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焼身抗議自殺事件のその後と集団的自衛権
http://m-hyodo.com/usa-49/
2014年07月05日 兵頭正俊 兵頭に訊こう
7月4日のツイッターで、きむらゆいが、次のようにツイートしていた。
「焼身自殺未遂の男性は事前にTV局に手紙を送っていたとの情報。どこの局も名乗り出ません。
入院先も不明で容態も不明。
いのちを賭けた抗議が中身が消しさられようとしています。
(一部、言葉を書き出した画像です)」
わたしの知る限り、もっとも詳しく報道したのは『中日新聞』(2014年6月29日)である。「新宿駅前で焼身自殺図る 集団的自衛権反対を主張」と題して、次のように報道した。
「29日午後2時10分ごろ、東京都新宿区のJR新宿駅南口の歩行者用横断橋上で、拡声器で「集団的自衛権反対」などと主張していた男性が、自分の体に火を付け自殺を図った。病院に運ばれ、全身のやけどで1〜2か月の重傷だが、命に別条はないという。
新宿署によると、午後1時5分ごろに「男性が橋の鉄枠に乗り、拡声器でしゃべっている。ガソリンの臭いがする」と110番があった。男性は地上約20メートルの鉄枠の上に登っており、警察官が下りるように説得したが、約1時間後、ペットボトルに入ったガソリンのような液体をかぶり、ライターで火を付けた。
男性は50〜60代でグレーの背広姿だった。同署で身元を調べている。現場は甲州街道に架かる横断橋。日曜日で多数の買い物客がおり、周囲は一時騒然となった。
近くにいた大学生新開鴻起さん(21)によると、男性は鉄枠の上にあぐらをかいて座り「70年間平和だった」「戦争しない」「政教分離」などと話していた。「君死にたもうことなかれ」と、与謝野晶子の詩の一節を口にした後、火を付けたという」
わたしは地方紙の『中日新聞』を高く評価している。この焼身抗議自殺事件でもそのジャーナリズム力は遺憾なく発揮された。
男性が集団的自衛権に反対して抗議焼身自殺を図ったこと、全身のやけどを負ったが、命に別条はないこと、「70年間平和だった」、「戦争しない」、「政教分離」、「君死にたもうことなかれ」と、与謝野晶子の詩の一節を口にした後、火を付けたことなどを、この記事によってわたしは知った。
きむらゆいのツイートは貴重である。さまざまなことを考えさせられる。
集団的自衛権に対して、焼身抗議自殺事件を起こした人物は、非常に気持ちの綺麗な憂国の人である。ただ、以前のメルマガでも書いたように、かれが命を賭けて臨んだ行動は、言葉を帯同していない。
『中日新聞』の記者も、現場での演説を聞いた目撃者談として紹介しているだけだ。
政治行動は言葉が命である。それは現在のところ、ネットで表現するのが、もっともいいように思われる。
それもブログやツイッター、ユーチューブといった複数のメディアで、公開を予約しておいて、行動とともに同時展開する必要がある。
これまで情報発信として東京の大手新聞やテレビを信用した試みは、ほとんど失敗している。その点、尖閣諸島での中国漁船衝突事件のビデオを、当時、海上保安官だった一色正春は、ユーチューブに投稿して成功した。
もし一色保安官が、ビデオをマスメディアに渡したら、ずたずたに編集されるか、最悪の場合、警察に通報されて逮捕されていただろう。
きむらゆいによると、「焼身自殺未遂の男性は事前にTV局に手紙を送っていたとの情報」があるらしい。しかし、「どこの局も名乗り出ません」ということだ。これが現在の御用メディアだ。
おそらく隠蔽でメディアスクラムを組んだのである。スクープとしても扱わない。また、編集して捏造してバッシングすることもしない。ただ何もなかったかのように隠蔽するのである。
集団的自衛権に抗議した、決死の焼身自殺(『中日新聞』によると、命を取り留めたということだが、その後のことはわからない)は、多くの国民にとってなかったことなのだ。戦前・戦中と同じように権力に都合の悪いことは、メディアが隠すのである。
