http://www.asyura2.com/14/senkyo167/msg/836.html
Tweet |
http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/ae23cc3518249ced608075797ed1ed76
ここ数日怒涛の忙しさで“ヒーヒー”言っているのだが、書かずにはいられない。海外目線の安倍内閣閣議決定のに関して目についたコラムが二つあったので、先ずは続けて掲載する。WSJの冷静で皮肉な日本の集団的自衛権の受け止め方が、特に面白かった。そういえば、18歳から22歳をターゲットにした、「自衛隊員募集」のダイレクトメールが男女問わず送付されたようだ。このような行動は、防衛が話題になっているので、良いタイムミングだから、防衛省の幹部が考えたのか、もっと先を見越して考えた行為なのか定かではないが、受け取った諸君は気持ちが悪い、と思った人も多いだろう。その辺は、最後に記述する。
■ ジャパンタイムズ社の正統派コラム
≪ 安倍、デモクラシーをハイジャック、憲法を空洞化。
JEFF KINGSTON
民主的プロセスを簡略化することで、安倍晋三首相は有権者からの負託を濫用している。憲法九条の解釈変更によって日本の軍事行動への制約を解除し、集団的自衛権を容認しようとする彼の動きは安倍が日本のデモクラシーを破壊しつつあることの直近の実例である。
日米両国における彼と彼の支持者たちは、憲法九条は時代遅れであり、増大しつつある地域の脅威に対処すべく、日本はより断固とした軍事的役割を果すことが重要であると主張している。
日本が安全保障においてよりマッチョな役割を演ずべきだと主張しているこれらの人々は、日本は危険な隣国に囲まれており、日本の軍事的行動への制約が日米同盟を傷つけていると指摘する。
それゆえ、日本は集団的自衛権を含む軍事行動に参加する喫緊の必要性があるというのが彼らの所見である。
なるほど。だが、ほんとうに安倍がそう確信しているなら、あらゆる手段を使ってでも憲法の改定を進めるべきではないか。
憲法改定の手続きは憲法に規定してある。両院の三分の二以上の賛成と国民投票での過半数の支持である。このようにハードルが高く設定されているのは、日本 のデモクラシー・システムの基幹的なルールが不当に政治問題化されたり、恣意的に変更されたりすることがないようにするためである。
改憲というのは重い仕事なのだ。
そこで改憲に代えて、安倍は憲法の解釈変更で乗り切ろうとした。これは法律と憲法のルールを歪めるものであり、夜陰に乗じて盗賊が裏口から忍び込むようなやりかたであり、憲法についての正当な手続きを回避し、憲法を愚弄する危険な前例を作る、非民主的なふるまいである。
安倍は自民党の歴代内閣が30年間にわたって維持してきた「憲法九条は集団的自衛権を認めていない」という解釈を覆そうとしている。
安倍と彼の支持者たちは目的は手段を正当化すると考えており、改憲のための時間のかかる手続きを回避する方法を探している。
彼らは憲法を出し抜くための怪しげな理屈を考え出した。それはアメリカの責任ある同盟国であるためにという名目のもとに憲法の意味をねじまげるトリックである。
逆説的なことだが、安倍はアメリカが起草した憲法は日本を弱小な従属国たらしめるためのものだと久しく主張し、改憲をめざしてきた。
ではなぜ彼は、高い支持率に支えられ、自民党が国会を支配している今改憲を企てないのか。
それは安倍が国民投票におそらくは敗れると思っているからである。だが、これは彼が自分の信念を守る勇気があるなら、回避してはならない戦いである。
当初安倍は反対派をなぎたおすようなことをせず、さまざまな勢力と忍耐づよく合意形成をはかっているかのようにふるまってきた。
彼は彼の賛同者たちだけを並べた有識者会議なるものを指名した。驚くべきことに、この有識者会議が用意したサプライズは自衛隊の制約を解除する安倍の計画を支持する勧告を行うことだった。
政治ショーの舞台はそのあとワシントンに移る。安倍が派遣した国会議員は、このプログラムに日本を巻き込むことを長く画策してきたワシントンのインサイダーたちと談合し、彼らは全員集団的自衛権について安倍を支持していると恭しく報告したのである。
かくして安倍はすでに彼に賛同していたすべての人々の承認を獲得した。 しかし有権者はこの笑劇を受け入れておらず、彼の手品まがいの憲法解釈変更につよく反対している。
