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日本人は誰も軍国主義を望んでいない。ただ、自立した日本を望んでいる。卑屈な平和主義が日本を危険にさらしていく時代になったのだ。
日本に蔓延する歪んだ平和主義が日本を危険にさらしていく
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2014年7月12日 Darkness - ダークネス
日本は海に囲まれているので、他国からの侵略というのはあまり感じることはなかった。
だから、「国というのは、昔からそこに住んでいる人たちのもの」というのが当たり前だと思っている。
しかし、そうではない。将来も日本が日本人のものだという保証はまったくない。これは脅しでも何でもない。日本人以外は誰でも知っていることだ。
国というのは、その土着の民族を代表するとは限らない。弱ければ、国を他に奪われるというのが歴史の動きだ。
たとえば、現代の私たちには、アメリカは白人の国だという意識がある。しかし、アメリカ大陸は昔から白人がそこに住んでいたわけではない。
イギリスからやってきた白人が、土着の人たち(ネイティブ・アメリカン)を虐殺して奪い取った土地なのである。
「国というのは、昔からそこに住んでいる人たちのもの」ではないというのはアメリカの成り立ちを見れば分かる。他民族が強ければ、自分の住んでいる場所は奪われる。
■負ければ生存すらも奪われるのが人間の歴史
私たちは中南米はスペイン語を話す白人や黒人やその混血の人たちの国だという意識があるが、もちろん昔から白人や黒人が中南米に住んでいたわけではない。
スペインから来た白人が、土着の人たちを虐殺して奪い取った土地なのである。
「国というのは、昔からそこに住んでいる人たちのもの」ではないというのは歴史の成り立ちを見れば分かる。オーストラリアでも同じことが起きていた。イスラエルでも同じことが起きていた。チベットでも現在進行形だ。
土地を巡る闘争があって、土着の人たちが負けたとき、そこは自分たちの住む場所、自分たちの政府、自分たちの国ではなくなってしまう。
つまり、負ければ生存すらも奪われる。
日本人も、のんきに構えていれば、侵食され、奪われ、最後は自分の居場所すらも失う。これこそが「人間の歴史」であり、今でも起きている冷徹な現実なのである。
平和主義というのは、相手と「力」が対等であるときに生まれる。一方が他方を凌駕すると、どうなるのか。力が弱いほうは、否が応でも吸収されてしまう。
「国というのは、昔からそこに住んでいる人たちのもの」というルールなど人間社会にはない。歴史とは年号を覚える学問ではない。力が弱い者が滅んでいった事実を確認する学問だ。
日本が弱体化し、同時に中国・韓国が台頭して激しく日本を憎んでいる今、日本人はそろそろ本気で気をつけなければならない局面に来ている。
■日本が侵略されているという危機感
現在、多くの日本人が誰に言われるわけでもなく、「日本を守らなければならない」という自衛心に目覚めようとしている。普通の常識を持った人であれば、目覚めて当然だ。
尖閣諸島沖漁船の問題から竹島問題、さらには対馬・沖縄問題を見て、日本がじわじわと侵略されているという危機感を覚えない人はいない。
誰かに教えてもらわなくても、「このままでは日本が食い尽くされる」と日本人は感じ取っているのである。若者を含め、多くの日本人がそんな危機感を感じ取っている。
中国・韓国の反日の動きは年々エスカレートしていくばかりである。特に、韓国の反日はあまりにもひどく、露骨で押しつけがましい。
彼らは日本人を「豚の爪」だとか「猿」だとか「犬」だとか呼び捨てて、日本が何度謝罪しても謝罪と賠償を求めてくる。さらに、多くの政治家や市民団体を動かして、韓国に利するように操作している。
こういったことがあって、多くの日本人が危機感を抱くようになったが、この危機感はもっと多くの人たちに共有されて然るべきものである。
下手すれば、日本が内部から乗っ取られるかもしれないからだ。つまり、今を放置していると、それこそ日本という国は、日本人のものではなくなってしまうのである。
「日本は日本人のものである」という一見当たり前のように見える前提は、努力しなければ奪われてしまう。
底辺からじわじわと土地を奪われ、企業を奪われ、政治を奪われ、やがてすべての主権を奪われるかもしれない。あるいは、日本が完全に弱体化したところを一気に軍事力で侵略されるかもしれない。
いずれにせよ、日本が弱体化すればするほど「日本は日本人のものである」という当たり前が危うくなる。
■日本に蔓延する危険な平和主義こそが問題である
日本が今後重要なのは、政府も国民を、日本を改めて守っていくという「防衛の意識」である。
日本は今まで「平和主義」をことさら意識しすぎた。謝罪外交も、自虐史観の教育も、謝罪も、賠償も、中韓に対する意味のないODAも、すべて平和主義から来ている。
しかし、今やその過剰な平和主義によって日本は甘く見られ、日本人全体が貶められる結果になっている。
そうなった以上、日本が防衛を意識するのは当然のことであり、国を守る上で必要不可欠な意識転換でもある。
今の日本は、あまりにもお花畑の平和主義が蔓延していることが問題なのだ。マスコミは、日本に蔓延する危険な平和主義を問題にしなければならない。それをしないから、マスコミの信頼性が疑われている。
今、日本で起きている動きは、誰が見ても周辺国家の脅威から「防衛」しようとしているものである。
誰も「大日本帝国を復活させよ」と言っているわけではない。日本人の誰も、他国を侵略しようと言っていない。日本人の誰もそんなことを望んでいない。
「大日本帝国」ではなく、普通の「日本」を望んでいる。軍国主義も、売国主義も望んでいない。ただ、自立した日本を望んでいる。自立した日本とは、どんな日本なのか。
・謝罪外交をやめる。
・自衛ができるように法改正をする。
・領土問題で毅然と対応する。
・捏造された歴史問題に反駁する。
こんなことは最初からできていなければならないものだ。それが放置されていたから日本国民は苛立っているのである。
弱腰の果てには、国家侵略が待っている。弱ければ、国を他に奪われる。他民族が強ければ、外部からも内部からも侵略されて、自分の住んでいる場所は奪われる。
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