「入院先も不明で容態も不明」というのは、不気味である。生かして退院させたら、権力に都合の悪いことを喋るかもわからない。そう警戒されている筈だ。ヒーローになったら、安倍晋三は困るわけだから。
今後もこの事件は、わたしたちの方で忘れないように監視し続けなければならないだろう。
さて、集団的自衛権行使容認の決定的なおかしさは、安倍晋三が、米国という世界最大最強の軍事国家を守るといい出したことである。
これまでは政治的軍事的な力関係から、米国が日本を守ると称してきた。その裏で、米国は日本を実質的な植民地とし、日本の富を収奪してきた。
日本の支配層は、安全保障を表向きの理由として米国に隷属し、その見返りに植民地での権益を確保してきた。それが日本の若者の命まで差しだせ、といわれたのが、今日の集団的自衛権の本質である。
日本国憲法は、(1)国民主権、(2)平和主義、(3)基本的人権の尊重を謳っている。これを日本国憲法の3大基本原則といっている。
このなかの、(2)平和主義は、憲法前文で恒久平和主義として理念化されている。さらに9条で戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認として具体化されている。
この平和主義こそが、戦争大国米国による、絶えざる海外派兵の要請から日本を守ってきた。この歴代政権の憲法遵守の精神を、自民党安倍晋三、公明党山口那津男のふたりで捨ててしまい、米国を守って戦争する国に変えてしまった。
誤解はないと思うが、「ふたりで」というのは、別に極端なことをいっているのではない。そのときの党首(代表)がやりたいことに従うという、一任主義のはびこる政治文化のもとでは、二党の多くの議員は、政治で飯を食うために、ただ従ったにすぎない。
安倍・山本の政治的見識のなさ、利権と自己保身のためなら何でもあり、といった姿勢には唖然とさせられる。
敗戦後70年ほどの国策の大転換である。国会で議論を闘わせ、解散して国民に是非を問うべきであった。ところが安倍・山口が選択したのは、与党内の密室協議と閣議で、憲法解釈を変えるという暴挙であった。
集団安全保障は、もともと冷戦期の産物である。世界が東西両陣営に分かれ、政治的軍事的に対立していた時代の産物である。現在、それを復活させようとする勢力がある。
それは中国の台頭、米国の衰退といった現実がもたらしたものである。「G2」から「G 0 」へ、さらに「G1(中国)」へと向かう勢力バランスの変更が、米国発のわが国への集団的自衛権要請となった。つまりこれは世界が集団的に対立する危険な兆候なのだ。
キングス・カレッジ教授のローレンス・D・フリードマンと、米外交問題評議会会長のリチャード・ハースは、「地政学的戦略リスクを検証する――ウクライナと日中対立」のなかで、次のように発言している。
「フリードマン「いまや大国間紛争のリスクがもっとも重要になっているとみている。
われわれは数多くの間違いや失敗を犯してきたが、それでも何とか状況に対応し、危機を管理してきた。だが、この一年というもの、人々は大国間紛争が起きるリスク、それもこれまでのように必ずしもヨーロッパではなく、1930年代のようにアジアで紛争が起きる危険を真剣に考えるようになった。
大国間紛争については、日本と中国の対立ゆえにアジアで大国間紛争が起きる可能性がもっとも高いと私は考えている。もちろん、ウクライナ危機も進行している。ウクライナ危機が大国間紛争につながるとは思わないが、紛争の潜在的なダイナミクスはもっている。
(中略)
ハース「日本と中国はどうだろうか。二つのアジアの大国は大きな問題を抱えている。日中間の外交的政治的関係はいまや希薄化し、信頼醸成措置についてさえ合意できずにいる。
北東アジアにおける現在のナショナリスティックな環境は、冷戦期にもっとも日中関係が悪化したとき以上に緊迫している。当時は、もっと安定した構造が存在した」
(『Foreign Affairs Report』2014 NO.5)
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