自民党内部でも、岐阜県連は安倍の性急なやりかたや党内議論の欠如に対して苦情を申し立てた。この批判は安倍の支持基盤も一枚岩ではないことを示している。
「チーム安倍」はまた連立与党のパートナーである公明党とも合意のためにあれこれ努力しているふりをしている。公明党は参院での多数派形成に必要だからである。
この見え透いた政治ショーにおいて、意外にも公明党は集団的自衛権の必要性のために挙げられたあれこれのシナリオについて疑念を表明することで安倍の性急な動きを牽制しようとしている。
この政治ショーを通じて、国民は自衛隊の活動を抑制するルールについて、自民党が説明を二転三転している様を見つめてきた。
公明党の支持母体である宗教組織創価学会は、安倍に憲法を尊重し、解釈変更によってすり抜けるのではなく、むしろ改憲をめざすように進言している。
しかし、公明党がこの「論争」の最初から、この問題で連立政権から離脱することはないと明言している以上、公明党がはじめから譲歩するつもりでいることはあきらかだ。
安倍の側近の一人飯島勲は、ワシントンで、創価学会と公明党の関係は政教分離を定めた憲法20条に違反しないとしたこれまでの裁定について内閣法制局に再調査させる必要があると述べて公明党を恫喝した。
彼は安倍のアジェンダとその不正な手続きに同意しないという理由で安倍の足をひっぱっている政党に恫喝を加えているのであろうか。しかし、これはデモクラシーのやり方ではない。それにいつから内閣法制局は身元の疑わしいラフプレイヤーからの作業命令に従う組織になったのであろうか。
安倍は法律の合憲性を決定する内閣法制局を取り込むために、去年その長官のポストに彼の支持者である大使を任命した。しかし、この長官が健康上の理由で退職したために局内の繰り上げ人事を行わざるを得なかった。法制局はその独立性を重んじており、前例をときの首相の恣意によって覆すことに懸念を抱いている。
安倍はここに来て集団的自衛権についての閣議決定を急いでいるが、それは彼がメディアと国民の間に彼の計画に対する敵意が急激に高まっていることを感知しているからである。そして、次の国会における増税議論が始まる前に問題を片付けたいと思っている。
それに11月には沖縄知事選があり、その前にこの問題についての怒りを鎮める必要もある。集団的自衛権をめぐる論争は世論に再び火を点け、反基地候補に有利に働くことが見込まれているからである。
憲法を事実上改定しながら国民投票は回避するという術策をめぐらせることで、安倍は2013年末に特定秘密保護法を通したときと同じく、国民を信じていないということを明らかにしている。
安倍のデモクラシーの「ダウンサイジング」は、また米軍基地に対する沖縄県民の感情を無視し、原発再稼働に対する国民的反対を踏みにじることをも意味している。
権力者たちに対してある程度の臆病なご機嫌取りはあろうとはいえ、嫌がらせを受けているような気持ちにさせる最近の国際的なジャーナリストたちの安倍に対するすり寄るような働きぶりは、その程度の低さにおいて最低記録を更新している。
安倍の断固たる政治姿勢についてこれまでうれしげに報道してきた記者たちは、そうすることで安倍の反民主的な手法と実現されることのない誓言と約束の山から眼を逸らそうとしているのだ。
≫(Japan・Times:JEFF KINGSTON)
■ WSJの閣議決定された安倍の集団的自衛権への実効性
≪【オピニオン】日本の防衛政策のシフトは限定的
安倍晋三首相は1日、祖父である岸信介氏から受け継いだ野望を果たした。岸氏は戦時中に東条英機内閣の商工大臣、戦後には首相を経験。首相時代にはより平等な日米関係を目指して安全保障条約の改定交渉に力を尽くし、1960年には自らの政治生命と引き換えに新安保条約に調印、成立させた。そして今、その孫がさらに平等な日米関係の構築に向けた一歩を踏み出した。安倍内閣は、自衛隊が他国への攻撃に反撃する集団的自衛権の行使を認めるため、長年維持されてきた憲法9条の解釈を変える閣議決定を下した。
ある意味、安倍政権による憲法解釈の変更は、東アジアの安保環境で日本の役割の重要性を際立たせる転換点になったと言える。首相は当初の目標より限定的な憲法解釈を受け入れざるをえなかったが、それでも重要で象徴的な勝利を手に入れた。
実務面では、憲法解釈の変更により、米国が地域紛争に巻き込まれた場合に自衛隊が積極的な役割を果たす可能性が高まった。ただ、自衛隊が前線で戦闘に参加する可能性は低い。
第一に、依然として世論が日本の軍事力行使に対する重要な抑止力になっている。国民は集団的自衛権の行使を積極的に支持したことはなく、むしろ議論が進むにつれて一段と疑心暗鬼になっていった。
