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田原総一朗:集団的自衛権、閣議決定の曖昧さと安倍首相の意図
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140709-00000003-fukkou-bus_all#!bbLJZ3
nikkei BPnet 7月9日(水)22時17分配信
安倍内閣は7月1日に憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認する閣議決定したが、翌2日付の新聞各紙の社説はその評価が大きく分かれた。
■真っ二つに割れた新聞6紙の社説
社説の見出しに朝日新聞は「この暴挙を超えて」、東京新聞は「9条破棄に等しい暴挙」と付け、毎日新聞は本文で「政治もしばしば暴走する」と書いた。今回の閣議決定はとんでもない「暴挙」「暴走」であり、これによって日本が戦争に巻き込まれることへの懸念を表明している。
これに対して、読売新聞は「抑止力向上へ意義深い『容認』」、産経新聞は「『助け合えぬ国』に決別を」という見出しをそれぞれ付け、集団的自衛権の行使容認は抑止力として働き、これにより戦争には巻き込まれないと歓迎している。日本経済新聞も「助け合いで安全保障を固める道へ」と題して、「アジアの安定を守り、戦争を防いでいくうえで、今回の決定は適切といえる」と書いた。
このように朝日、毎日、東京と、読売、産経、日経が真っ向から対立する形となった。ただし6紙とも、閣議決定が集団的自衛権の行使容認のために解釈改憲を行うこと、つまり憲法第9条では「集団的自衛権を保有しているが行使できない」という従来の解釈を「行使できる」という解釈に変えたという点では一致している。
■なぜ今、集団的自衛権が必要なのか
問題は別のところにある。
閣議決定文には長いタイトルが付いている。「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目ない安全保障法制の整備について」である。この閣議決定の全文を何度読んでも、どこが解釈改憲なのか、よくわからないのだ。
冒頭で「我が国を取り巻く安全保障環境は根本的に変容するとともに、更に変化し続け、我が国は複雑かつ重大な国家安全保障上の課題に直面している」とある。
中国が軍事大国になり、その中国と日本は尖閣諸島(島根県)をめぐって対立している。かつて「世界の警察」を自任していた米国は、力が弱まり、自らその任を降りると言っている。
このように日本を取り巻く環境が大きく変化しているため、「もはや、どの国も一国のみで平和を守ることはできず、国際社会もまた、我が国がその国力にふさわしい形で一層積極的な役割を果たすことを期待している」とする。
つまり、日本をめぐる環境が厳しくなってきているから集団的自衛権が必要と述べているのだろうが、果たしてそうだろうか。
■従来の憲法解釈に抵触するのはどこなのか
万が一に尖閣諸島をめぐって日中が武力衝突したとしても、それは集団的自衛権で対応することではない。個別的自衛権の問題である。あるいは、もし中国が日本に戦争をしかけてきたとしても、日米安全保障条約第5条にもとづき、米国が集団的自衛権を行使して日本を防衛する義務がある。
解釈改憲というのは、従来の憲法解釈では抵触するので解釈を変えるということだが、それがどの部分なのかよくわからない。
「武力行使に至らない侵害への対処」では、「自衛隊法第95条による武器等防護のための『武器の使用』の考え方を参考にしつつ」とし、自衛隊法第95条に該当しないことをやるとは書いていない。
「国際的な平和協力活動に伴う武器使用」については、憲法第9条を持ち出して、「憲法第9条が禁ずる『武力の行使』に該当する恐れがあることから、国際的な平和協力活動に従事する自衛官の武器使用権限はいわゆる自己保存型と武器等防護に限定してきた」と述べている。つまり、憲法第9条に該当することをやるのだと言い、憲法第9条に抵触することについては書かれていない。これでは個別的自衛権の延長ではないか。
閣議決定文で公明党が最も問題視したのは、「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し」のくだりである。これは集団的自衛権の行使容認に関する箇所だが、公明党の要求により、ここに「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」という要件を付けた。しかし、この場合は我が国が攻撃されることになるのだから、専守防衛の概念とどこが違うのだろうか。
■曖昧なのは公明党との妥協の産物だからか
このように閣議決定文を読めば読むほど、従来の憲法第9条の解釈にどう抵触するのか、わからなくなる。だからこそ、朝日、毎日、東京の各紙は閣議決定の曖昧さに強い懸念を抱いているのだ。
なぜ閣議決定はこんなに曖昧なものになったのだろうか。
それは、公明党との妥協の産物といえるようなものだからだろう。公明党の支持母体である創価学会は婦人部を中心に集団的自衛権の行使容認に強く反対している。2015年4月の統一地方選に向けて、公明党は支持者に対して「実は憲法に抵触する部分はない」「中身は変わっていない」と説得できるような内容にしたかったのではないか。
さらに、「戦後レジームからの脱却」を言い続けてきた安倍晋三首相だが、自ら掲げる「積極的平和主義」にもとづいて国際社会に積極的に関与していきたいためというのではなく、とにかく集団的自衛権の行使容認を決定することが大事だったのではないか。
9月下旬に臨時国会が召集されるが、そこでは集団的自衛権の行使容認に関する法整備について関連法案の提出は見送られる方針だ。関連法案は、統一地方選への影響をなるべく避けるため、来年の通常国会に提出、審議されることになるだろう。
■今後、集団的自衛権を行使する場面はあるか
閣議決定の内容があまりにも曖昧なので、それを朝日、毎日、東京が憤り、読売、産経が歓迎しても、私にはリアリティーが感じられない。国民は閣議決定文を読んでも、おそらくその内容を十分に理解できないだろう。逆に、政府のやり方に国民は疑惑を持たざるを得なくなるばかりだ。
私は、今後、集団的自衛権を行使する場面はないのではないかと思う。なぜなら、集団的自衛権の行使を容認するのは日本と密接な関係にある国、つまり米国が攻撃の対象となった場合だが、果たして米国が攻撃されることがあるのだろうかと思うからだ。
米国がこれまで戦争で攻撃されたのは、私の知る限りテロを除き、1941年12月8日のハワイ真珠湾攻撃だけだ。後にも先にもこれしかない。戦後には、米国はどこからも攻撃されていないのである。
オバマ大統領は「世界の警察」をやめると述べている。米国が再び湾岸戦争やイラク戦争のようなことをしなければ、米国を巻き込む戦争が起きる可能性はほとんどないと言える。
そう考えてみると、集団的自衛権の行使容認を決定しなければならない必然性がよくわからなくなる。だから、安倍さんはどうやら「戦後レジームからの脱却」の一環として集団的自衛権の行使容認を決めたかったのだ、としか思えないのである。
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