03. 2014年7月09日 19:17:28
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沖縄密約訴訟、敗訴確定へ=二審は文書開示認めず−14日に上告審判決・最高裁 http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2014070700664 時事通信 2014/07/07-18:45 一審東京地裁は、文書について「密約を示すもので、政府としてはその存在 を隠す必要があった」と認定。存在を否定した国の主張を「十分に捜したとは 言えない」と退け、全文書の開示と請求通りの慰謝料の支払いを命じた。 これに対し二審は、密約問題に関する両省の調査は網羅的で徹底していたと 認める一方で、文書が見つからなかったことから「通常とは異なる場所に、限 られた職員しか知らない方法で保管された可能性が高い」と指摘した。 さらに「(01年の)情報公開法施行により密約が明るみに出ることを防ぐ ため、両省が秘密裏に文書を廃棄したか、保管外に置いた可能性もある」との 見方を示した。その上で、不開示決定時に国が文書を保有していたとは認めら れないと判断した。 西山太吉氏の話 文書は日米共同で制作しており、米国側でも発見されてい る。最高裁が高裁判断を追認するなら重大な問題だ。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6 2009年9月16日、民主党主導の鳩山由紀夫内閣が成立した。外務大臣となった岡田克也は外務省に、かねて計画していた情報公開の一環として、密約関連文書を全て調査の上で公開するよう命じた。これにより設置された調査委員会が2010年3月、全てについて密約及び密約に類するものが存在していた事を認めた。また岡田は同年5月、作成後30年を経過した公文書については全て開示すべき事を定めた。 この件と、川端康成の件は、あまり知られていないだろう。 http://www.kameijun.com/zakki/038.html かなり古い話だが…。 去る2月から3月にかけて、週刊新潮は「創刊50周年」のお祭り騒ぎを展開した。50年間の特記すべき記事が再録され、当時の編集者が思い出を語ったりしている。 私は創刊2年目から編集部に入り、21年間在籍したので私自身が執筆した記事やエピソードも多く、感慨深い部分もあった。 印象に残っている一つは、1972年、沖縄返還にからむ日米間の密約報道事件だ。 この件について、今回新潮社が出した『「週刊新潮」が報じたスキャンダル戦後史』に当時の担当記者松田宏氏(現・常務)が書いている。「毎日新聞の西山太吉記者が、外務省の女性事務官から沖縄返還の日米密約に絡む極秘電文を“情を通じて”入手し、二人とも逮捕された外務省機密漏洩事件」「毎日は“知る権利”の大キャンペーンを展開したが、これに対して“週刊新潮”は“機密漏洩事件―美しい日本の美しくない日本人”という新聞批判の大特集を書いた」 “美しい日本の…”という週刊誌にはあまり類似例のないタイトルは、その3年前に川端康成氏が日本人として初のノーベル文学賞を受け、その受賞スピーチの題が「美しい日本の私」であったことからの“いただき”だ。その川端氏は西山記者逮捕から数日後、マスコミ界が騒然とする中でガス自殺を遂げた。 川端文学の“美”の対極に、西山記者の行為や当時の新聞一般の反応を置いて“醜”としたのだから、これは相当の悪意の表現である。それより1年半ほど前の、三島由紀夫切腹事件の衝撃を想起させる効果もあったのだろう。 週刊新潮の新聞憎しのキャンペーンはその数年前から始まっていた。60年代末からの学生運動、ベトナム反戦、公害批判の市民運動、70年代にはいってからの沖縄返還、日中国交回復の運動などはすべて同誌にとっては疎ましく、それを「煽って」いるのが新聞なのだという短絡した論理である。 ともあれ、検察庁が作った「情を通じ」という、それこそ俗情に訴える殺し文句に百パーセント乗った週刊誌、女性週刊誌のキャンペーンはすさまじかった。中でも週刊新潮編集部の雰囲気は異様で、まるで憑かれたように来る日も来る日も西山記者と毎日新聞、そして新聞一般のアラを探す作業に駆り立てられた。 すると不思議なことに、一般読者から無数の激励の葉書や情報提供の電話が寄せられた。中でも驚いたのは、毎日の内部から、社の内情に関する通報が次から次へと届いたことである。毎日販売店からも「減紙」の情報が入った。一つの大新聞社が傾き、崩壊する有様が手に取るように分かったのである。 この経験で、週刊新潮は言論によるテロリズムの効果と、その商業的な骨法を会得したのだと思う。 しかし、密約事件については最近その見直しが一部メディアで始まり、この2月には北海道新聞が当時の外務省高官から決定的な証言を得た。 メディア全般が劣化する中で、問題の本質を正確に捉えるジャーナリストとその活動が生まれつつある。沖縄をめぐる政府と中央メディアの不当な扱いの根源は、この密約問題に凝縮されているのだが、週刊新潮の50年史は、そのことには触れていない。 (亀井淳、4月14日・記) |