安倍首相は1日に行った閣議決定後の記者会見で、憲法解釈の変更がいかに限定的だったかを強調する必要があった。政府が新解釈を乱用すれば、国民が直ちに反発するだろう。
このため、1日の閣議決定が日本の右傾化を示していると考えるのは誤りだろう。国民はまだ、憲法9条が重要で守るに値すると信じている。いずれにせよ、首相が憲法改正でなく解釈の変更にとどめたため、9条が将来の自衛隊の活動を厳しく制限し続けることが確実になった。国民は今後、集団的自衛権の議論が始まる前よりも、憲法9条を改正しようとする試みに強い警戒感を抱くだろう。
集団的自衛権に関する議論を通じて、安倍首相が比肩する者のない政策形成能力を持つことが示された。首相は憲法解釈の変更を心に決め、他のすべての政治勢力に強く迫った。一方、ここでは首相の力の限界も示された。
公明党は従来の憲法解釈を維持する方針だっただろう。だが、それでも最終的な結果を形作る上で影響力を行使した。一貫した姿勢を示せる有力な野党がいないなか、連立政権のパートナーである公明党が安倍首相の野心にブレーキをかける役目を担った。解釈変更を受けて政府は関連法案の準備を進めているが、公明党が自衛隊の活動に歯止めをかける拒否権を持ち続けるのは間違いない。
最後に、新たな憲法解釈は従来より拡大したが、解釈の変更である以上、日本の安保政策が依然として憲法9条の正確な意味をめぐる法的議論に支配されることを示している。個別の事態における日本の役割は、今後も政治家や官僚、学者などが政府の新解釈について議論することによって決められるだろう。安保政策の議論の根幹には日本が「法的にできることとできないこと」を明確に見極めようとする姿勢が残っており、「やるべきこととやるべきでないこと」をベースにした議論にはならないだろう。そうした意味で、日本は再軍備からほど遠く、依然として「普通の国」からも距離を置いている。
ただ、日本にとってはこれがベストとも言える。日米同盟の担当者には不都合かもしれないが、日本は戦後に定められた軍事面の制限の解除に前向きでない。逆説的だが、これが地域で中国に対抗する力の源泉なのかもしれない。日本が安保政策や方針を少しでも変えれば、中国政府は日本が根本的に好戦的だというイメージを描き出そうとする。だが、戦後安保体制の変更が日本国民によって慎重に進められたことが、日本の意図がいかに穏やかなものであるかを示す重要なシグナルになった。
安倍氏は最近の首相の中で最も力を持っている上、米国が戦後に押しつけた日本の軍事制限を取り払おうと長く主張してきた。この安倍氏が限定的な憲法解釈の変更を受け入れざるを得なかったことは極めて重要だ。日本政府は東アジアの現状を力で変更することに反対するとよく表明するが、こうしたメッセージが、国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄した憲法を持ち、この憲法を捨てたいと思っていない国民のいる国から発せられることは、早急にすべての武力制限を取り払ってしまうような国から発せられるのと比べてその重みが違う。
注:トバイアス・ハリス氏は、戦略コンサルティング会社テネオ傘下で、政治リスク評価を手がけるテネオ・インテリジェンスのアナリスト。 ≫(WSJ:オピニオン)
ジャパンタイムズのコラムはすんなり読める。ただ何処かにリベラルのひ弱さも感じられる。書き手は日本人ではないが、わが国のリベラルな人々に共通する脆弱性を感じないでもない。日本のリベラルの最大の欠点は、正論を主張しておけば、いずれの日か、その考えは全員の共通の認識になる(に違いない)、と云う信心が存在する。つまり、小沢一郎が云う処の「お天道さまが見ている」となるわけだが、筆者は、この純粋さに「搦め手」と云うマキャベリズムを加味する必要性を痛感している。エイヴラム・ノーム・チョムスキー氏ほどの天才的説得力があれば別だが、彼のような人物が日本にいるとは思えない。
WSJのコラムは、もろ実務的なレベルでの話になっているが、多くの指摘されている部分に、安倍内閣が閣議決定した「集団的自衛権」を実際に行使するにあたっての弱点を読むことが出来る。
・『第一に、依然として世論が日本の軍事力行使に対する重要な抑止力になっている。国民は集団的自衛権の行使を積極的に支持したことはなく、むしろ議論が進むにつれて一段と疑心暗鬼になっていった。』
