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2014年07月22日
安倍晋三のドヤ顔が、一瞬で凍りつき、真っ青になり、次に間抜けな赤鬼形相に変わるような法解釈論が出てきた。内閣法制局の最高難度法技法は、法制懇、安倍官邸、大臣各位を罠に嵌めたのか、と云う議論がビデオニュースドットコムのニュース・コメンタリーで論じられた。法解釈なので、一般の人々には極めて判りにくい議論である。法解釈なので、一概に、ここで起きている議論イコール正解と云うものではないが、少なくとも、安倍晋三がドヤ顔とキレ顔で、僅かに覚えた集団的自衛権に関する法律ロジック以外、何ひとつ口に出さなかった、乗り切りテクニックが、実は仇になった面が炙りだされた議論であり、面白かった。
最後は公明党北側と法制局の間で、ぎりぎり公明党が閣議決定にサインの出来る解釈可能な法解釈で行われる「当てはめ」で乗り切った。まさに、法制局が安倍内閣等々を騙したわけだが、以下のまとめでも書いているように、騙された解釈を、政権も野党も騙されたとは知らず、その寸劇を垂れ流すマスメディアも、読み解く国民も、全員が確信犯的な対応をしてしまえば、憲法上のバックボーンなしに、既成事実(含む各法律の成立)が重なれば、それを今さら覆せない、という点では、集団的自衛権は行使されて行くだろう。
この閣議決定に実効性を持たせる法案審議は、来春統一地方選以降に一括審議されるようなので、1年近くの間、国民の見えない場所で、闇の審議が行われるのは確実だ。法解釈の取材記事など、記者クラブ垂れ流し報道に入り浸っている“マスマスウソゴミ”に出来るはずもなく、情報の開示がゼロ状態で、事は粛々と進む懸念が大きい。その頃までに、安倍内閣支持率が30%台になっていれば、すんなり一括法が通過しない僥倖もあるだろうが、国の運命を、僥倖に待つのは、かなり邪道だ。やはり、今後は、安倍内閣の集団的自衛権行使容認閣議決定は、「看板に偽りあり!個別的自衛権の事例を追加しただけだ」と書き立て、安倍晋三の心を揺さぶる方が選択肢として正しいと思われる。
ただ、怖い推論も成り立つ。安倍晋三が、個別に隷米外務官僚OBや法制懇の面々をお白洲に呼び出し、糾弾し、そうであれば内閣法制局の罠を逆手に取り、錯誤のままに、関連法の法案の中に、思う存分に集団的自衛権の行使に見合う内容を盛り込もうとするかもしれない。来年の今頃は、手負いの獅子になっているのは確実で、いっそ一発かまして、罠にかけた官僚やマスメディアの度肝を抜いてやろうと、ヤケクソになるリスクも残されている。まあ、株価が落ちるか、内閣支持率が落ちるか、早々にご退場願う環境が出来上がれば良いのだが、これだけは運を天に任せるしかなさそうだ。今の永田町に、何かを望むのは、無駄骨の典型だ。
≪ 国会質問で見えてきた集団的自衛権論争の核心部分
政府が「集団的自衛権」と呼んでいるものは何のことはない、実は個別的自衛権のことだった。
安倍政権が7月1日に集団的自衛権の容認を閣議決定したことを受けて、7月の14、15の両日、衆参両院で集中審議が行われたが、両日の国会審議を通じ て、今回政府が行った「解釈改憲」というものは、実際はわれわれが考えてきた「憲法解釈の変更」や「集団的自衛権の容認」とはまったく異なるものだったこ とが浮き彫りになった。
憲法学者の木村草太首都大学東京教授は、この国会審議で政府が今回行った集団的自衛権の容認は、実はこれまでの憲法解釈を変更し、これまでは足を踏み入れることが認められていなかった「集団的自衛権」の領域に足を踏み入れるものではないことが明らかになったと指摘する。
閣議決定で「集団的自衛権」と呼んでいるものは、実際は個別的自衛権と集団的自衛権が重複する領域にある事象で、今回政府はそれを必死になって探し出し、それを集めたものを無理矢理「集団的自衛権」と呼んでいるだけであって、実際はこれまでの個別的自衛権の範囲を一切超えるものではないと木村氏は言うのだ。
それが明確に答弁として木村氏があげるのが、15日の参議院予算委員会集中審議における福山哲郎参院議員と横畠裕介内閣法制局長官のやりとりだったという。
そこでは「政府が憲法解釈を変更するのは戦後2度目のことか」と問い質す福山議員に対し、横畠長官は「法令の解釈は当てはめの問題だが、その意味で「変更があったのか?」ということならば、一部変更したということ」と回答している。木村氏はこれを「横畠長官の職人技の光るもの」だったと評価する。
これは法律学者に向けた発言だったと断りをした上で、木村氏は横畠長官の答弁をこう解説する。
横畠長官が「当てはめの問題」としたものは、つまり今回政府が「集団的自衛権を行使できる事例」として出してきたものはいずれも、集団的自衛権と見ることもできるが従来の個別的自衛権の枠内で武力行使が可能な事例と見ることもできるものばかりだ。つまり、個別的自衛権と集団的自衛権が重複する部分にある事例ということになる。それを従来の個別的自衛権の範疇にあるものと見るか集団的自衛権に入るものと見るかは単なる「当てはめ」の問題に過ぎないというのが、横畠氏の答弁の趣旨だったと木村氏は言う。
