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竹内行夫氏 :朝日新聞
7月21日(月) 集団的自衛権行使容認についての元外務次官経験者の屁理屈
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2014-07-21
2014-07-21 11:02 五十嵐仁の転成仁語
なるほど、こういう屁理屈もあるのか。昨日の『朝日新聞』に掲載された竹内行夫元外務次官のインタビュー記事を読んで、そう思いました。
今回の集団的自衛権の行使容認を背後からけしかけてきたのは外務官僚だと見られています。このような考え方で彼らはそのような行動をとったのだということが、よくわかるようなインタビューです。
この記事には、「閣議決定は9条の枠超えたのでは?」「理念守り 許される範囲の変更」、「米の要請で日本が参戦する危険は?」「憲法くつがえされるなら断ればいい」という見出しが出ています。記者の質問と竹内元外務次官の回答を見出しにしたものです。
これを見れば、すぐに疑問がわいてくるでしょう。「許される範囲」とはどのような「範囲」なのか? 誰が「許す」というのか、という疑問が……。
また、「断ればいい」と答えていますが、そのようなことができるのか? 断った場合、日米関係が悪化するというようなことはないのか、という疑問も……。
竹内さんは「客観的な議論を求めたい」と述べていたそうですが、この見出しになった二つの答えを見ても、極めて主観的なものだと言わざるを得ません。いずれも、竹内さん自身の判断と希望を述べたにすぎないものです。
もうすこし詳しく、その主張を見てみましょう。竹内さんの主張の核心は、集団的自衛権を「自国が武力攻撃を受けていないが、他国が受けた場合にその他国を守るための権利とみる『他国防衛説』」と「他国が攻撃された時、その国との連帯関係を踏まえて自国への攻撃と同じことだと認識し、武力攻撃に参加する考え方で、『自国防衛説』」という二つに分け、前者は許されないが後者なら許されるというものです。
つまり、他国を守るために他国の戦争に加わることは許されないが、自国を守るために他国の戦争に加わることは許されるというわけです。後者の場合、「その国との連帯関係を踏まえて自国への攻撃と同じことだと認識」されることが条件となります。
どちらも、自国が攻撃されていないが、他国が攻撃され、それへの反撃として武力攻撃に加わるという点では共通しています。違いは、他国を守るためなのか、自国を守るためなのかという点です。
竹内さんは、自国を守るために他国を守るのであれば「憲法9条の下で許される自衛の措置」であるから、それは「9条の枠内」だというのです。問題は、「自国を守るために他国を守る」という理屈にありますが、このような奇妙な論理をどれだけの人が理解できるでしょうか。
「自国を守るために他国を守る」という理屈が成り立つためには、二つの条件が必要です。その一つは、竹内さんの言う「その国との連帯関係」、閣議決定された「新3要件」では「密接な関係にある他国」であり、もう一つは竹内さんの言う「自国への攻撃と同じ」だという「認識」、「新3要件」では「国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」です。
問題は、このような条件、つまり「連帯関係」「密接な関係」「自国への攻撃と同じ」「明白な危険」を、誰がどのようにして「認識」したり判断したりするのかという点にあります。それは言うまでもなく、時の政府が総合的に判断するということであり、最終的には首相の決断に任されます。
「他国防衛説」は許されず「自国防衛説」は許されると言ってみても、結局は他国で行われる戦争に参加するということに変わりはありません。両者に違いがあると竹内さんは言っていますが、その違いは首相の判断一つでどうにでもなるようなものなのです。
これがどうして、「9条の制約を踏まえたわが国独特の抑制された集団的自衛権である」と言えるのでしょうか。「自国が武力攻撃を受けていない」にもかかわらず、他国の戦争に加わることが、どうして「憲法9条の枠内で許される自衛の措置」だと言えるのでしょうか。
集団的自衛権の行使とは、自国が攻撃されていないにもかかわらず、他国の戦争に加わることを意味しています。戦争放棄と戦力不保持、交戦権の否認を定めた憲法9条の下で、そのようなことが許されるのかということが根本的な問題なのです。
いかなる理屈によっても、日本の領域外で自衛隊が武力攻撃に加わるようなことは許されません。自国を守るために他国で戦争するなどという説は屁理屈以外の何物でもなく、とうてい国民に理解されることはないでしょう。
◇
理念守り、許される範囲の変更 集団的自衛権、竹内行夫元外務次官に問う
http://www.asahi.com/articles/DA3S11253881.html
2014年7月20日05時00分 朝日新聞
安倍内閣は今月、憲法解釈の変更で集団的自衛権の行使を認める閣議決定をした。朝日新聞はこれまで、内閣の手続きや安全保障・外交上の判断などについて問題点を報じてきた。これに対し、元外務事務次官の竹内行夫氏(71)は「今回の行使容認は極めて抑制的なものだ。朝日の報道には疑問を感じる」と話す。「客観的な議論を求めたい」とする竹内氏に、閣議決定の意味を尋ねた。
■閣議決定は9条の枠越えたのでは?