・『首相が憲法改正でなく解釈の変更にとどめたため、9条が将来の自衛隊の活動を厳しく制限し続けることが確実になった。国民は今後、集団的自衛権の議論が始まる前よりも、憲法9条を改正しようとする試みに強い警戒感を抱くだろう。』
・『新たな憲法解釈は従来より拡大したが、解釈の変更である以上、日本の安保政策が依然として憲法9条の正確な意味をめぐる法的議論に支配されることを示している。』
・『日米同盟の担当者には不都合かもしれないが、日本は戦後に定められた軍事面の制限の解除に前向きでない。逆説的だが、これが地域で中国に対抗する力の源泉なのかもしれない。日本が安保政策や方針を少しでも変えれば、中国政府は日本が根本的に好戦的だというイメージを描き出そうとする。だが、戦後安保体制の変更が日本国民によって慎重に進められたことが、日本の意図がいかに穏やかなものであるかを示す重要なシグナルになった。』
WSJのコラムは安倍や裏切り公明党に好意的な立場のポジショントークだが、それでも知識人としての矜持が滲み出て、うっかり、リベラルな人々への抵抗の方向性と、政府だけが外交のメッセージ力を持つわけではなく、国民の意思表示も、充分に外交上のメッセージを発信し、緊張する国家間の緩衝材として有効だと認めている。そのような意味で、リベラルな人々の虚しいとも思えるブログやツィッターや官邸前デモなど、マスメディアが伝えようと伝えまえと、海外の通信社の記事にはなる。故に、安倍政権へのあらゆるシーンにおけるリベラルの抵抗は、相当の外交防衛能力有していると確認しておくべきだ。
最後になったが、ネット上では「赤紙がキタ!」と話題になっている。単なる自衛官募集のDMなのだが、集団的自衛権閣議決定後に期せずして送付された防衛省のDMは、石破幹事長の「徴兵制だ」の発言とダブることで、最大の効果を若い人々に与えたようである。好戦国家であることは間違いのないアメリカと云う国と一緒に「普遍的価値」の維持と拡張の戦いには正義あり。そんな認識で付き従うのだから、どこでどのような戦いを強いられるか判らない自衛隊に、一歩近づいた認識は、国民に定着するだろうし、当該自衛官たちは、一層その気持ちを強くするのは当然だ。
公表はされていないが、既に自衛隊員から離脱する傾向が顕著になり、隊員不足の症状が現れているかもしれない。そこに、今回の決定的政府の方針は追い打ちをかけるわけで、防衛省にとっては、隊員の減少を食い止め、新たな隊員を募集し採用する行動は喫緊の課題になっているっ事が推測される。それでなくても、アベノミクスのバラマキ予算のお陰で、3K関連業種の人手不足は深刻なわけだ。今回の閣議決定は、3K+海外派兵+名誉の死傷を自衛隊に突きつけているのだから、爆発的隊員不足に陥る悩みが出てきているのだろう。それが、今回の稚拙すぎる自衛官募集のDMに繋がった。
前出のコラムの解説でも語ったが、国民一人ひとりの選択と云うメッセージも、他国に対しての、自国の外交防衛に、底堅いメッセージ性を含んでいるのだから、有効に利用すべきである。正直、このように自衛隊員であると云うことは、“3K+海外派兵+名誉の死傷”と板子一枚に寝ているわけだから、災害救助に向かう仕事だけでなくなったことを意味する。今回の、安倍内閣の集団的自衛権の歪曲解釈が、イレギュラーな閣議決定で強行されたが、そのツケは、驚くほど多岐に亘り、悪影響は発揮する。平時における、災害救助で獅子奮迅の活躍をする自衛隊員に異常な不足を生じさせ、災害救助すらも行えない国家になるやもしれない。
この推論を進めていくと、二進も三進も行かなくなる自衛隊員不足が、国家最大の課題にさえなり得る。その時、国家とは、どのようなことを考えるだろうか。当然、短絡的だが、強制的に人をかき集める手段を選ぶだろう。財政もひっ迫しており、公に自衛隊員の公募条件に、破格の待遇を謳うわけにもいかない。となれば「徴兵」の選択肢は目の前だ。ただ霞が関は、当然悪知恵を働かせ、文科省発信の抜本的教育改革と絡め、21世紀の地域共同体の構築には、若者の共同生活教育が欠かせない等々、正論風味の政策推進とタッグを組んで、国民を騙し絵の中に引き摺り込むだろう。若者よ、このような重大なリスクを回避する方法は、選挙に行くことだ。そして、憲法9条を守り抜く姿勢の政党に一票を投じ、自公等々の政党の力を削ぐしか、選択は残されていない。
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK167掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。