それをあえて集団的自衛権側に「当てはめ」るのであれば、これを「2度目の憲法解釈の変更」と言って言えないことはないが、それはどっちでもいいこと、というのが横畠長官の発言の趣旨であり、それを法律家に向けて半ば隠語的な意味で発信していたのだと自身が法律家である木村氏は指摘する。
そういえば、あの時横畠長官はこれが戦後2度目の解釈改憲であることを認めるという重大な答弁をしていながら、なぜかその表情には薄笑いが浮かんで見えた。違和感を持った人もいたかもしれないが、そこにそういう含意があったとすれば妙に納得がいくのも事実だ。
木村氏はこれまで政府が「個別的自衛権」として容認してきたものの中に、集団的自衛権と重複する部分、つまり個別的自衛権の範疇だと言うこともできる し、集団的自衛権の枠内に当てはめることもできる事象は少なからずあったことから、今回の8事象の容認というのも、実際には過去の重複部分の容認と変わるものではないと指摘する。
そもそも自民党と連立を組む公明党は集団的自衛権を行使するためにはあくまで憲法改正が必要になるとの立場を崩していない。その公明党が今回の政府案を容認した背景には、公明党にとってはこれが個別的自衛権の範疇を出るものではないと解釈することが可能なものだったからに他ならない。しかし、理由は定かではないが、安倍政権、いや特に安倍首相自身がどうしても「集団的自衛権の行使が可能になった」と言いたがっている。ならば、「当てはめ」次第でそう強弁しても嘘にはならない事例を、内閣法制局と公明党が合作したというのが、今回のいわゆる「集団的自衛権の容認」劇の核心だったということになる。
確かに法律家の目から見るとそれが真実なのかもしれない。しかし、両日の安倍首相や岸田外相の答弁を見る限り、政治家の多くはあの場で横畠氏と世の法律家の間で交わされた暗号通信の意味を正確に理解していないことは明らかだ。
恐らくそれは質問をしていた岡田克也議員や福山哲郎議員についても言えることだろう。だとすると、いくら官僚や法律家が法律の専門的な知識を駆使して、実際は解釈改憲とは言えないような代物を作っておきながら、解釈改憲と言いたくてしょうがない政治家には「解釈改憲をしたと言っても差し支えはありませんよ」と甘言するような二重構図は非常に危険と言わねばならない。
なぜならば、最後に法律を作るのは国会であり政治家だ。そしてそれを行使するのも政治家がトップを務める内閣だし、トップレベルで外交を行うのも政治家だ。実際に安倍首相や岸田外相らは、自分たちの勝手な理解に基づく集団的自衛権容認論を海外で大っぴらに喧伝し始めている。内閣法制局と公明党幹部の間の阿吽の呼吸などというものが、外国政府との外交交渉の場で通用するとはとても思えない。
官僚が悪知恵とも呼べるような手法で、政治家の要求と法律との整合性を保てるような玉虫色の解を出して、とりあえずはその場を収めることができたとしても、その効力はせいぜい霞ヶ関から半径1キロの範囲程度にしか及ばな いだろう。そして、何よりもまず、主権者である国民がそのような法律家たちの解釈を共有できていなければ、何の意味もない。
やはり課題となるのは今回の「疑惑の解釈改憲」に基づいて、実際の法律の整備が行われる時だろう。もし今回の閣議決定が横畠長官が答弁したようなものだとすれば、新しく整備される法律は個別的自衛権の範疇をはみ出すものは一切できないということになる。そのような法律家の認識を前提として法案審議が行われるか、現時点では内閣法制局官僚の手の平の上で踊ったような形になっている政治家が主導権を握り、自分たちの理解する閣議決定の解釈に則った法律を作ってしまうか。そして、それをメディアやわれわれ国民が許すのか。今、それが問われている。
ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、集団的自衛権容認の核心とは何だったのか、何か今後の課題となるかなどを気鋭の憲法学者木村氏と議論した。 ≫(ビデオニュースドットコム:ニュース・コメンタリー神保哲生・宮台真司・ ゲスト木村草太氏(首都大学東京都市教養学部准教授)
最後に、イスラエルの狂気が止まる事を知らない。20人にも満たないイスラエルの犠牲者に対し、500人以上の女子供老人を殺戮する、イスラエルと云う国家を、イスラエルには自衛の権利がある、と口を開けば語りだす木偶の棒として名高いケリー国務長官は、ウクライナ、マレーシア航空機撃墜事件に関しては、口を開くたびに、「ロシア関与の証拠は掃いて捨てるほどある」と喚き散らし、アメリカの支配の及ぶ西側諸国の外務省を通じ、高圧的プロパガンダに徹している。日本のマスマスウソゴミの報道も、日々エスカレート、ヒステリック状態でロシア非難の合唱会を開いている。イラク戦争もパウエル国務長官の演説でも、証拠はごまんとあると言っていた。皆さんは、もう忘れたのだろうか?