――集団的自衛権をめぐる朝日新聞の報道のどこに疑問を感じるのですか。
竹内氏 まず今回のお話はあくまで私の個人的な意見です。今回の閣議決定は、国際的な環境が変化するなかで、憲法9条の下で許される自衛の措置を強め、国の安全を守る抑止力を高めるものです。朝日新聞などの一部メディアは、9条の枠内で自衛の措置を拡充しようとした政府の姿勢を理解せず、批判を繰り返した。国民が議論をなかなか理解できない一因になったと考えています。
――従来の政府見解では集団的自衛権を認めていませんでした。今回の閣議決定はやはり9条の枠を越えたと感じています。その出発点で竹内さんの考えとの違いを感じています。
竹内氏 集団的自衛権は国際法上の理念です。国連憲章=注(1)=に初めて明記されたが、定義は書かれていない。国際法上は大雑把にみて二つの学説があります。一つは、自国が武力攻撃を受けていないが、他国が受けた場合にその他国を守るための権利とみる「他国防衛説」。もう一つは、他国が攻撃された時、その国との連帯関係を踏まえて自国への攻撃と同じことだと認識し、武力攻撃に参加する考え方で、「自国防衛説」と呼ばれます。
■ ■
――とはいえ、集団的自衛権の本質は他国を武力で守ることではないですか。
竹内氏 それこそ一面的な見方です。国際法や国連憲章上、集団的自衛権も国家固有の自衛権です。その行使の濫用(らんよう)を防止するため、攻撃された国による支援の「要請」または「同意」が必要とされていることも重要です。
確かに従来の政府解釈は他国防衛説であったとみられます。例えば、角田礼次郎内閣法制局長官は1982年、参院の委員会で「自衛のため、必要最小限度の武力行使は許されるけれども、他国を助けるというような意味の武力行使は許されない。従って集団的自衛権の行使は許されない」と答弁している。
他方で、例えば、日米安全保障条約5条には、集団的自衛権に関して「いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和および安全を危うくするものであることを認め……」とある。日本が攻撃されれば、米国人の生命、暮らしが直接被害を受けなくても米国の平和と安全を危うくすると認める考え方は、自国防衛説に基づいています。
■ ■
――政府解釈が「他国防衛」から「自国防衛」に変わったということですか。
竹内氏 政府内にその意識があったかは知らないが、砂川判決=注(2)=を巡る議論や首相の私的諮問機関の報告書で、すでにそうした考えが読み取れた。そして閣議決定の「武力行使の新3要件」では、日本が直接武力攻撃を受けていなくても、国の存立が脅かされ、国民の生命、生活、暮らしが根底から覆される「明白な危険」がある状況なら、「自衛のための措置」を行使しても憲法上認められる必要最小限度の武力行使になるとした。その意味で、集団的自衛権の解釈は今回、自国防衛説に変わったと私は見ています。
――それこそ立憲主義に反する解釈改憲ではないのでしょうか。
竹内氏 他国防衛のための集団的自衛権を導入するには、憲法改正が必要だと考えますが、今回は9条の理念を守り、許される範囲内で解釈の変更をしたのであって、解釈改憲との批判は当たらないと思います。
■米の要請で日本が参戦する危険は? 憲法覆されるなら断ればいい
――しかし、いくら「自国の防衛」のためと主張しても、米国が対外戦争で集団的自衛権の行使を要請してきたら、日本が参戦する危険はないのでしょうか。
竹内氏 私が朝日新聞の報道に疑問を持つのは、まさにこの点です。5月以降の記事で、集団的自衛権を説明する際に「他国を守るために武力を行使する」という修飾語を付けて定義するようになった。これは、自国防衛説の存在だけでなく、政府・与党が進めていた検討の流れを全く無視しています。他国防衛説だけ引っ張って「米国の戦争に巻き込まれる」と主張するのは不正確で、情緒的な反対キャンペーンになりやすい。これでは、読者は「他国を守るためだけに日本の若者は血を流すのか」と受け止め、反対しますよ。
――安倍首相は記者会見で、日本人のお年寄りや子どもが乗った米艦船を自衛隊が守る事例を持ち出しました。これこそ情緒論ではないでしょうか。
