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関西電力と芦原氏・内藤氏の歩み
(原発利権を追う)金を渡すと角さんは「頂いたよ」
http://www.asahi.com/articles/ASG7N029RG7MUUPI00D.html
2014年7月28日03時50分 朝日新聞
■関電の裏面史、内藤千百里・元副社長の独白
《関西電力社長・会長を歴任した芦原義重の政治担当秘書を務めた内藤千百里は、田中角栄秘書だった佐藤昭子と長い友人だ。田中の首相在任中の1972〜74年に政治献金を持参した場面から、内藤の告白は始まる》
芦原さんが角さんの事務所で1千万円を渡すと、角さんは「おーい。頂いたよ」と昭さんに伝える。昭さんは「そうですかー」と受け取りに来る。1千万円は紙袋や風呂敷で持っていく。大した重さではなかったね。私が昭さんに電話で「行きますよー」と言えば、「いらっしゃーい」と面会を入れてくれた。
芦原さんが直接、総理や党の実力者に渡す資金がありますねん。会社のトップクラスのみ知っている。総理には盆暮れに各1千万円ずつ計2千万円。総理を辞めた後にも同額を渡した人はいた。辞めたからといって800万円に下げるわけにはいかんでしょ。
《盆暮れに政治家に現金を届けるのが芦原と内藤の「務め」だった。電力各社は74年に政治家への献金をやめると宣言したが、関電はひそかに続けたという》
官房長官、自民党幹事長、政調会長ら実力者と野党幹部には1回200万〜700万円。年間総額は数億円になると思う。私が政治家の実績を伝えると、芦原さんが金額をパパッと決めた。芦原さんと一緒に運んだのは年間14、15人はおるでしょうな。他の役員が運んだ分もあった。
芦原さんと新幹線で大阪から行き、東京駅に専用車が迎えに来た。私が秘書に面会の約束をとり、政治家の事務所や自宅へ向かう。総理の場合、人目につかない早朝に自宅を訪ねることが多かった。前の晩に芦原さんと東京へ入り、皇居近くの定宿に泊まる。現金は私が枕元に置いて寝た。
《内藤はいま91歳。政界とのかかわりは62年に社長秘書になってからだ。以来25年間、電力業界を代表する政治担当と呼ばれた。福島原発事故とその後の混迷を見て、自らの歩みを実名で語る決心をした。69時間にわたる独白は、戦後電力史の裏側を浮き彫りにするものだ》
(敬称略)
■原発事故機に心境変化、後世へ証言
関電元副社長の内藤千百里氏は、政治献金について「関電のみならず関西財界を東京と同じ地位までレベルアップする」ことを目的とし、芦原義重元会長はその結果、「総理大臣と一対一でいつでも話し合える関係になった」と証言した。
これまで政界工作を明かすことはなかった。政界、官界、電力業界のつきあいは「天下国家のため」と思い、原発に疑いを抱いたこともなかった。今でも芦原氏と自分が果たした役割への自負はあるという。
芦原・内藤両氏は1987年に経営を私物化していると批判され、取締役を解任された。内藤氏は東京電力福島第一原発の事故を機に心境が変化したという。「なぜ今も汚染水をコントロールできないのか。地質調査をしたはずなのになぜ地下水の影響が大きい場所に原発を建てたのか」
「政府の監督の甘さがあった。長年築いてきた三者の関係に問題があった」とも感じ、自らの足跡をたどって戦後の政官電の関係を再考したいと思った。13年に90歳になったことも「実名告白」の背中を押したという。「死を意識するほど自分の歩んで来た道を思い出した。今まで口を割らなかったことを話す気持ちになった時に記者が来た。後世に役立つと思った」
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