http://www.asyura2.com/14/senkyo168/msg/585.html
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14日(月曜)と15日(火曜)の2日間にわたって行われた「“海外派兵緩和政策”=「集団的自衛権行使容認」閣議決定」をめぐる閉会中審査を10時間(2/3)ほど見たが、驚いたのは、そのなかで閣議決定に至った前提に米国支配層からの強い要求があったことがまったく触れられていないことである。
政治家として日本が米国の属国であることは言いたく(認めたく)ないことはわかるし、政府も、自立した国家として自由に国策を決めていると国民に思わせたいこともわかる。
しかし、それら以上に、従米派の政治家は、米国支配層が日本の外交・安全保障を筆頭とした国策の決定に深く関与していることが国民に知れ渡り、“反米感情”が高まることを恐れているのだから始末に困る。
哀しいかな、日本国憲法の上位に宗主国米国支配層の意向があるというのが、保護国日本の実相なのである。
今回の「“海外派兵緩和政策”=「集団的自衛権行使容認」閣議決定」も、憲法解釈変更(解釈改憲)というより、それ自体も違憲である日米安保条約の実質改定と考えたほうがわかりやすい。
なぜなら、日米安保条約そのものが集団的自衛権の行使であり、この意味で集団的自衛権は60年以上も昔から行使されており、今回の「集団的自衛権行使容認」閣議決定はお笑いコントでしかないからである。
(この2日間の国会審議でも、“日米安保条約=集団的自衛権行使”と匂わせる発言もあったが、共同防衛とかわけのわからないスリカエで逃げていた。日本の政治状況を「“新型”大政翼賛会」というのも、今回の政府見解変更の根幹に関わることでさえ
、野党も気を遣いまともに質問しない状況が如実に示している)
日本人も血を流さないと米国は日本を本気で防衛しなくなるから「集団的自衛権行使容認」が必要だと説明も、米国が条約義務さえ履行しないイイカゲンな国家と言っているようなものである。
どのみち違憲だからあまり言いたくないが、仮に、日本人も血を流さないと米国は日本を防衛しないのなら、日米安保条約を改定するのがスジである。
「解釈改憲は憲法違反ということを、国会はなぜ議論しないのか。まるで、「愚か者の船」ですね。(くろねこの短語)」
http://www.asyura2.com/14/senkyo168/msg/549.html
という声もあるが、1954年に自衛隊を合憲とした政府見解がデタラメの出発点であり、自衛隊及び個別的自衛権行使を合憲とし、日米同盟を日本にとって死活的なものと考えている政治勢力が、今回の「“海外派兵緩和政策”=「集団的自衛権行使容認」閣議決定」をきちんと批判することはできないと言える。
ただ、宗主国に対する面従腹背の度合いを高める安倍首相は、今回の国会審議で、わざわざ憲法制定直後の吉田元首相発言を取り上げ、自衛隊もそれにあたる軍事組織の存在も違憲というのが元々の日本国憲法第九条に関する解釈だった説明していた。
※ 関連参照投稿
「集団的自衛権:日本の行使容認を歓迎する米国の意図」
http://www.asyura2.com/14/senkyo168/msg/538.html
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日本が広げているのは「保護の傘」ではなく野心である
人民網日本語版 2014年07月15日09:02
日本の小野寺五典防衛相はこのほど、1週間にわたる訪米を行ったが、訪問の重要な目的は、安倍内閣による集団的自衛権容認の閣議決定が何を意味するかを米国側に説明することにあった。(文:賈秀東・人民日報特約評論員、中国国際問題研究所特別招聘研究員。人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)
小野寺防衛相によれば、集団的自衛権を容認しなければ、米軍が海外で攻撃を受けた際、日本は同盟国であってもこれを傍観しなければならず、支援の手を差し伸べられない。集団的自衛権が容認されれば状況は一変し、米軍とその武器装備に「保護」と支援を提供できるという。