竹内氏 この事例だけで、閣議決定が出されたわけではない。それに政治家がキャンペーンとして国民の感情に訴えることはあり得ると思いますが、メディアはそれを批判すればよく、報道は冷静かつ客観的に行うべきだと思います。
――閣議決定後の国会審議で、首相は日米同盟を維持するために集団的自衛権を発動する可能性を示唆した。「米国の要請を断れば日米同盟が壊れる」と、行使することもあるのでは。
竹内氏 閣議決定で認められたのは、9条の制約を踏まえたわが国独特の抑制された集団的自衛権であると思う。自国防衛説に切り替えた上で、更に現実の「明白な危険」という国際法にはない強い限定を加えた。これらの要件が満たされないのに米国からの圧力で参戦するようなことはあり得ない。もし米国が日本の憲法や法秩序を根底から覆すような要請をしてきたら、「日本は憲法上できない」と胸を張って断ればいいだけ。ただし、米国は日本にとって安保条約の絆で結ばれた、かけがえのない同盟国。当然、新要件の下でも他国との関係と同等ではなく、特別に考える必要がある。
■ ■
――多国籍軍による中東・ペルシャ湾での機雷除去への参加も議論になりました。外務省は従来、国連決議があれば、侵略国などに複数の加盟国が制裁を加える集団安全保障への参加に積極的です。
竹内氏 集団安保措置については今回、与党協議で結論が出ず、閣議決定の対象にはならなかったと私は理解しています。国連憲章では、集団安保と集団的自衛権は本質的に理念が異なる。国連憲章51条は「安保理が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間」、自衛権の行使を認めている。
一方、42条の集団安保措置がとられれば、武力行使の理念が平和の回復や平和の破壊者への制裁といった国際社会の利益という、いわば高い理念となる。抑止力を高めるとともに、国連の集団安保に日本が従来以上にどう貢献していくかについては、今後、真剣に正面から検討してほしい課題です。(聞き手・蔵前勝久)
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たけうち・ゆきお 71歳。1967年、外務省入省。宮沢喜一首相の秘書官を経て、条約、北米、総合外交政策の各局長を歴任。2002〜05年に同省事務次官、08〜13年に最高裁判事を務めた。
■行使すれば「出口」はない
竹内氏は、政府が認めた集団的自衛権を「憲法9条の制約を踏まえた我が国独特の抑制された」ものとみる。ただ、その根拠となる武力行使の新3要件には、国の存立や国民の権利が「根底から覆される明白な危険がある」という抽象的な言葉でしか書かれておらず、歯止めとしては不十分だ。百歩譲って、新要件が歯止めになったとしても、政府が集団的自衛権を使うかどうかを判断する「入り口」での抑制に過ぎない。
参戦後、日本にとっての「明白な危険」が去ったからもう撤退すると言っても、敵になった相手国は日本への攻撃を続けるだろう。「入り口」を狭くしたと主張しても、戦争を一度始めれば「出口」を探すのは難しい。それが現実だ。(蔵前勝久)
【注(1)国連憲章】
51条 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的または集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使にあたって加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。(後略)
【注(2)砂川判決】
1957年、東京都砂川町(現立川市)の旧米軍基地の拡張に反対した7人が基地に入り、逮捕された。59年、東京地裁は安保条約に基づく米軍駐留は違憲として7人を無罪にしたが、最高裁は同年に地裁判決を破棄、7人は有罪になった。最高裁判決は、自衛権について「(国の)存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうる」とした。
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