、私が気になるのは、だからといって人を強制移住はさせられないだろうということです。 やまもと:難しいですね。 湯浅:上水道がなくても自分たちは井戸でやっていくという選択をするのか、あきらめて駅の近くに住むのか。その決断にともなう納得感が大事ですね。
その納得感は、自分が参画することによってしか得られないだろうと思っています。どういう選択をするにしろ、誰かに押し付けられたものじゃなくて、自分も関わって、こういう結論になったということだけが、その人たちを動かすと思う。納得できるかどうかは、さきほどのコミュニティーづくりとか、人と人との関係づくりの力量にかかってくるでしょう。 結局、今私が話しているのは、コンパクトシティーなどの政策や制度の話じゃないんです。それはたとえば尊厳死の問題も同じ。医者がマニュアルにのっとったインフォームド・コンセントを行えば患者の文句は抑えられるかもしれないけれど、それだけでは解決できないものがある。 老人も自治体も尊厳死させないとどうしようもない やまもと:もっと根本的な話ですね。確かに納得して引き払いたいという希望は叶えてあげたい。ただ、お金の無い老人はこれ以上社会に負担を回せないので尊厳死をさせないと社会保障が回らない時代がすぐ近くまで見えてきて、それは同様に自治体も尊厳死させないとどうしようもないという状況になるのは目に見えています。 辛いことだけど、衰退を受け止めるというのは「何が良いか」と選択することじゃなくて「何をしないか」「何を捨てるか」というマイナスの判断を迫られるということなんですよ。そこに、どうやって主義や哲学を織り込んでいくのかはとても重要です。 湯浅:はい。政策や制度に(魂)を込めるようなことが、コミュニティーづくりには必要だと思っています。それがないと、捨てざるを得ない地域が出るといっても、現実には捨てられないでしょう? そうなれば結果的に中途半端に終わって、そのことにまた苛立つ人が出てきて、堂々巡りですよ。 やまもと:そうですね。ただ、いざとなったら現実は厳しく捨てにかかると思いますよ。そこでリーダーシップが必要だという話になる。政府は何をもって国民と対話するのかという議論になると思います。 湯浅:私は政府だけの責任だとは思わないんですよね。私たち自身が、対話する文化を社会のメインストリームにすることができなかった。本当に大事なことだし、積み重ねていかなければいけないことなんだけれど、そういうふうには評価してこなかった。 それは世界的には、各国みんながやってきたことですよ。オバマはコミュニティー・オーガナイザーの経験があるし、アジアに行けばコミュニティー・オーガナイズのワークショップが日常的に行なわれている。それが普通の光景としてある。でも日本の社会の中に、そういう光景をつくってこれなかった。そういう意味で私たちの責任です。 そうだ、ネトウヨの人たちもコミュニティーに入ってくれたらいいと思うんですが。地域の役に立つことで、プライドも取り戻せる。コミュニティー・オーガナイザーになってくれるよう、説得できないもんですかね? 日本人であることへの愛を、いいかたちで生かせないものですかね? パトリオティズムへ置き換えられるか やまもと:ほかにやることが見つかればいいわけだから、可能性はあるかもしれませんね。でもなんだか、1回の失敗でみんな萎えそうな気がする(笑)。 湯浅:でもナショナリズム(国家主義)をパトリオティズム(愛国主義)に置き換えればいいだけですよ。 やまもと:まぁねぇ。 湯浅: コミュニティーに参加するのはカッコいいことだと、そういう風にしないと動かないですよね やまもと:そうですね。確かに。ただ、コミュニケーションに問題があったからネットに張り付いている人たちも多数いる中で、どこまでカッコ良さで引っ張れるかな(笑)。そういう地域の仕事で喰っていけなかったら、社会が必要だといっても結局誰もやりたがらないし。 湯浅:我々はそれをカッコいいと思わせるという点については、ほとんど考えてこなかったのです。それは大きな反省です。最近でこそ社会起業家はカッコいいというイメージが少しだけ出てきましたけど、まだまだですね。だからそういう波をつくっていかなくちゃいけない。 今回、やまもとさんが、こういうことに非常に興味を持っているということは、多くの人にとって衝撃だと思いますよ。またやりましょう。 やまもと:そうですね。話足りなかったです。 (構成:長山清子、撮影:今井康一) |