http://www.asyura2.com/14/senkyo169/msg/189.html
Tweet |
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2014/07/post-d2b2.html
2014年7月27日
米国にはエクソン・フロリオ条項という外資防衛システムがあるが日本はそれを持たない。この決定的な事実が日米関係の最大の問題であることに、当の日本人が気付いていない。
戦後の日米経済史では、1960年ごろから日米貿易摩擦に端を発した通商問題が生じ、1970年代ごろには日米双方が怒鳴り合って互いを主張していた。
日米双方が外交における貿易摩擦で表面上では火花を散らしていた時代、日本経済はまだ右肩上がりで勢いがあった。そのために石油ショックやプラザ合意などの難関も切り抜けて経済成長は続いていた。
京都大学大学院教授の藤井聡氏の著書『維新・改革の正体』によれば、我々はある勘違いしているところがあり、それは1991年のバブル崩壊によって日本の経済成長は止まったかのように思われていることだ。
ところが藤井氏によれば、それは勘違いであり、GDPの推移をみると実際は1990年代中盤までの日本は経済成長を遂げていたとある。
重要なことはここからである。
日本が90年代中盤から成長できなくなった理由として、一般には下記のような理由が考えられている。
一、 日本が先進国で成熟期に突入したから
二、 少子高齢化のせい
三、 バブル崩壊のせい
これらは経済成長が頭打ちになった理由を日本人が漠然と思っていることだが、藤井氏によれば全く見当外れであるという。では何が日本経済の成長を止めたのかと言えば、それは本格的な“改革”のせいだという。
このとらえ方には大きくうなづけるところがあって、日本経済は1994年から始まった「年次改革要望書」の内政干渉的な圧力が強まったことに呼応して脆弱化している。つまり日本はアメリカの言うことにしたがって、規制緩和を進めれば進めるほど経済が奈落の底に落ち込んでしまうのである。
内需とは国内における投資や消費の総量を言うが、1991年のバブル崩壊によって日本はこの内需が相当なダメージを受けていた。内需がシュリンクするというダメージの中にあって、1997年には税制改革の一環として消費税がアップされた。
藤井氏によれば、この年から政府は公共投資を大幅に削減し始め、これと消費税ショックがあいまって、日本経済は離陸できなくなってしまったという。経済回復に向かって助走する余力がなくなってしまったのである。
さらにこの時期には日本経済に毒を盛るようなよくない事態が発生していた。それは金融ビッグバンであり、この動きが金融世界だけではなく、あらゆる分野の規制緩和に波及したために、国内の労働環境や生産環境は根底から脆弱化した。
金融ビッグバンは、フリー(規制緩和)、フェア―(透明化)、グローバル(国際競争力)という華やかな花火を打ち上げ、国民の歓迎ムードの中で始った規制緩和の嵐だったが、これが日本経済を滅多打ちにして弱らせてしまった。
何度も言っているが、新自由主義による政策は、悪質な偽装が必ず付帯していると考えていい。
この金融ビッグバンで叫ばれた「フリー、フェアー、グローバル」の掛け声も、小泉政権が行った新自由主義への呼び水であり、悪質な国政偽装だったのである。
さらに悪いことに、この当時、橋本政権は省庁再編を始めていて、たとえば通商産業省は2001年に経済産業省になっている。この省庁再編の動きが、それまでに日本がコツコツと築いていきた日本のマクロ経済システムの強靭性を打ち砕き、高度経済成長期以来の盤石な安定性を切り崩した。
この省庁再編の時期(1998年、平成10年)に起きたノーパンしゃぶしゃぶ事件は、大蔵省や日銀などの有力な対米抵抗勢力をアメリカが完全に潰してしまった象徴的事件でもあった。それは同時に日本のマクロ経済の屋台骨を破壊する出来事でもあった。
国民は90年代中盤から日本経済に深刻なダメージを与える出来事が立て続けに起きていたにもかかわらず、そのことを全く自覚せずに、小泉政権という確信犯的な日本潰しの政権を喜んで歓迎している。
つまり、90年代中盤から小泉政権までの日本経済は、規制緩和、消費税アップ、公共投資削減、省庁の大編成によってガタガタに傷ついていたのである。そこへきて、小泉純一郎と竹中平蔵がアメリカ通商代表部(USTR)の内政干渉指令に基づいて年次改革要望書を“構造改革路線”という政策名で実行してしまったのである。
こういう経過にあって、日本はアメリカの圧力に屈し、大店法改正や派遣法改正などの悪法も目白押しした結果、日本経済は根底から重い病気にかかってしまった。日本経済の変遷を最も端的に物語っている事象はシャッター通りの現出であった。
駅前を中心としてスプロール的に発展していた日本型の市街構造は大店法改正によって、アメリカ型の郊外型モータリーゼーション型に変貌し、日本型の秩序を構成していた市街経済は崩壊した。
同時に日本の重要な郷土資産であった里山が軒並み崩壊し、無残な大型店の林立にとって代わった。日本には日本特有の経済発展史があり、それは日本の市街構造と一致していたが、それを改革という名のアメリカ型社会システムに強引に切り替えたために国民経済は疲弊し、代わりに大資本の独壇場のようになってしまった。
1990年代中盤から、日本経済は以上のように構造的に深刻なダメージが続いていたが、その底流には常に規制緩和の大きな流れがあった。
2006年、小泉政権が終焉したころに、国民は小泉構造改革が一部の企業を潤すことはあっても、国民生活には決定的なダメージをもたらしてしまったのではないのかという強い疑念を持ってしまった。
これに対し、竹中平蔵は「国民生活がよくならないと感じているならば、それは構造改革がまだ不足しているからだ」という意味のことを何度も言っている。つまり竹中は、国民生活が疲弊しているのは改革が不十分なのであり、よりいっそうの規制緩和を推し進めることが肝要だと言っていたのである。彼は今も同じことを言っている。
1990年代以降の日本の推移を冷静に眺めてみれば、規制緩和を主軸とした行政改革と、消費税増税のような税制改革が日本経済を深刻に痛めつけていたことが分かってくる。いわゆる政府が唱える行政改革や税制改革とは、アメリカ型の弱肉強食システムに日本の構造を切り替える手段であることが分かる。
改革という美名にごまかされて政府の政策を黙視した結果が、今日の米国による惨憺たる搾取経済を招いてしまったのである。
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK169掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。