≪プーチン大統領「何人も自らの狭い政治的利益達成の為に、マレー機墜落を利用すべきではない」
ロシアのプーチン大統領は、TV「ロシア24」のインタビューに答えた中で「何人も、自らの狭い政治的目的達成のために、ウクライナでのマレーシア航空ボーイング777墜落を利用すべきではない」と述べ、次のように指摘した
「ロシアは何度も、ウクライナで対立する全ての当事者に、流血の戦いを即時停止し、交渉のテーブルに着くよう求めてきた。もし6月28日に、ウクライナ東部での戦闘行動が再開されなければ、今回のような悲劇は起こらなかったろう。 この地域の状況に責任を持つ人々は、自分達の国民、そして一般市民が悲劇の犠牲となった国々の国民に対する責任感を高める必要がある。
一方ロシアは、ウクライナ東部での紛争が軍事的なものから、交渉のテーブルに当事者すべてがつくような、平和的で専ら外交的手段による問題解決へと移行するよう、自分達にできるあらゆる事をするだろう。
ロシアは、ドネツク州でのマレー機墜落のあらゆる状況の調査をICAOが組織し詳しく実施する事に関心を持っており、援助を続ける用意がある。」
なお、これに先立ちプーチン大統領は、英国のキャメロン首相との電話会談の中で「国際的な調査が終わるまで、マレー機墜落の状況について、急いで結論を出したり、政治的に利用した声明を出したりするのを差し控える事が重要だ」と強調している。 ≫( リア-ノーヴォスチ)
いずれにせよ、アメリカが必死になって騒いでいる状況が理解できる。ウクライナクーデターを企てたCIA、FBIの連中にとって、悪の枢軸を固定化することで、謀略が完結するのだから、必死だろう。とんでもなく物覚えの悪い連中だらけのウクライナ政府軍の面倒をこれ以上見ていられないと云う事情を抱えているアメリカは、ロシア、悪の枢軸説を、国際世論にすべく、最後の挑戦をしている。ロシアのプーチンにしてみれば、調子に乗って無残な証拠を並べだすのを待っている状況と推測できる。それまでは、抑制的に敵の武器のあらかたを吐き出させる心づもりなのだ。プロパガンダと云うものの弱点は、常に新たな有力情報を流し続けなければならない。息が切れた時点でアウトなのだ。正直、個人的には、非常にインテリジェンスな東西抗争を眺める意味深さがある。
もう一つ、面白く、且つ意味深い中国共産党機関紙・人民日報の情報があった。いや〜羨ましい限りだ。中国が西側の「普遍的価値」を鵜呑みにしてはいかん。“毛沢東思想やトウ小平理論など歴代最高指導者の指導理念と共に”この部分は蛇足と云うか、十八番の知れる言説だが、“秦の始皇帝から続く、悠久の東洋の価値観に根差し”とでも語れば、中国は東洋のリーダーになれるところだったが、西洋の普遍的価値への挑戦までは、壮大なスケールだったが、毛沢東が出てきた時点で矮小化された言説になったのは残念である(笑)。やはり、何処か国家的枠組み不測の中国だ。日本も同じように間違いな道を進んでいるので、似た者同士かもしらん(笑)。
≪「西側価値観のイエスマンになるな」=党幹部の思想統制強化−中国
【北京時事】21日付の中国共産党機関紙・人民日報は、党中央組織部が幹部教育・養成に関して「西側諸国の憲政や民主、普遍的価値、公民社会などの言論の 騒音の中で方向を見失わない」ことや、「西側の道徳的価値観の『イエスマン』にならない」ことなど、思想統制を強める通知を出したと伝えた。
その上で、毛沢東思想やトウ小平理論など歴代最高指導者の指導理念と共に、「習近平総書記の一連の重要講話の精神を深く学習しなければならない」と指示した。こうした通知は、党内の政治体制改革をめぐる議論を封じ込める狙いがある。 ≫(時事通信)
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