安倍政権によれば、集団的自衛権の容認後は、米国と双方向的な「保護」を提供するほか、関係の密接な国にも「保護」を提供できるようになる。小野寺防衛相は、米国の戦略国際問題研究所で講演した際、南中国海の問題について、フィリピンやベトナムなどは領土の主権を守る権利を持っているが、現代では単独防衛だけでは不十分で、こうした国々は日本との関係強化を求めていると語った。言外の意味としては、これらの国々が日本の「保護」を必要としているということで、その前提は、日本がまず集団的自衛権を解禁することとなる。
日本は、米国を「保護の傘」とする現状に不満を感じ始め、米国やその他の国々に「保護の傘」を提供しようとしているのだろうか。だが強大な米国はそもそも日本の保護を必要とするだろうか。これは日本の用いる口実にすぎない。(米軍も下働きは必要)
日本の敗戦後、米国は軍隊を派遣してこれを占領し、冷戦の必要から日本と同盟関係を結び、「核の傘」を含む「保護の傘」を日本に提供するようになった。米国が日本を「保護」することには二重の意味があった。一つは、この保護と引き換えに、世界とアジア太平洋における米国の戦略に日本を利用すること。もう一つは、保護によって日本の活動を制限し、日本の戦後の政治的・軍事的な働きを制限すること。この保護は一方的なもので、日本は米国の保護の下で「専守防衛」を実行することとなった。
日本側には、このような状態は「正常な国家」ではないとの気がかりがあった。安倍首相は昨年初め、「Japan is back(日本は戻ってきた)」と声高らかに宣言したが、そこにはまだ弱みがあった。安倍首相の考える「正常な国家」とは、平和憲法の束縛を受けない日本、専守防衛を捨てて集団的自衛権に踏み切る日本、自衛隊が攻守双方の力を持って周辺及び世界を駆けまわる日本なのである。安倍首相は、右傾化した言動が国内外から強く批判されていることを知っており、その外交・安保政策の調整を「積極的平和主義」という殻で、集団的自衛権の解禁を「同盟国と友人を助け、地域と世界の平和と安定に貢献する」という殻で包み、良いことに積極的な国というイメージを作り出そうとしている。
だが日本の集団的自衛権の容認は、「保護の傘」を広げるためのものではなく、その野心を実現するためのものである。「保護の傘」は見せかけにすぎない。
「保護の傘」は、「中国威脅論」を言い訳とする。小野寺防衛相は米国での公開講演や談話で、東中国海と南中国海の問題にしばしば触れ、力による現状変更を許さないと中国への間接的な非難を繰り返した。だが東中国海と南中国海で問題を起こしているのは中国ではない。日本が最近、「中国威脅論」を誇張する急先鋒となっているのには隠された意図がある。
このような「保護の傘」は逆に、地域に対する脅威となる。残酷な侵略の歴史を振り返ることを回避し、これをぼかし、さらには美化し、否認しようとする日本が、軍国主義からなかなか離れようとしない政治的ムードの中で、歴史を正視しようとも隣国に配慮しようともしない当局の下で、集団的自衛権を解禁することは、平和憲法の精神に背くことであり、今後の日本が軍事機能を強化し、軍事力を借りて地域の平和と安全を脅かすのに扉を開く。
米国は、自身のアジア太平洋における「リバランス戦略」に日本を活用し、防衛費の負担を分担させるために、日本の集団的自衛権の容認を支援・承認し、日米防衛協力のための指針(ガイドライン)の修正を年内に終えたいとの意図を持っている。米国は、日本を引き続きコントロールするための充分なカードを握っていると考えており、集団的自衛権解禁に賛成の言葉を惜しんでいない。ヘーゲル国防長官は日本の決定を「大胆で歴史的、画期的な決定」と表現し、日本はこれによって「地域や世界の安全保障への貢献を増し、世界の舞台での役割を拡大することになる」と語った。集団的自衛権解禁の問題では、日米はいずれも自らの必要性を持っており、気脈を通じていると言える。
日米それぞれの思惑の下、安倍首相の「積極的平和主義」は、「積極的攻撃主義」に形を変えつつある。そうなれば地域の安全環境はより複雑さを増し、悪化しかねない。日本の右傾化と「再軍事化」の傾向が抑制されなければ、最後には日米を含む地域全体が、日本の野心に代償を払わなければならない時が来ることだろう。(編集MA)
「人民網日本語版」2014年7月15日
http://www.japanese.peopledaily.jp/n/2014/0715/c94474-8755533.html
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